建設途中の鈴鹿サーキットを駆け抜けた真っ赤なSPORTS 360。Honda四輪時代の幕開け。

Honda SPORTS 3601962年6月発表

Honda初の四輪開発にあたり、本田 宗一郎からは「スポーツカーをやってみろ」、専務の藤澤 武夫からは「トラックをやったらどうか」との話があり、オープンスポーツカーのSPORTS 360と軽トラックT360が誕生した。
本田 宗一郎には、《既存メーカーと競合するより新しい需要を開拓すること、日本の自動車産業を国際的に通用させるためにはレースによる早期育成が必要で、そのためにはスポーツカーがいる》との想いがあった。そして「出すからには世界一でなければ意味がない」との信念から、水冷・直列4気筒DOHCエンジンをはじめとする珠玉のメカニズムがSPORTS 360とT360に採用された。さらにSPORTS 360に与えられた赤いボディカラーは、当時法律で規制されており、Hondaが孤軍奮闘によって使用許可を取り付けた民間では国内初のボディカラーだった。
1962年6月。建設途中の鈴鹿サーキットで開かれた「第11回ホンダ会総会」で、本田 宗一郎は開発責任者の中村 良夫を助手席に乗せ、真っ赤なSPORTS 360で観衆の前を駆け抜けた。Honda四輪時代の幕開けである。そして同年10月の「第9回全日本自動車ショー」にSPORTS 360とS500、T360を出展し国内外に大きな反響を巻き起こした。
しかし、ご存知の通りSPORTS 360は発売には至らなかった。それは、輸入自由化を前に「車種グループ」を規定し担当する自動車メーカーを制限・育成することを想定していた特振法が施行予定だったことが理由のひとつとして挙げられる。360ccの軽自動車と500ccの小型車の両方の生産実績を得ることで、Hondaが2つの「車種グループ」で生産を行う自動車メーカーとなること、また海外進出を見越して通用するクルマとするための排気量アップだった。のちに国内自動車メーカーの保護を目的とする一方で自由な競争を制限する特振法は廃案となった。

  • SPORTS 360は、ボディカラーでも日本の自動車界に革新をもたらした。ホイールの周囲も赤く、ホワイトリボンのタイヤも粋。

  • 未舗装の鈴鹿サーキットを駆け抜けるSPORTS 360。Hondaの四輪時代の幕開けを象徴する走行となった。

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Honda初の普通乗用車は世界最高峰の性能を持つ2座スポーツカー。

Honda初の四輪車といえば軽トラックのT360だが、初の普通乗用車は2座スポーツカーのS500である。身近な働くクルマとスポーツカーで四輪生産のスタートを切る。まさにHondaらしい四輪時代の幕開けといえよう。
二輪メーカーであったHondaが、あえて四輪へ参入するにはそれなりの意義が必要。そう考えたHondaは、“世界一”のものをつくらなければ参入する意味がないと公言した。そこで2輪の世界グランプリで頂点を極めたレーシングテクノロジーを投入し、当時の量産車では世界的に見ても希有なDOHCエンジンをS500に採用。しかも、4気筒の各気筒に1個のCVキャブレターを奢り、等長エキゾーストマニホールドの採用、アルミ製エンジンブロック、クランクシャフトの支持を高回転対応のために高価なニードルローラーベアリングにするなどによって、最高出力44PS/8,000rpm、リッター当たり約83PSを達成。Hondaらしい超高回転型エンジンは、“まるでグランプリエンジンのミニチュアのようだ”と言われた。トランスミッションは4速MT、軽量な車体でひとクラス上のスポーツカーを凌ぐ加速性能を実現。
サスペンションは、フロントがダブルウィッシュボーン、リアはトレーリングアーム式の後輪駆動で、スペアタイヤを収めるスペースを確保するために独特のチェーンドライブを採用。まさに世界が目を見張るコンパクトオープンスポーツカーであり、以降のHondaのクルマづくりの道を拓いた一台となった。発売当時の価格当てクイズには、全国から558万通を超える応募ハガキが集まるなど、ハードとソフト両面で多くの伝説をつくり上げた。

  • 世界から熱い注目を集めたS500のエンジン。4連キャブが印象的。

  • 洗練されたデザイン。このコンパクトさを実現するために、緻密な設計が施された。

  • コクピットが見える。リアルウッドのステアリングホイール、シンプルかつ機能的なデザインのメーターパネル。

[主要諸元]

全長×全幅×全高
3,300×1,430×1,200mm
ホイールベース
2,000mm
最低地上高
160mm
乗車定員
2名
最高速度
130km/h以上
登坂能力
0.27sinθ
最小回転半径
4,300mm
燃費
20km/L
エンジン型式
水冷直列4気筒4サイクル ダブルオーバーヘッドカム
総排気量
531cc
最高出力
44PS/8,000rpm
最大トルク
4.6kg・m/4,500rpm
圧縮比
9.5
燃料タンク容量
25L
バッテリー
12V 35AH
クラッチ
乾燥単板…ダイヤフラムスプリング
変速機
前進4段…2,3,4速シンクロメッシュ 後進1段
ステアリング型式
ラック ピニオン式
ステアリング歯車比
15.1:1
ブレーキ型式
油圧式リーディングトレーリングシュー方式
フロント支持方式
トーションバースプリング独立懸架式
リヤ支持方式
コイルスプリング独立懸架式
タイヤサイズ(前)
5.20-13-4PR
タイヤサイズ(後)
5.20-13-4PR

※参考資料:1964年1月30日 S600発表資料より

  • 世界から熱い注目を集めたS500のエンジン。4連キャブが印象的。

  • 洗練されたデザイン。このコンパクトさを実現するために、緻密な設計が施された。

  • コクピットが見える。リアルウッドのステアリングホイール、シンプルかつ機能的なデザインのメーターパネル。

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世界の人々を魅了し、レースシーンでも大いなる活躍を果たした“エス”の傑作。

1963年10月にS500がデビューしてから半年を待たず、1964年3月にS600が発売された。S500の低速トルクがやや細く、スタート時の扱いが繊細だったのは事実であるが、“さらなる高性能”をめざすスポーツカーとしての少し早い正常進化である。531ccから606ccへの排気量アップ以外は基本的にS500を継承。追ってヘッドライトのカバーが外され、ラジエーターグリルとバンパーまわりのデザインが変更される。
エンジンは、最高出力57PS/8,500rpm。リッター当たりの馬力は94PSであり、シリーズ中最高を誇る。最高速度は約145km/h。これは、倍以上のエンジン排気量を持つクルマと同等のスピードである。まさに、Hondaが世界一をめざしたことを物語るスペックだ。
その性能の高さと価格の身近さからモータースポーツユーザーの心をも捉え、日本をはじめ世界各国のサーキットで活躍を果たした。まさに“小さなクルマで大きなクルマをカモる”という小排気量車の夢を数々のレースで実現。世界にHondaの名を知らしめた、歴史に残るスポーツカーになったといっても過言ではない。

  • グライダーとともに撮影されたS600。まさにこのモデルから、四輪のHondaの名が世界へと飛び立つことになる。

[主要諸元]

全長×全幅×全高
3,300×1,430×1,200mm
ホイールベース
2,000mm
最低地上高
160mm
乗車定員
2名
最高速度
145km/h以上
登坂能力
0.33sinθ
最小回転半径
4,300mm
燃費
19km/L
エンジン型式
水冷直列4気筒4サイクル ダブルオーバーヘッドカム
総排気量
606cc
最高出力
57PS/8,500rpm
最大トルク
5.2kg・m/5,500rpm
圧縮比
9.5
燃料タンク容量
25L
バッテリー
12V 35AH
クラッチ
乾燥単板…ダイヤフラムスプリング
変速機
前進4段…2,3,4速シンクロメッシュ 後進1段
ステアリング型式
ラック ピニオン式
ステアリング歯車比
15.1:1
ブレーキ型式
油圧式リーディングトレーリングシュー方式
フロント支持方式
トーションバースプリング独立懸架式
リヤ支持方式
コイルバネ独立懸架式
タイヤサイズ(前)
5.20-13-4PR
タイヤサイズ(後)
5.20-13-4PR

※参考資料:1964年 発表資料より

  • グライダーとともに撮影されたS600。まさにこのモデルから、四輪のHondaの名が世界へと飛び立つことになる。

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より多くの方に乗っていただくためのファストバッククーペ。

S600を発売してから約1年後にスチール製の屋根を載せたクーペをラインアップした。発売時のキャッチフレーズは「高速時代のビジネスカー」。クーペといっても3ボックス構造のノッチバックではなく、キャビンからテールまでなだらかなラインを描くファストバッククーペスタイル。キャビンとトランクは一体となっており、確かに荷物は積みやすく、キャッチフレーズのようにビジネスカーとしても使えるかも知れない。乗用車としての実用性が向上したのは間違いない。
重量は、オープンボディのS600が720kgなのに対し、クーペは734kgと14kg重くなっているが、ボディ形状が空力的に有利なため最高速はオープンボディ同等の約145km/hである。
スチール製のルーフを有するためボディ剛性が高く、モータースポーツ愛好家からレースカーのべースモデルとしても人気を誇った。

  • 舗装路が珍しかった時代であるため、この頃の写真は未舗装路を走るものが多い。どんな道も走破してビジネスに貢献するといったイメージだろうか。

[主要諸元]

全長×全幅×全高
3,300×1,400×1,200mm
ホイールベース
2,000mm
車両重量
734kg
乗車定員
2名
総排気量
606cc
最高出力
57PS/8,500rpm
最大トルク
5.2kg・m/5,500rpm
登坂能力
0.33sinθ
最高速度
145km/h
タイヤサイズ
5.20-13-48R(前、後とも)
  • 舗装路が珍しかった時代であるため、この頃の写真は未舗装路を走るものが多い。どんな道も走破してビジネスに貢献するといったイメージだろうか。

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排気量アップの限界に挑み世界の名車と闘える性能を実現。

S600の登場から約2年。Hondaスポーツは基本を継承しながら、791ccまでエンジン排気量を拡大する。1966年1月、S800/S800クーペの登場である。前後のグリルやライトまわりの違いをそうそう覚えられないし、ボディサイズも同等であることからS600とS800を区別するのが難しいと感じる方は多いだろう。しかし、S800はボンネットにパワーバルジ(コブ)があると覚えれば判別は簡単である。
このコブは、S800の開発にあたって、当時先進技術であったインジェクション(燃料噴射装置)を装備すべく設けられたものだった。付加物となるインジェクションを装備することで部分的にエンジン高が増えるため、ボンネットとのクリアランスを確保するためのコブである。何でも独自開発を信条とするHondaであったが、先進かつ専門的な技術を要するインジェクションの開発は難しく、結果として見送られ、従来通りキャブレターを装備することとなった。しかし、ボンネットの金型は先行しており、キャブレター装備によって不要になったコブがそのまま残る形となったのだ。
S800の最高出力は、70PS/8,000rpm。リッター当たり約88.5PSである。4速MTはフルシンクロ化。最高速度は約160km/h。Honda初の100マイルカーとなった。およそ2倍の排気量を持つクルマの最高速度に匹敵する高性能を獲得し、当然ながらサーキットでも活躍。さまざまなレースでパフォーマンスの高さを証明し、世界各国で人気を博した。

  • S800を区別するボンネット上のコブがよく見える。

  • テールゲートを開ければ、広々としたトランクルームが出現する。輸出仕様のためボディ四隅のマーカーがある。

  • S800を区別するボンネット上のコブがよく見える。

  • テールゲートを開ければ、広々としたトランクルームが出現する。輸出仕様のためボディ四隅のマーカーがある。

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チェーンドライブからシャフトドライブへの正常進化を果たす。

S800/S800クーペにマイナーチェンジが施された。これは、Hondaスポーツシリーズの伝統ともいえるチェーンドライブを廃止し、一般的なシャフトドライブを採用する変更である。これによりチェーン駆動によるノイズが減ったが、トランクは若干狭くなった。
デフを前進させ、スペアタイヤを収めるスペースを確保するために生み出されたチェーンドライブ方式だったが、実はSPORTS 360からS500に排気量アップした際、ボディの横幅を100mm、リアを300mm伸ばしたため、スペース的にはシャフトドライブを採用してもスペアタイヤを収めることは不可能ではなくなっていたのだ。しかし、当初の独創的なチェーンドライブ方式を採用し続けた。それが時代とともに正常進化し、今回の仕様変更となったのだ。
実は、この仕様変更の元となる試作車は、T360のドライブシャフトまわりの部品を用い、アメリカホンダが製作したものだった。その試作車を見た本田 宗一郎は、「いいじゃないか」とすんなり許可を出したという。

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前輪ディスクブレーキを採用するなど安全装備と快適装備を進化。

Hondaスポーツシリーズの最終型である。米国への輸出に対応すべく、ラジアルタイヤや前輪ディスクブレーキ、ボディ四隅のマーカー、フロントフェンダーのターンシグナルランプなどの安全装備、オートチューニングラジオ、ヒーターなどの快適装備が採用された。
このHondaスポーツシリーズは、コンパクトなスポーツカーだが、各国に輸出され大柄な方が乗っても不思議とコクピットに収まった。横幅は限りがあるが、前後は意外にゆとりがあり、快適なドライビングポジションをとることができたのだ。
またコクピットアイテムとして、セミバケットシート、リアルウッドの3本スポークのステアリングホイール、洗練されたデザインのスピードメーターやタコメーターを装備し、品のあるスポーツフィールを醸していた。そして、ひとクラス上のスポーツカーの性能を凌ぐほど高性能でありながら価格は身近だったこともあり、Hondaスポーツシリーズは世界中のスポーツカーファン、モータースポーツファンから愛された画期的なスポーツカーだったといえる。
世界のスポーツカー史に残る一台であったが、趣味性の高いクルマであり、需要も限られていたことから1970年に生産を終了。その翌年、1971年にHondaは世界で一番にマスキー法をクリアするCVCCエンジンを発表した。

  • 国内仕様にも装着されたボディ四隅のマーカー。テールランプも大型化している。

  • 美しいコクピットデザイン。世界のコンパクトスポーツファンの憧れとなった。

  • 初期の360ccから800ccまで排気量アップされたこと自体が驚きでもある。ボアの拡大は余地がなく、ストロークの伸長もピストンスピードの関係上不可能だった。「これが限界ですよ」と言った設計者に対し、本田 宗一郎は「わかった、わかった」と言ったという。

  • 国内仕様にも装着されたボディ四隅のマーカー。テールランプも大型化している。

  • 美しいコクピットデザイン。世界のコンパクトスポーツファンの憧れとなった。

  • 初期の360ccから800ccまで排気量アップされたこと自体が驚きでもある。ボアの拡大は余地がなく、ストロークの伸長もピストンスピードの関係上不可能だった。「これが限界ですよ」と言った設計者に対し、本田 宗一郎は「わかった、わかった」と言ったという。

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