誕生秘話

Honda除雪機の開拓者たち
家庭用除雪機の操作性を大幅に向上させた
小型HST<Hydro-Static Transmission>の開発
Hondaが1989年に発売した「HS660S/870S」は、大型で高価な除雪機にしか搭載されていなかったHST<油圧式無段変速>を業界で初めて採用した一般家庭向けの小型除雪機。今回は、HSTの開発に従事された石川さん、数々の除雪機開発に関わってこられた酒井さん、山崎さんにお話しを伺います。
*文章中の「世界初」「業界初」については1989年時点、Honda調べとなります。
Pioneers
石川 智明
石川 智明
株式会社本田技術研究所
ライフクリエーションセンター チーフエンジニア
1985年 Honda入社。1985年から10年間に渡りHSTの開発に従事。その後も各種トランスミッションなど駆動系、及び強度等の担当として芝刈機、除雪機、耕うん機、運搬車、電動カートなどの完成機の開発に参画。現在は、商品開発における技術評価委員を務める。
株式会社本田技術研究所
ライフクリエーションセンター チーフエンジニア
1985年 Honda入社。1985年から10年間に渡りHSTの開発に従事。その後も各種トランスミッションなど駆動系、及び強度等の担当として芝刈機、除雪機、耕うん機、運搬車、電動カートなどの完成機の開発に参画。現在は、商品開発における技術評価委員を務める。
酒井 征朱
酒井 征朱
株式会社本田技術研究所
ライフクリエーションセンター エキスパートエンジニア
1983年 Honda入社。1985年発売の「HS80」の設計を皮切りにHonda除雪機の開発に参画。1996年の「HS1710Z/2011Z」やハイブリッド除雪機「HSS1170i」「HSM1590i」などHondaを代表する数多くの機種でLPL<開発責任者>を務める。
株式会社本田技術研究所
ライフクリエーションセンター エキスパートエンジニア
1983年 Honda入社。1985年発売の「HS80」の設計を皮切りにHonda除雪機の開発に参画。1996年の「HS1710Z/2011Z」やハイブリッド除雪機「HSS1170i」「HSM1590i」などHondaを代表する数多くの機種でLPL<開発責任者>を務める。
山崎 信男
山崎 信男
株式会社本田技術研究所
ライフクリエーションセンター アシスタントチーフエンジニア
耕うん機、乗用トラクター、アクティクローラなどの商品性研究に従事。除雪機では1996年のV-Twin搭載大型除雪機、2005年の「HSM1590i」、2013年の「HSL2511」など小型から大型まで幅広い機種でDPL<開発部門リーダー>を務め、様々な新技術を商品化に貢献。
株式会社本田技術研究所
ライフクリエーションセンター アシスタントチーフエンジニア
耕うん機、乗用トラクター、アクティクローラなどの商品性研究に従事。除雪機では1996年のV-Twin搭載大型除雪機、2005年の「HSM1590i」、2013年の「HSL2511」など小型から大型まで幅広い機種でDPL<開発部門リーダー>を務め、様々な新技術を商品化に貢献。
※肩書きは2020年9月時点のものとなります。

除雪機に最適な駆動系を求めて

除雪機にHSTを搭載するまでの流れを教えてください。
酒井
最初の「HS35」は、コンパクトな1ステージで走行機構を持たない除雪機でした。しかし、使い勝手を高めるには独立した走行機構が必要ということで、2台目の「HS50」からフリクション・ディスク方式の変速機を採用しました。更なる使い勝手を目指して採用したのがHST<油圧式無段変速>です。
HST以前のモデルに採用されていたフリクション・ディスク方式
それまで採用していたフリクション・ディスクの課題はどこにありましたか。
石川
フリクション・ディスク方式は2つの円盤を直角に合わせ回転を摩擦で伝達する機構です。シンプルな構造ですが課題もあります。普通の減速機は、速度を半分にするとトルクが2倍になりますが、この方式は回転速度が落ちるとトルクも落ちてしまうんです。
酒井
「低速作業」「作業負荷に応じたきめ細やかな車速調整」こそが除雪機の変速機に求められる性能なのですが、フリクション・ディスク方式は低速域のトルクが出ないし、細かな調整も難しい。
山崎
円盤なので理論上は無段階変速なんですけど、現実は剛性の関係もあり変速する時は除雪機を一度停止させる必要がありました。
ディスクの位置を変更することで変速を行う
そういった課題を解決する駆動系としてHSTが登場するわけですね。
石川
HSTを開発するにあたっては、壁に突き当たったときに、他の駆動方式に目移りしないように、フリクション・ディスクの改良やバイクのベルトCVTなども並行して研究し、それぞれの長所・短所を検証したうえで、「HSTしかない」という信念をもって開発にあたりました。
酒井
除雪機の変速機として求めたのは、クラッチを切ることなく変速が無段階にできることと減速比です。HSTはまさにその機能を満たしています。
HSTを採用した最初のHonda除雪機は、1988年の大型クラス「HS2012Z」です。
石川
この除雪機には、既製品のHSTを搭載しています。HST自体は、第一次世界大戦の時に戦車の砲塔を回す動力源として使ったのが最初といわれ、昔からある技術なんです。
山崎
当時からブルドーザーのような大型建設機械ではHSTが使われていましたが、一般家庭用の機器に使われる方式ではありませんでしたね。
自社開発のHSTを搭載した小型除雪機と、既製品のHSTを搭載した大型除雪機

除雪機搭載に向けて、
困難を極めたコンパクトな
HSTの開発

既製品とHondaが開発したHSTではどれほど大きさが違うのですか。
石川
ポンプが送り出すオイルの流量でHSTの大きさは決まりますが、既製品の流量が1回転あたり10ccであるのに対して、我々が開発したHSTは3ccですので約1/3です。当時の既製品は、とても小型除雪機に載せられる大きさではありませんでした。
HSTの小型化はどのような点が難しいのでしょうか。
石川
オイルで動力を伝達する装置なので、わずかながらオイルが漏れるものなのです。しかし、ポンプ容量が1回転あたり3ccと少ないだけに、求められるシール性が段違いなのです。開発の中では、性能と生産性を両立できる最適なクリアランスをミクロン単位で探っていきました。
酒井
サイズが小さくなっていくと加工も難しくコストも上がる。でも、お求めやすい価格は譲れない。量産化はコストとの戦いでもあるのです。
HSTは、除雪機専用に開発を行ったのですか。
石川
除雪機の他に、乗用芝刈機と世界最小だった歩行芝刈機用の3つHSTを並行して開発していました。しかし、氷点下で使う除雪機には特有の難しさがあります。オイルは温度が下がるとドロドロになる。それを解決するために専用のHSTオイルを出光興産さんと共同開発しました。
山崎
常温環境ならエンジンオイルや作動油と呼ばれるオイルで全く問題ありませんが、除雪機用でさらに小型なのでオイルに求められる要求が高いのです。
ゼロからのHST開発ですが、どんなことから取り組んだのですか。
石川
最初の1年は「最新技術を知る」方針のもとに、ひたすら特許だけを読み込みました。そして、満を持して試作品の1号機を作ったらピクリとも動かない(笑)。しっかり勉強して作りましたが、油圧屋なら常識の油圧バランスという考え方が機械屋の我々には欠落していたんですね。初めての取り組みだから、それはもう困難の連続ですよ。
さまざまな困難をどうやって乗り越えていかれたのですか。
石川
試作1号機の目的は、まずは動くものを作って必要な能力を見極めることです。その後は、新しいアイディアをドンドン試して性能を高めていきます。開発の段階から量産をしていただく協力メーカーの方も数名に常駐していただき、一緒に図面を引きテストを繰り返しました。開発の中で「除雪機の変速機」を体験してもらい、工場に持ち帰って量産管理にあたってもらったのです。

自らが求める駆動系を
自分たちの手でつくる

HSTの自社開発は、Hondaとしても大きな決断だったのではないですか。
石川
HSTの開発が始まった1985年は、私がHondaに入社した年なんです。当時、HST開発の音頭をとったのが、Honda初のクルマのAT「ホンダマチック」の開発に携わった西村さんです。駆動系として汎用機械に貢献できることを考え、いろんな意見がある中で「無段変速機をつくろう」と強いリーダーシップで開発に引っ張ってくれました。
HSTがカタチになり除雪機に搭載されて社内の反応はどうでしたか?
石川
機能的で非常に評判が良かったと思います。一方で、Hondaとして全く初めての技術だったので、「本当に大丈夫か」と相当疑念を持たれていたとは思います。耐久性について、除雪機の利用を想定してベンチ試験を連続100時間くらい行いますが、どのくらいで壊れるか試そうと、ずっとベンチを回し続けました。2,000時間くらい回したところで「これ以上は電気のムダだから、やめよう」と切り上げるまで壊れませんでしたね。
新しい技術を世に出すうえで心得のようなものがあったのですか。
石川
西村さんの教えに「研究開発は、どうやったら望む機能や性能が得られるかを考えろ。量産開発は、何をしたら壊れるかを考えろ」というものがあります。壊れる要因が時間なのか、何なのか。だから、わざと加工バリを残してみたり、内部にゴミを入れてみたり、様々なことを散々やりました。この教えは、技術者として私のモットーになっています。
いよいよ、自社開発のHSTを搭載した除雪機が1989年に発売されます。
酒井
「HS660S/870S」は、新規設計のフレームにHSTや電動シューターなど新技術を採用してスタイリッシュに仕上がりましたが…。鳴り物入りの開発でしたが、初年度は雪が少なく、あまり売れなかったんですよ(笑)。
山崎
新技術は「最初壊れるから様子見よう」など言われますが、非常に評判が良い除雪機だと思います。今でもパッケージングを踏襲しながら販売していますからね。
改良されながら、この除雪機の販売が続いているわけですね。
石川
HSTについては、1989年から何も変わってないです。
酒井
HSTはトラブルがほとんどないし性能も十分だから、変える必要がないんです。
石川
開発の時に、「これでもか!これでもか!」とやってますからね。
山崎
Hondaは世界中で色んな商品を販売していますが、カナダには除雪機からHondaファンになった方が多いと聞きますね。「Hondaの除雪機は素晴らしい、HSTの使い勝手が最高だ」と言われたこともあります。
30年以上も前の開発ですが、振り返ってみてどんな開発でしたか。
石川
純粋に目の前の技術課題だけを考えて集中していました。全てが初めてのことで、課題しかありません。その課題を一つずつ解決して行く過程はとても大変でしたが、面白かった。会社に行くのが毎日楽しかったですよ。
酒井
Hondaはエンジン屋と呼ばれますが、専用の駆動系も自分たちで開発する会社でもあるんですね。そういう意味では、HSTの自社開発によって、いよいよ除雪機を自分たちのモノにできた。そんな意義ある開発だったと思います。
Honda除雪機の開拓者たち
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