
VTECとHondaエンジンの30年Vol.2 VTEC誕生秘話と「これから」
Hondaエンジンのアイコンであり、スポーツドライビングファンの心を長年熱くし続けてきた魅惑のメカニズム、VTECも誕生から早30年。このへんで「VTEC史」を振り返ってみるのはどうでしょうか。「VTECって何?」を振り返ったVol.1に続き、今回は開発の最初期から携わってきたエンジニアに誕生秘話と「これから」について聞いてみます。
答える人
本田技研工業株式会社
四輪事業本部 ものづくりセンター
エグゼクティブチーフエンジニア
新里 智則
1984年入社。初めてのVTECエンジンである1.6L DOHC VTEC、B16A型エンジンの開発に携わったのち、さまざまなHondaエンジンの開発に携わる。現在は、産官学で内燃機関の進化に取り組む「自動車用内燃機関技術研究組合(AICE)」の理事も務める。
本田技研工業株式会社
四輪事業本部 ものづくりセンター
チーフエンジニア
松持 祐司
2000年入社。エンジン設計担当として、S2000、NSXのマイナーチェンジやVTEC開発担当を経て、シビック TYPE R用2.0L VTEC TURBOエンジンの開発責任者を経験。現在はパワートレーン戦略の立案に従事。
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……というわけで、VTECが誕生するときから開発に携わり、その後も様々なVTECエンジンを手がけてきた新里さんにお越しいただきました。言わばVTECエンジン開発のエキスパートです。
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どういう形でVTECに関わってきたかというところからお話しします。84年、22歳のときにHondaに入社して、3年目の24歳くらいのときにチームに加わりました。1986年のことです。
──最初のVTECエンジンが登場するのは1989年4月のことでしたね。そこに向けて量産の開発が進む段階、と。
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前身となる機構として、二輪の1983年の「CBR400F」に搭載された「REV」という機構がありました。先行開発はそれに先立つ1982年くらいから始まったと聞いています。焼き鳥屋さんでメカニズムを思いついた……という「ねぎま」のエピソードもそのあたりのことです。ちょっと都市伝説的ですけどね(笑)。
ねぎま。鶏肉のうまみとねぎの香ばしさが食欲をそそる。
──なるほど。
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VTECのあとは、5気筒のエンジンや、2.0Lクラスの4気筒エンジン、V6エンジン、1.0Lの3気筒エンジン……Hondaがラインアップするひととおりのエンジンに携わってきました。まあ、エンジン一筋35年ですね。
VTEC誕生のきっかけ
──そもそも、VTEC誕生のきっかけというのはどういうものだったんでしょうか。
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当初の目標は単純明快、これまでにないくらい気持ちよく吹け上がる、スポーティーなエンジンを作っていくんだ!というものでした。
──それはすばらしい。
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当時の技術水準でいうと、かなり高性能と言われているエンジンでも、リッターあたり80馬力、レッドゾーンはせいぜい6,800rpm。そこから大きく飛び越えて、リッターあたり100馬力、レッドゾーン8,000rpmを目指すぞ!というのが具体的な目標でした。
──当時のエンジンの2割増ですね。
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スタッフの体制もチャレンジングでしたよ。シリンダーブロック、クランク、ピストンといったエンジンの骨格を成す部分を手がけるスタッフは、私も含む全員が20代。入社3年目だった私自身はシリンダーヘッドの図面書きからテスト、分析、そのフィードバックまですべてひとりで担当しました。みんな世間知らずで無鉄砲だったからこそ、勝手気ままにやらせてもらえて、結果的にそれまで存在しなかったエンジンが生まれたのではないかとも思っています。