他の大御所の中には、何というか偉そうに振る舞う人も少なくないし、
VIPとして遇されて当然という雰囲気の人もいる。
だが、コンクールデレガンスの会場で、着飾ってグラスを傾けているジョンの姿など見たことがない。
その代わりに両肩にニコンをぶら下げて、嬉々として展示車の写真を撮って回っているのである。
それは世界各地のモーターショーや試乗会でも同じ、素晴らしいクラシックカーや
注目の新型車、あるいは自動車界のレジェンドを見かけたりすると、もう居ても立っても居られない。
それは彼が古今東西のクルマに通じた有名フォトグラファーにして大御所ジャーナリストである前に、
ひとりのピュアで真っ直ぐなエンスージアストだったからに他ならない。
「ペトロヘッド」や「カーナッツ」とか、
クルマ好きを指す他の気の利いた呼び名もあるけれど、
率直に言ってジョンは、まったく純粋なクルマ好きの少年、
いやいやもっとストレートに言えば“クルマバカ”である。
NSX Fiestaやコレクションホールを訪れた際などはもう、関係者やオーナーを質問攻めにして、
いつまでもその場を離れようとしない。ジョンを認めて、話しかけよう、
一緒に写真を撮ってもらおうとチャンスを伺う日本の読者たちをそっちのけで、
自らの好奇心のままに動き回るのがジョン・ラムである。
そんな彼だからこそ、歴史的な名門ブランドだけを特別扱いにするのではなく、
世間的な価値に関わりなく、早くから日本車に興味を抱いて来たのだろう。
中でもHondaには特別の関心を寄せていた。彼はオリジナルNSXの革新的な価値を
いち早くフェアに評価した数少ない海外ジャーナリストのひとりだったが、
冷静で客観的なジャーナリストというよりは、ひとりのエンスージアストとして
興味津々だったのである。繰り返すが、純粋で好奇心の塊のようなクルマバカの前には、
250GTOもスカラブもNSXもシビックも等しく同列の興味の対象だった。
しかも、Hondaにはそんなクルマバカをひきつけてやまない熱い何か、
たとえば製品に込められた熱量とかエネルギーのようなものがあった。
であれば、以心伝心、類は友を呼ぶとのたとえ通り、
純なクルマ好きの特有の波動は一瞬で同じクルマ好きに伝わる。
あわよくば自分だけのネタを引き出そうなどという計算はこれっぽっちも考えずに、
ただただ好奇心と興味に従って、上原さんやジャビーさんやPFを質問攻めにするのである。
そんな時の“ここだけの話”は恐ろしく鋭く面白い。
「なぜあの時、Hondaはジャン・トッドをF1の監督にしなかったのか?」
などという裏話が飛び交うのである。だが男の約束なので私は今も書かない。
ジョンも書かずに向こうへ行ってしまった。
NSX Fiestaでのジョン・ラムは、それまで見たことがないほど楽しそうだった。
彼はHondaがつくり上げたスポーツカー・コミュニティーを高く評価していた。
いや、評価などという姿勢ではなく、自分もどっぷりとその仲間に加わり、
仲間と認められていることを誇りに思っていたのである。
古巣のモータートレンドをはじめ、米誌はジョンをしのぶ一文の最後に
“Godspeed”と捧げている。旅往く人に幸運を。
そう、安らかに眠れ、なんてジョン・ラムにはふさわしくない。
あっちでも撮りまくれ、ぶっ飛ばせ、ジョン。仲間ならたくさんいるだろうから。
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