Hondaパワープロダクツの様々な取り組みやニュースを、
取材を通してご紹介します。

パワープロダクツ The Topics

ホンダコレクションホールリニューアル
~パワープロダクツ編~

栃木県芳賀郡茂木町にある「モビリティリゾートもてぎ」内にあるHondaのミュージアムである「ホンダコレクションホール」が1998年の開業以来25年を経て大幅にリニューアルし、3月1日より一般公開を開始しました。
1998年に開業した「ホンダコレクションホール」は、創業から歴史をリードしてきたHondaの代表的な製品300台以上を展示し、世界中のHondaファンから支持され、多くの来場者を迎え入れてきました。
リニューアル前のホンダコレクションホールの内観
そして、開業から25年を経て、初めての大幅なリニューアルを実施しました。リニューアルのコンセプトは"ストーリー展示"。2階から4階までのフロアを年代別に4つの時代に分け、Honda創業時から2000年代に至るまでの製品を世の中に提供することになった理由や時代背景を解説しながら展示し、展示台数も厳選した170台程度で構成しています。

生活を支えるパワープロダクツの"ストーリー展示"

二輪や四輪と同じく生活を支えたパワープロダクツも“ストーリー展示”で製品が生み出された理由や時代背景を解説しながら製品が展示しています。

パワープロダクツ事業のはじまり

Hondaのパワープロダクツ事業は、自転車補助用エンジンF型が爆発的な販売を記録したことが事業創設の背景にあります。1950年代初頭に自転車補助用エンジンを見た農業機械メーカーが「背負い型農薬噴霧機」用の汎用エンジン開発をHondaに依頼したことがパワープロダクツ事業の始まりであり、Hondaは汎用エンジンを機械メーカーに供給(OEM供給)することによって「機械化により重労働を軽減すること」に寄与しました。
自転車補助用F型エンジン
汎用エンジンの供給を開始したHondaのパワープロダクツ事業ですが「エンジンは半製品。完成品をつくらなければ真の重労働の軽減は達成できない」という意志から、1958年に農機開発部門を新設。当時、農家が最も求めていた耕うん機の開発を開始し、1959年にHonda初の汎用製品としての完成品となる耕うん機「F150」の販売を開始しました。
Honda初の完成品となる汎用製品「耕うん機F150」

Hondaパワープロダクツ事業の始まり「H型エンジン」をはじめとしたパワープロダクツ事業創世記の展示

様々な分野への挑戦

1962年にSONYが推進していた「携帯用ポータブルテレビ」の開発に際して、SONYの井深大社長からHondaの創業者である本田宗一郎に依頼されたのが、携帯用発電機の開発。これがHondaの携帯型発電機のはじまりでした。また、船に乗ることが好きだった創業者の「水上を走るもの、水を汚すべからず」という信念のもとで参入を決めた船外機(1964年)など、戦争からの復興期から高度成長期に向かう時代に、生活に関与する様々な分野にHondaはパワープロダクツで参入していきました。

パワープロダクツの海外進出

1978年、Hondaは、BBC(Blade Brake Clutch)機構という画期的な安全装置を装備したHonda初の歩行型芝刈機「HR21」の販売を開始しました。芝刈り機はクラッチレバーを握ることで芝を刈る刃が回転して前進しますが、この安全機構はクラッチレバーを放すことで3秒以内に回転刃が停止する機構で、安全装置を強く望んでいたアメリカでHondaの芝刈機は瞬く間に広まりました。
未知の海外で、未知の新製品を開発して販売するというHondaのチャレンジは、要求されたニーズへの対応にとどまらず、自ら進化のための追求も続けました。「HR21」で採用したBBC機構は、その後アメリカにおける芝刈機の安全基準ともなり、結果として大きな社会貢献にもつながりました。
除雪機「S35A(左)」と芝刈機「HR21」

社会に貢献するHondaパワープロダクツ

停電が発生した場合、社会インフラで事故発生のリスクとなるのが信号機。停電時に信号機を稼働させるために、信号機の横に多く設置されているのがHondaの発電機です。目立たず、稼働しないほうが良いパワープロダクツですが、陰ながら社会に大いに貢献しています。
外壁や電柱にも取り付け可能な非常用発電機「E2010」と、自動起動発電機「EX4.5D-ATS」
リニューアルされたホンダコレクションホールでは、一世を風靡した二輪・四輪車や、華やかなレーシングマシンだけでなく、Hondaのパワープロダクツによって、多くの方の生活や社会に貢献してきた姿も見ることができるようになりました。是非一度、ホンダコレクションホールに足を運んでいただきたいと思います。