【グッドウッド】

そんなジョン・ラムにとって、「フェスティバル・オブ・スピード」が毎年開催される、イギリスのグッドウッドは、まさに朝から晩まで楽しめる夢のクルマがいっぱいの楽園だった。
1989年は、Hondaが展示場を兼ねた駐車スペース内に大きなパドックを設け、「レジェンド」なHondaモデル、二輪と四輪のレーサー、生産車の数々をずらりと並べ、戦前、本田宗一郎さんがレースに使用したカーチス号を、元Honda社長の川本信彦さんがデモンストレーション走行するという、 Hondaがビッグテーマの年だった。
グッドウッドには、その日、前述のフィル・ヒルやポール・フレールをはじめ、二輪と四輪の両方で世界チャンピオンになった唯一のレーサーでHonda F1でも勝利を挙げたことのあるジョン・サーティース、川本さん、デビューしたてのS2000で駆け付けたCar Graphic誌初代編集長の小林彰太郎さんらがいて、ジョン・ラムは朝から上機嫌、楽しくてしかたがない感じだった。
そして、その日のメインアトラクションとして、はるばる日本からやってきた、Hondaのレジェンドモデルによる、デモンストレーション走行が行われた。
ジョン・サーティースの駆るHonda GPレーサーなど、Hondaの伝説的なモデルで、文字通りグッドウッド内は埋め尽くされた。
この壮観な光景を見て、ジョン・ラムが思わず、「Honda full(Wonderfulのシャレ?)」と叫んだが、当然周りのみんなは反応せず、冷ややかな目で彼を見て、スルーした(笑)。

1999年のグッドウッドでの、元F1チャンピオンであり、盟友でもあったフィル・ヒルとの2ショット。

【ツインリンクもてぎ】

2002年、「上原 繁さんを筆頭とする本田技術研究所の方々が、ポール・フレールと君の2人を特別に招聘し、ツインリンクもてぎでNSX-Rに乗ってみて、感想を聞かせてほしいって言われているよ」、と告げた時の彼のリアクションも面白かった。
「ポールの写真撮るんじゃなくって、ぼくも乗って、コースを走っていいの?」
「ワオ!やったー。アンビリーバボー!」
「ジョン、仕事だよ。シ・ゴ・ト!」
もてぎについても嬉しくてソワソワ。
ポール・フレールの後について、ワンラップ。
よし、これならついて行けるぞと、思ったのが甘かった。
1周目はポール・フレールにとっては、ウォーミングアップを兼ねたコースチェックで、2周目からが、彼のフルスロットルラップなのだ。
2周目は、スタート直後からグングンと離されていき、ポール・フレールとの差はアッと言う間に広がった。
ピットに戻ってきたジョン・ラムは、それでも闘志満々で、「靴がデカすぎる。もっとタイトな靴を履いてくるべきだった」と、言いつつ、靴を車外に脱ぎ捨てて、裸足でタイプRに乗り込んだ。
そしてテスト走行は終了。
ピットに戻ってきたジョン・ラムは、依然、自分のドライビングに納得のいっていない顔で、頭をしきりに振っていたが、感想を聞くとNSX-Rの凄さには感動していた。
ここでも大好きなスポーツカーに熱中するクルマ少年が顔を出しているようだった。
その後、上原さんたち研究所の方々とのランチ&ディスカッション、そしてツインリンクもてぎ内にある「ホンダコレクションホール」の見学と、忙しくも至福の1日を過ごしたジョン・ラムは大満足で帰路に就いた。

2004年にテキサスに住む長男のクリスと来日した時の2ショット。富士山をバックに三保の松原で。

【ペブルビーチと北米カー・オブ・ザ・イヤー】

審査員を務める、2018年ペブルビーチ・コンクール・デレガンスのときの「パネルディスカッション」で、アメリカにおける日本車のインパクトをテーマに意見を述べ合った。その際、アメリカ人が真に素晴らしいと認めた最初の日本車はどれかと尋ねられて、ジョン・ラムは即座に、「初代Hondaアコードだ」と答えた。
「初代アコードこそ、1976年に設計とエンジニアリングの新しい基準を打ち立てた画期的なモデルで、私自身、一台購入して愛用し、身をもってその素晴らしさを経験した」と、述べている。
その翌年の、2019年1月のデトロイトモーターショーで、新型Hondaアコードが50名の選考委員からの圧倒的な支持を得て、「北米カー・アンド・トラック・オブ・ザ・イヤー」を獲得したのは記憶に新しい。
むろんジョン・ラムも選考委員としてアコードに1票を投じたし、明らかに、カーオブザイヤーの現選考委員たちも、同様の基準を感じ、新型アコードを選んだようだった。

2020年2月、10代目アコードデビューの際、Hondaホームページのティザーサイトに掲載されたレポートのためにジョン・ラム自身が撮影したアコードの写真。

【Honda関連の取材撮影数】

わたしの手元には、彼が送ってくれた、2014年時点での、彼の過去に取材撮影した膨大な数の作品リストがある。
彼の几帳面な性格を反映して、メーカー名をアルファベット順に並べ、取材撮影した年、モデル名、モデルイヤー、国名、ボディカラー、撮影に使用したカメラ名、取材撮影の背景がきちんとまとめられている。
2014年の時点で、彼の生涯取材撮影した作品数は、3,000点におよび、その時点で、ジョン・ラムが生涯に取材撮影したHonda車(アキュラモデルを含む)やHonda関連の作品は50件以上にのぼる。
もちろん、その中には、前述の、2002年におこなわれたツインリンクもてぎでのNSXタイプRの試乗時とホンダコレクションホールの見学時の写真も含まれている。

2012年のデトロイトショーで、アンベールされたNSXプロトタイプのレポートをNSX Pressに掲載したときのジョン・ラムが撮影した写真。

【Farewell to my friend】

ジョン・ラムは今どこにいるのだろう。
天国にいるには違いないけれど、みんなと再会しただろうか。
相変わらず写真を撮りまくっているのだろうか。
きっと、そうに、違いない。
彼がリラックスしてゆっくりと時を過ごしているなんて、想像もつかない。
憧れの人々に再会したら、まとわりついて離れないでほしい。
そして、あらゆる興味のあるものにレンズを向けてシャッターを切り続けていてほしい。

ひたむきにカメラを構えるジョン・ラム。おそらくは天国でも相変わらず写真を撮りまくっていることだろう。

文中・映像内にある「ツインリンクもてぎ」は当時の名称。現在は「モビリティリゾートもてぎ」です。

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