農業に挑戦するホンダ太陽(株)
1981年9月25日に設立され、2026年9月に45周年を迎えます。
そのホンダ太陽が、独自の新たな事業として農業に挑戦しようとしています。
ホンダ太陽は、Hondaの創業者である本田宗一郎氏と、1965年設立の日本初の障がい者就労支援施設である「太陽の家」創設者、中村裕博士との出会いから始まりました。
1978年に、ソニー(株)の創業者のひとりである井深大氏に誘われて「太陽の家」を訪れた本田氏が、「おい、どうしてだ。涙が出てきてしょうがないよ。どうしたんだ」「やろう!Hondaもこういう仕事をしなきゃダメなんだ」と言い、ホンダ太陽が設立されました。
ホンダ太陽の事業は、二輪車メーターの組み立てからスタート。現在では、二輪車・四輪車・パワープロダクツの部品組立に加え、CATIA(3D CADソフト)による各種データ作成、名刺作成、購買代行、電子化、3D造形、画像アノテーション、記念品制作、障がい者雇用定着コンサルタント業務などへ事業領域を広げ、障がいのある人たちの活躍の場を増やしています。従業員数は2026年3月の時点で380名、うち障がいのある人は227名、障がい者雇用率は59.7%となっています。特例子会社とは、一定の要件のもとで、親会社の障がい者雇用率の算定に特例が認められる子会社です。
「障がいのある人たちが働く環境ということで、一般の方はなにか特別な目で見ることが多いと思うのですが、私は『障がいもひとつの持ち味だ』と考えています」と言うのは、ホンダ太陽の鎌田雅仁社長。
ホンダ太陽 鎌田社長
鎌田社長は2020年6月にホンダ太陽の第7代社長に就任。
「社長に就任する前は、ホンダ太陽の存在は認識していましたが、障がいがある人たちが働く職場については、詳しく知りませんでした。赴任して最初に感じたのは、障がいのある人たちが、特別視されないこと。日常生活に不自由があっても、仕事や人とのコミュニケーションは、障がいの有無に関わらず、普通に行われていること。新社長ということで遠巻きに見られるだろうな、と心配していましたが、すぐに溶け込ませていただけたことに驚きが多かったです。障がいの有無とか、肩書とかにとらわれず、その人そのものを見てくれる、懐のある職場だと感銘を受けました」
施設は第1工場、第2工場に加えて、データビジネス棟、厚生棟から成り立っています。第1工場、第2工場では、Hondaの四輪や二輪・パワープロダクツの部品を生産するラインが主で、Hondaの名刺や記念品の制作から、紙データをデータ化する電子化業務、3D造形業務、購買代行業務などを行っています。また、ホンダ太陽の独自事業としてアパレルやグッズの企画制作も行っています。
一方、データビジネス棟では、Hondaの二輪車・四輪車・パワープロダクツの研究開発業務の一部を担っています。
四輪部品などを製造する工場内全景
データビジネス棟の様子。デスクの高さは70cmに統一されている。
工場で作業する障がいのある人は、主に身体障がい、知的障がい、精神障がいに分かれ、それぞれの障がいの度合いや内容に沿って作業を担当しています。工場やデータビジネス棟では、車いすでの作業がしやすいように着席する机の高さを70cmとし、食堂のテーブルやトイレの洗面台などもこの高さに統一。工場内の通路は、車いす同士が容易にすれ違える幅を確保していたり、車いす利用者の視界を遮る高さにパソコンのモニターを置かない、有事の際に聴覚障がいのある人に情報を伝えるパトランプを設置する、社員食堂の配膳台も車いすからトレイを取りやすいように低めに設定する、といった工夫をしているのです。
工場内は、車いす同士が容易にすれ違える通路幅を確保している。
社内のあらゆる場所に設置されている聴覚障がいのある人が気づきやすいパトランプ。
「ホンダ太陽では障がいの程度と作業内容に合わせて、各部署の責任者や設備担当者が作業しやすいように様々な工夫をするのも特徴的ですね」
実際に現場で確認すると部品や工具の置き場所ひとつでも作業者の作業性を最優先に工夫をし、完成した製品を載せるパレットの移動なども、独自で専用のものを製作するなど作業の効率向上を図っているのが見て取れます。
障がいに合わせたデスクを使用する従業員も。足で操作するキーボードは、自ら工夫して作成したもの。
完成品をパレットに入れて次の工程へ搬送する仕組みも設備担当者が独自で作成。
ホンダ太陽は、障がいのある人たちが活躍できる職場環境の整備や雇用のノウハウを蓄積し、Hondaからの業務を受注しながら、特例子会社としてHondaの障がい者雇用に貢献してきました。
しかし、鎌田社長は企業運営を進めるうちに、ホンダ太陽の将来を見据え、新たな柱(事業)を構築する必要性に駆られたと言います。
「ホンダ太陽の事業は親会社のHondaからいただく業務で成り立っています。しかしそれが、結果として、親会社が助けてくれるという “甘え”体質になってしまう傾向があります。また、Hondaの業績によって仕事量に影響が出てしまいます。ですから、甘え打破や事業安定性向上を目指して、もう一歩踏み出そうと考えたのです」
そのため、ホンダ太陽独自でアパレルや記念品の企画製作販売を開始し、Hondaの関連施設やホンダ太陽独自でのインターネット販売を実現。ホンダ太陽の地元・日出町(ひじまち)のふるさと納税返礼品にも採用され、地域のお祭りや音楽フェスでも販売しています。加えて、創業以来45年間で培った障がいのある人の雇用・定着ノウハウを活かしたコンサルタント事業も開始。Honda本体の雇用定着コンサルに加え、お取引先の障がい者雇用特例子会社設立のアドバイザーを務めるなど、実績を上げつつあります。
ホンダ太陽オリジナルのグッズやアパレル商品
そして、ホンダ太陽が新たに挑戦しようとしている事業が農業なのです。
ホンダ太陽のある大分県は森林資源の多い林業の地として有名ですが、ふぐや関アジ・関サバに代表される漁業の地でもあり、またかぼすやシイタケなど、特色ある農作物の産地でもあるのです。
「実家が農家であることや、昨今の米価格問題、自給率問題などもあり、以前から社会課題としての農業に関心がありました。ここ日出町に来て休耕地が多いことも驚きで、社長就任後には徐々に農業に対する思いが高まってきました。実は、障がいのある人たち、特に知的や精神に障がいのある人たちにとって、農業は親和性が高い仕事です。それは作業を細分化でき、個々の理解度や体調に合わせた役割設定が可能で、比較的シンプルで反復性のある工程で習熟が容易という点。自然との触れ合いが情緒の安定やストレスを軽減。成長や収穫という『目に見える成果』が達成感・自己肯定感を生む、などです。しかし、収益性を考慮すると難しいというのが事実でした」
障がいのある人たちとの親和性は高いものの、収益性を考慮すると難しい農業。では、どうしてホンダ太陽が新たな事業として農業に挑戦するに至ったのでしょうか。
※続く