誕生秘話

Honda除雪機の開拓者たち
除雪機を広め続けてきた40年
雪国の暮らしに寄り添うHonda除雪機の営業活動
日本の北端である北海道では、雪かきは大変な作業で除雪機の普及も進んでいます。しかし、1980年代の除雪機販売には数々の苦労があったそうです。今回は、除雪機の販売に携わる北海道における統括販売会社である北海道ホンダ販売株式会社の石川さん、梶田さん、OBの上林さんにお話を伺いました。
Pioneers
石川 治彦
石川 治彦
北海道ホンダ販売株式会社
営業部 部長
1983年 バイク好きが高じて北海道ホンダ販売(株)の前身である北日本ホンダ販売(株)に入社。2輪の営業として各地域の販売店を担当し、Honda Dream札幌でも小売りをのべ10年経験。現在は、バイクとライフクリエーションの両商品の営業を統括する。
北海道ホンダ販売株式会社
営業部 部長
1983年 バイク好きが高じて北海道ホンダ販売(株)の前身である北日本ホンダ販売(株)に入社。2輪の営業として各地域の販売店を担当し、Honda Dream札幌でも小売りをのべ10年経験。現在は、バイクとライフクリエーションの両商品の営業を統括する。
梶田 直也
梶田 直也
北海道ホンダ販売株式会社
営業部 エキスパートマネージャー
2007年 北海道ホンダ販売(株)に入社。ホンダウィル旭川店で除雪機を含む農業機械の営業を担当。現在は、北海道内の販売企画を務める。
北海道ホンダ販売株式会社
営業部 エキスパートマネージャー
2007年 北海道ホンダ販売(株)に入社。ホンダウィル旭川店で除雪機を含む農業機械の営業を担当。現在は、北海道内の販売企画を務める。
上林 裕幸
上林 裕幸
1975年より農機業界に就職し、1998年に北海道ホンダ販売(株)の前身である(株)ホンダウィル北海道に入社。
農機部門の営業として長く北海道における除雪機の販売企画を担当し、2015年に退職。
1975年より農機業界に就職し、1998年に北海道ホンダ販売(株)の前身である(株)ホンダウィル北海道に入社。
農機部門の営業として長く北海道における除雪機の販売企画を担当し、2015年に退職。
※肩書きは2020年9月時点のものとなります。

存在を知って貰うことから始まった
除雪機の販売

最近は、札幌を歩いていてもたくさんの除雪機を見掛けます。
上林
昔はね、除雪機なんてなかったんですよ。「投雪機」と呼ばれる機械を農家の方が使っていたんです。除雪機の先っぽだけみたいな機械でね、ハウスの横に機械を置いてスコップで雪を入れて飛ばすんです。農業用の機械しかないようなところに、海外から除雪機が入ってきたのが1970年代半ばの話です。
当時の除雪機はどのような機械だったのでしょうか。
上林
雪を砕いて飛ばす基本的な構造は今と変わりません。でも、作りは全然違います。寒いからワイヤーが凍結して、すぐに動かなくなるんです。そのたびに呼ばれて雪の中で修理です。Hondaも関連会社のアクトが開発した除雪機を販売していましたね。クローラが鉄製だったり、今振り返っても一般家庭が買うようなものではなかったですね。
1980年頃、当時はどのような方が除雪機を購入されていたのですか。
上林
お金持ちです(笑)。除雪機の種類も少なく40万円くらいしたんです。大卒初任給が10万円くらいの時代ですから、本当に高価な買い物でした。農家以外では、駐車場が広い医院などで購入されていましたね。
石川
私は、会社に入って数年たった1980年代の後半にHondaの「HS50」を購入しましたが、札幌市内で周りに使っている方はいませんでしたね。仕事で取り扱っているから情報を持っていただけで、普通の人は除雪機なんて知らなかったと思いますよ。
そんな時代の1980年に、HondaがHS35を99,000円で発売するんですね。
上林
値段は安かったけど1ステージ式の手押しだし、サイズも小さいから大変でね。カナダとか海外では良かったんだろうけど、北海道の雪には太刀打ちできなかった。結構売れ残ってしまってね、頑張って売りましたよ。
その後、1982年には2ステージのHS50が発売されます。
上林
ここからですよ。「HS50」は北海道の雪に対しても、しっかり仕事ができる機械でした。エンジンが大きくなった「HS70」が発売されてからは、除雪機も少しずつ一般家庭に売れる商品になりましたね。
石川
当時から、雪が降ると札幌市の除雪車が出動していましたが、排雪まではしてくれませんでした。道路の脇に雪を寄せていくだけなんです。その雪をスコップで一所懸命に崩すわけです。小さな「HS50」でも助かったものですよ。
上林さんと1985年発売の「HS80」。祖父は農業機械店を営まれておられ、除雪機との付き合いは長い
いつ頃から、除雪機が認知されるようになったんですか。
上林
1985年に発売された「HS80」が売れたんで、次の年に思い切って仕入れたら売れ残っちゃって。それで、チラシを大量に配ったんですよ。その後、1987年に出た「雪丸 HS555」ですね、これは価格も手頃で普及させようとボディカラーが3色もある期待のモデルでした。それを売れ残しちゃった(笑)。だから、チラシをいっぱい配って頑張って売りましたよ。
石川
少しずつですが使う人が増えてくると口コミで良さも広がります。除雪機は一度使うと便利さがわかりますからね。
一般家庭への普及を目指し、赤・ピンク・水色の3色が用意された雪丸HS555
売れ残ったというのは、雪が少なかったのですか。
上林
まだ普及していない商品だったので、価格だと思いますよ。当時は20万円を超えるような商品はなかなか売れませんでした。
石川
高価だから一生モノだったんですよ。当時は、定年退職した人が買ってずっと使い続けるような商品でした。エンジンも大きくなっているし買い替える方もいると思っていたんですけどね。
除雪機の販売は、商品を知ってもらうことから始める必要があったのですね。
上林
変わってきたのは1989年発売の「HS870S」くらいからですね。HST<油圧式無段変速>がついて使いやすくなったでしょ。それを分かりやすく伝えるために、Hondaの方で面倒がいらないってことで「メンドレス」というキャッチコピーでテレビCMを流したんですよ。当時、除雪機のテレビCMなんてなかったですからね。
石川
レバーが少なくて、操作が簡単そうなので「操作パネルをそのままカタログにしたらいいじゃないか」と言いました。私の意見が採用されたんですよ、きっと。
除雪機の普及活動も努める。さっぽろ雪まつりなどのイベントに出展したこともある

一つ一つを積み重ね、
Hondaと共に
除雪機を作り上げていく

その頃、1990年代からHonda除雪機は人気だったんですか。
石川
そんなことはないです。北海道では他メーカーの除雪機の方が売れていました。
上林
当時は、まだ技術が確立されていない時でしょ。だから、メーカーごとに色々と違いがあって、他社にはあるけどHondaにはない機能なんかもあったんです。
そういった課題は、どうやって解消されていったんですか。
上林
「Hondaの商品は負けてる」って声があって、Hondaと販売店と我々の3者で喧々諤々(けんけんがくがく)の議論をしたんです。苦情が多いと販売店も気持ちが荒れてるから言葉もきつくてね。実機を前にして見比べるんですよ。他社はスッと動くのにHondaはガチャガチャと操作しなきゃいけないなんて言ったら、Hondaの偉い人が怒って帰ってしまって。
本当にぶつかり合いの会議をされていたんですね。
上林
その会議をやったのが2月です。そしたら、その年の9月には改良した商品を発売してくれました。怒ったのは商品に自信を持っていたからだと思います。帰った後にHondaの中で発破を掛けてくれたんですね。そんな事を繰り返していくうちに商品も随分と良くなって、だんだんとHonda除雪機を選んで貰えるようになっていきましたね。
除雪機といえば機能性だけではなく信頼性も重要ですね。
石川
「Hondaのエンジンは掛かりがいいね」とは、ずっと言っていただけてたんですよ。「寒くても一発でエンジンが掛かる」と褒められるとうれしいものです。
上林
最初の頃はお店も販売を抑えていたと思いますよ。除雪機自体があまり実績のない機械でしょ。冬の吹雪の時に故障ばかりだと困りますからね。それがHST搭載の「HS870S」が登場したあたりから、お客様から故障で呼ばれることがなくなってきたわけです。事前点検を毎年すれば、故障もほとんど起きない。それで、思いっきり売っても大丈夫という意識が芽生えたのだと思います。
梶田
Hondaの方でも商品を改善し続けていますから、販売の現場でもシーズン前の点検をしっかりと行ってトラブルを未然に防げるように啓発を努めています。
北海道ならではの苦労もありますよね。
上林
北海道って寒いでしょ。だから、他の地域では何も起きないのに、北海道だけで起こる問題とかあるわけですよ。しかも札幌くらいじゃ起きない。もっと北の方、マイナス20℃になるような地域で起こるような問題です。
梶田
その手の問題って、対策をされて減ってきているけど、使い方もあるのでゼロにはならないんですね。私も会社に入ったころに、問題が起こると飛んで行ってました。
商品だけではなくお店と一体になってお客様を守っているわけですね。
梶田
クルマと同じですが、お客様の間に修理や点検のことは専門家に任せるという意識が高まっていると感じています。今は、工具があるご家庭も少なくなっています。そういった意味でもお店に求められる水準は上がってきていますね。

「除雪機のある幸せ」は
雪国の切なる想い

2001年にはハイブリッド除雪機が発売されます。
石川
最初に発売された「HS1390i」は機能的には優れた除雪機ですが、北海道だと少し大きい。北海道で売れ始めたのは、小型の「HSS1170i」が発売されたくらいからですね。その頃から徐々に40代くらいの方も買われるようになってきました。
以前は、「除雪機は定年後の買い物」ということでした。
石川
家を建てたタイミングという声が増えてきました。大雪が続いて大変な思いをした方も多かったですし、普及するようになって便利さが一般的になってきましたね。
その頃から、Hondaは「除雪機のある幸せ」というテレビCMを始めます。
上林
あれは、思い出深いです。私も足だけ出演させてもらいました(笑)。
上林さんが操作された「除雪機のある幸せ」の作業シーン。CMでは手作業の大変な雪かきが解消されることも共感を集めた
「除雪機のある幸せ」のテレビCMは北海道で撮影されたのですか。
上林
1作目のCMは札幌の郊外で撮影しました。CM15秒の中にドラマを作っていくわけですけど、雪国に暮らす者として嘘は付けないじゃないですか。実際に購入される方が納得してくれるリアリティがないと。時代劇の歴史考証みたいな気持ちですよ。
テレビCM撮影の様子。実際のお宅をお借りして撮影を行う
「ハイブリッド!」と機能を強調するのではなく、すごく情緒的な内容でした。
上林
それが良かったのですよ。それまで、私も含めて「便利だ、楽だ」と商品を売り込んでいました。でも、お客様が求めているのは「家族と過ごす時間」なんですね。そのための除雪機だったんです。言われてみると当たり前のことなのに、HondaからテレビCMの提案を受けて、スッと腑に落ちました。
雪国で暮らす方の琴線に触れるような内容だったわけですね。
上林
離れて暮らす親に除雪機をプレゼントするってストーリーが良かったですね。
石川
除雪機って、やっぱり高い買い物なんです。だから、最初の1台を買うときは、なかなか踏ん切りが付かないんですよ。子供が買ってくれたって話は本当に聞きますし、親としては嬉しいですよね。
2作目は、娘が雪かきを終わられておいてくれるという「除雪機のある幸せ」でした。
上林
ハイブリッド除雪機なら女性の方も操作が簡単ってことなんだけど、でしゃばってないのがいいんじゃないですか。販売店を集めた会議に、CMで除雪機を使った女優さんとお父さん役の方が来てくれて、即席トークショーをやったりして盛り上がりましたね。いろいろな形で「雪国をラクにしたい」というHondaの思いが届けられたんじゃないですかね。
石川
こういった取り組みもあって「除雪機といえばHonda」というイメージが醸成されていったと思いますよ。
例年開催しているHonda除雪機の取扱店を集めた会議。販売施策の他、安全に関する取り組みなども紹介している
皆さんのお話を伺っていると商売以上の気持ちを感じますね。
上林
雪国で暮らしているもんで、冬場は毎日のように除雪機を使っていますからね。雪国にとって、それだけ雪かきは日常なんです。だから、自分が「これはイイ!」と思った除雪機をたくさんの人に使ってもらいたいじゃないですか。
梶田
最近は、「10年使ったから買い替えよう」という方も増えてきています。「新しい除雪機も良かった」と言われると営業としてもやりがいがありますね。
石川
Honda除雪機は、お客様の期待に応えることで支持されるようになったわけです。だから、これからもお客様の期待を超えるHonda除雪機を開発して欲しいですね。我々も、しっかりと広めていきたいと思います。
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