
1950年代の終わりに自動車づくりに着手したHondaは、
明確な信念を持って開発にあたった。
本田宗一郎は、クルマづくりの信条をこう語っている。
「小型はまだまだとても乗りにくい。これはまずいんだ」
「お客さんに辛抱させたり、忍耐させちゃだめですよ」
「乗ることが愉快であって、誇りでなければ自動車の価値はない」と。
そして、軽乗用車の基礎研究を経て2人乗りのスポーツカーの開発に着手する。
Hondaの自動車進出への期待が高まっていたが、開発を率いた本田宗一郎はこう語った。
「早く出すよりも、世界一のモノにすることに重点を置かなければなりません」
こうしてコンパクトなボディにレーシングカーのような
直列4気筒DOHCエンジンを搭載したスポーツ360が開発された。
1962年6月にスポーツ360で鈴鹿サーキットを走った本田宗一郎は、
「世界で一番小さなエンジンで最高の馬力を得ていると確信した」と語った。
スポーツ360は発表のみにとどまり、市販されたのはエンジンを排気量アップし
ボディをひと回り大きくしたS500だったが、「Honda Sports」の挑戦は
初のスポーツカーでいきなり世界一をめざすチャレンジからはじまったのだ。