誕生秘話

Honda除雪機の開拓者たち
安心して使える本格的な除雪機を目指して
Honda初の2ステージ除雪機の開発
1982年に発売した除雪機「HS50」は、Hondaとして初めて本格的な2ステージ式の除雪機構を採用した除雪機。Honda除雪機の初期の段階から基盤確立まで開発プロジェクトを統括された開発者の小鹿野さんに伺います。
Pioneers
小鹿野 武雄
小鹿野 武雄
バイク好きが高じて1961年 Honda入社。
農機設計室に配属され初仕事で耕うん機F60のトランスミッションを担当。その後、汎用MEシリーズの企画などを経て、1982年発売のHS50から除雪機の開発に参画し数多くの除雪機の開発に携わる。
2002年にHondaを退職。
バイク好きが高じて1961年 Honda入社。
農機設計室に配属され初仕事で耕うん機F60のトランスミッションを担当。その後、汎用MEシリーズの企画などを経て、1982年発売のHS50から除雪機の開発に参画し数多くの除雪機の開発に携わる。
2002年にHondaを退職。

雪を知らないなら、
現場で使ってみる

Hondaが除雪機に参入した経緯を教えてください。
小鹿野
「冬季に売れる商品がほしい。」という北米の二輪販売店の強い声があったそうです。それは日本国内の北海道や東北の販売店も同様でした。農園や牧場ではオールシーズンで活躍できる3輪バギーATCを開発する一方で、引き続き冬季に販売できる製品に対する要望は続いていました。市場調査を兼ねて北米の雪の多い地域を回った中で、体力を要する除雪作業に着目し、人々の役に立てる除雪機が候補にあがったそうです。
Hondaとして初の除雪機「HS35」は非常にコンパクトな除雪機ですね。
小鹿野
一番最初の「HS35」は駐車場から道路までの少量の雪かきをするもので、1ステージと呼ばれる集雪と投雪を同時に行う構造を採用する除雪機です。ガレージの脇に保管できるようなサイズは好評でしたが、1ステージ式は用途が限定的で、どこでも売れるものではありません。そこでより幅広い用途で、誰もが使いやすい除雪機のエントリーモデルとして集雪と投雪を分離させた2ステージ式の「HS50」の開発に取り掛かったのです。
1ステージ式の「HS35」(写真左)と2ステージ式の「HS50」(写真右)
小鹿野さんは埼玉県出身で、雪国の事情はさっぱりだったそうですね。
小鹿野
現場で使ってみるのが一番ですから、試作機を新潟や青森に持って行って検証したんですが、そのとき、地元の人が使っているグローブやブーツを借りたんです。雪国は寒くて仕方がないから普通の手袋の上にさらにミトン式の大きなグローブを重ねるんですけど、そんな手では細かなスイッチなんて操作できない。これは、エンジンのコックやチョーク、手元の操作レバーは大きく握りやすいものにしないといけないと、雪国を回った開発チームのみんなが実感しましたね。
雪国を回る中で気が付いたことはありますか。
小鹿野
あっちこっちの販売店から『うちの地域でも試してくれ』と声を掛けられるんですよ。それで各地に行ってみると、粉雪やベタ雪など地域によって雪質が違うことを知りました。雪質が違うと、きれいに遠くまで飛ばなかったり、上手に雪をかけなかったりする。「誰にでも使いやすい除雪機」は、一筋縄ではいかないなと気付かされましたね。

全てが手探りだった
除雪機開発の黎明期

初期の除雪機の開発はどんな様子だったのですか。
小鹿野
研究所のある埼玉や、生産工場がある浜松には雪が積もらない、みんなで知恵を出し合って、初期のプロト機はおが屑を使ってテストをやりました。「とにかく粉を飛ばせばいいんだろう」くらいにしか考えてなかったんですね。だから、おが屑を少し水で湿らせたものでテストを続けたんです。
おが屑を使ったテストは上手くいったのですか。
小鹿野
水を含んだベタ雪なら、まとまって雪だるまになるのですが、おが屑はくっついて固まることがなくベタ雪とも違っていました。実際にベタ雪でテストをしたら、雪詰まりが頻繁におきて苦労しましたね(笑)。
おが屑を使った試験の様子
そうやって準備された試作機を、次は雪の中で検証されるわけですね。
小鹿野
自然の力はすごいです。熱いマフラーやエンジンにも雪が積もるのには驚きましたね。一瞬で解けてもすぐに凍りつく。その上に雪がドンドン積もって凍りついていく。だから、エンジンの低温・凍結対策も技術開発では力を入れました。また、固まった雪を手で除けようとするとケガをしてしまうから、雪かき棒をつけるなど、とにかく安全性には気を配って開発しています。
初期の除雪機開発では他にも逸話があると聞いています。
小鹿野
プロト機の開発が夏までズレ込んでしまったので、テストチームは雪を求めて南半球はアルゼンチンまで飛んだのです。ところが、その年はアルゼンチンも生憎の暖冬で雪不足。結局、マゼラン海峡を渡ったフエゴ島のウシュアイアという町でテストを行いました。ウシュアイアは世界最南端の町とも、南極に最も近い場所とも言われる町です。そんな地球の裏側まで行ったのです。
Honda除雪機のテストチームがたどり着いたアルゼンチンのフエゴ島

Hondaの原点は、
お客様に喜ばれるモノづくり

本田宗一郎さんの教えで忘れられない話があるそうですね。
小鹿野
私が発電機の開発責任者を務めていたときのことです。宗一郎さんが、冷蔵庫の大きな取っ手を見て「どうだ。これなら目をつぶっていたってわかるだろう。このくらい、お客さんがうんと喜ぶことをやらないとダメなんだぞ」と話されたんです。いろいろな汎用製品に携わってきましたが、常にその話が心にありました。
これは全てのモノづくりに通じることだとのお考えですね。
小鹿野
製品というのは、お客様の気持ちに寄り添わないといけないと思うんですよ。どうしたらお客さんのためになるか徹底して研究して、お客さんに喜んでもらう。そうすれば結果的にたくさん買っていただけることにもつながるし、何より、それがモノをつくる意義だと思います。
小鹿野さんが
LPL<開発責任者>として
開発に携わった主な製品
発電機 E80
発電機 EX400
芝刈機 HR21
運搬車 HP250
Honda除雪機の開拓者たち
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