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マイ・ワンダフル・サーキット 浅間から鈴鹿、そして世界のHondaへ―― リキさんのレーシング日本史

第15回
いよいよマン島へ


世界GPのウィニングマシンであるモンディアルの作りが華奢なことに驚いた開発陣を驚かせたもうひとつの「現実」は、そのライディング・スタイルだった。リキさんはいう。

「Hondaのライダーたちは、ほんとにこうやって乗るのか?! こんな格好で、これはどうやって動かすのか?!……と、思ったみたいね。(笑)」

いまでこそ当たり前な「超クラウチング・スタイル」だが、富士から浅間へと、ラフロードだけでレースをしてきた日本の「ワークス・ライダー」にとっては、マシンに腹這いになるようなライディング・スタイルは、まったく未知のものだったのである。

しかし、こうしていま第一線にあるリアルなレーシング・マシンを観察することによって、Hondaに、コンセプト革命と、またレーサーつくりでの「確信」も生まれたのだろう。
モンディアルに出会って3ヵ月のちの1958年12月、Hondaは社内において、「来年のマン島TTレースに出場する」という発表を行なう。

これにつづけて、年が明けるとすぐに(1959年1月)、Hondaはマン島にTTレース参戦のための視察団を派遣する。そして、このメンバーのひとりとなったのがビル・ハントだった。

「ただねえ、この調査もチョンボだらけでさ!(笑)」

リキさんは、笑って付け加えた。

その最大のミステークは、この調査団がリサーチの対象としたのが、マン島の「マウンテン・コース」だったことである。

たしかにTTレースは、この有名な公道コースで行なわれる。しかし、このときHondaがTTレース初参戦でターゲットにしていたのは125ccクラスであり、このクラスは、もうひとつのマン島のレーシング・コース(公道)である、短い「クリプス・コース」でずっと行なわれてきたのだ。

そして、もうひとつ。視察団の報告を受ける側である、在・日本のチームスタッフに、「舗装路でレースする」ということが、どうしても実感として伝わらなかった。これも、失敗といえばいえた。

しかし、これは無理ないことであったかもしれない。当時の日本には、ろくな舗装路がなく、そしてそもそも日本人の誰もが「ロードレースって何?」という状態だったのだから。

本田宗一郎は羽田空港にマン島選手団を出迎え、「もっとやれ! 俺の家なんか売っ払ったっていいんだ!」と叫ぶのだった。

「でもね、そんな参戦でも、Hondaは初めてのマン島で、6位を筆頭にして4人のライダーが完走した。そして、3人のライダーの成績による『チーム賞』も獲得した。これは快挙だと思います」

リキさんは語った。そして、「Hondaは、初陣を飾ったといっていいと思う」とも。

たしかに、TTレースに初めて参加して、その時点で「チーム賞」をかっさらうというのは、TTレースの長い歴史でも初めてのことだった。

この事実に現地の人々は驚き、そして、レース後に公開されたHondaのマシンを見て、もう一度驚愕するのだ。「まるで時計のようなエンジン」という有名なフレーズは、このマン島初参加時にHondaに贈られた、現地ジャーナリズムからの賛辞であった。

そうした精密さと、そして、「チーム賞」を導くような製品の「均一性」。そして、こんな「Honda」というメーカーを生んだのは、いったいどこなんだ?……ということでの、「日本」という国の発見!

Hondaのマン島挑戦は、以上のような意味でも、ニュースであり快挙であった。

「よく、ゲイシャ・フジヤマとかいわれるけど、この初めてのマン島のときは、まだ1959年でしょう。日本への外国の認識というのは、それこそ、それ以前の段階だったと思う。そこでいきなり見せられた、緻密なHondaのエンジン! これはほんとに世界を驚かせたと思うね」(大久保)

1959年 マン島TTレース 125ccクラス 結果
――――――――――――――――――――――――――――
  1 タルキニオ・プロヴィーニ MVアグスタ  10周 118.5km/h
  2 ルイジ・タベリ           MZ          10周 117.8km/h
  3 マイク・ヘイルウッド     ドゥカティ  10周 116.2km/h
  4 フューグナー             MZ          10周 115.7km/h
  5 カルロ・ウッビアリ       MVアグスタ  10周 114.6km/h
  6 谷口尚巳                 Honda RC142 10周 109.9km/h
  7 鈴木義一                 Honda RC142 10周 107.4km/h
  8 田中てい助               Honda RC141  9周 105.7km/h
  9 トミー・ロブ             ドゥカティ   9周 105.3km/h
 10 パースロー               ドゥカティ   9周 104.7km/h
 11 鈴木淳三                 Honda RC142  9周 102.7km/h
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レースを終え、マン島から羽田空港(当時)に帰ってきた遠征チームを出迎えたのは、本田宗一郎自身だった。そして、「全員が無事でよかった」と、まずはねぎらったあとで、本田宗一郎が以下のように叫んだという伝説が、いまに残る。

「もっとやれ! どんどんやれ! 俺の家なんか売っ払ったっていいんだ、徹底的にやれっ!」

(第十五回・了)

(取材・文:家村浩明)



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