スポーツ360でチャレンジした世界一への想いを加速させてS500を市販したHondaはより優れた走りの楽しさと使い勝手を求め、すぐさまS600を発売した。開発の手を休めることなく、「世界一のモノにすることに重点を置く」というHondaのクルマづくりの原点となる想いをめざしたのだ。
最高出力はS500の44PS/8,000rpmから57PS/8,500rpmへ。およそ30%ものパワーアップにより、カタログに記載された最高速度は約145km/hとなった。これは、当時の1,200ccクラスのクルマの最高速度に相当するほどの速さであり、そのパワフルさに加え、ハンドリングも軽快でワインディングを駆け抜ける楽しさは格別。“エスロク”の愛称で世界の若者やスポーツカーファンを魅了した。
S600は、サーキットでも大いに活躍し、そのポテンシャルの高さを証明した。1964年3月の発売直後、5月に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリのGT-1クラスでいきなり優勝を飾ってしまう。同じ年の9月、ドイツのニュルブルクリンク500km耐久レースに挑み、初出場ながら、並みいるヨーロッパの強豪車を破って1,200cc以下クラスで優勝。
S600のずば抜けた性能と走りの楽しさは、四輪車メーカーとしてのHondaの名を世界に知らしめることとなった。日本国内にとどまらず、世界を見つめるHondaスポーツのチャレンジはS600からはじまったのだ。