耕うん機編
Vol.01
農村の労働を楽にするために
戦後の厳しい農業環境の中でHondaの耕うん機は、戦後日本の農業を発展させる大きな一助となりました。
1940年代前半の日本は、人口7,200万人ほどの約4割が何らかの形で農業に関わる農業中心の国でした。
しかし戦後から徐々に農業従事者は減少し、農業における労働力不足が深刻な問題となっていました。
そして、1950年代の経済成長期になると、若年者を中心に都市への人口流出が加速し、農業に従事するのは女性と高齢者が主流となり、深刻な労働力不足が起こってしまいます。そのため、農作業の負担を軽減し労働力不足を解消するために機械化が急務な状況でした。
このような状況の中、Hondaは、汎用エンジン「H型」を開発して農業機械メーカーに供給を開始し、「T型」「VN型」などの農発=農業用発動機と呼ばれた汎用エンジンで、日本農業の近代化に貢献しました。
また、1956年に農業機械化促進法が制定されたことを受け、Hondaは1958年に農業機械開発部門を新設。当時の農家の戸数およそ600万戸に対して、最も重労働である畑や水田の土を耕す農業機械の耕うん機普及率はわずか約5%ほどでした。
そこでHondaは、より多くの農家に手が届く耕うん機の開発に乗り出したのです。農業機械部門では「Hondaエンジンの付いた製品を1家に1台導入することで、労働の大変さを軽減し、生産性を上げて豊かな国にしよう」をテーマに開発に挑戦しました。
1959年、Honda初の耕うん機F150誕生
Hondaは畑や水田に必要な農業機械として、耕うん、畝立て、整地が可能な耕うん機の開発を決定。農業機械開発部門は、耕うん機を開発するにあたって、当時農業の主流だった女性や高齢者も簡単に扱えるものが必要と考えました。
当時、農業機械の多くは、働き盛りの男性が使用することを想定していたため、大型で重量があり、操作も複雑なものが多かったからです。
Hondaは誰もが扱いやすい耕うん機を実現するために、軽量・コンパクトで耐久性が高く、経済的であることをコンセプトに開発を開始。そして1959年、Honda初の耕うん機F150の販売を開始しました。

F150は排気量154ccの空冷2気筒エンジンを倒立に搭載することで低重心化を図りました。これは上部が重いエンジンの構造を考慮し、重い部分を下にレイアウトすることで扱いやすさを向上させるのが狙いでした。加えて、倒立にしたことで空気の吸入口が上部になるため、機械の下部分まで水に浸水することがある水田作業にも効果的でした。

エンジンは耕うん機では世界初となるOHV方式を採用し、当時主流だったベルトによるダイレクト駆動を自動遠心クラッチと前進3段+後退1段ミッションに副変速機をつけた前進6段+後退2段方式を採用したことで、ベルト式の欠点だったスリップによる動力ロスがない高い走行性能も実現しました。自動遠心クラッチとは、スーパーカブC100にも搭載した、レバーの操作を必要としない変速可能なクラッチ方式です。このため自動車の普及率の低いこの時代に、F150は牽引車としても使用される姿が多くみられました。
そしてF150では、それまでロープを引いてエンジンを始動するリコイルスタータータイプの耕うん機が主流だったものをハンドル部のボタンによる始動としました。また、前進・後退の切り替えや加速・減速などの操作を、すべて手元のハンドル周辺に集中して設置。これにより耕うん機の操縦の多くが手元で可能となりました。

さらにハンドル取り付け部分にダンパーを装備し、エンジンの振動を手元に伝えない構造としたことで、長時間の作業での疲労軽減を図りました。また、エンジンと可動部分がむき出しになっている耕うん機が多い中、このエンジンと可動部分をカバーで覆ったことで、安全性を高めた上に、真っ赤でおしゃれなボディカラーとともに、黒色などの暗い色の多かった耕うん機のイメージを一新し、「田畑を真っ赤に埋めるHonda旋風」と評価され、農作業機の世界を変えていきました。
そして、HondaはこのF150を12万円の価格で販売。この価格は、競合他社が17~22万円で販売していたのと比較して5万円から10万円も安価なもので、前年に販売を開始したスーパーカブの効果で、全国的にHondaの認知度が高まっていたことも追い風となり、F150は発売と同時に非常に多くの販売台数を記録。耕うん機の市場規模が数千台の時代に、年間2万台という販売台数を記録。あまりの人気のため、生産していた浜松製作所にトラックで乗りつけ、完成したばかりのF150を引きとる販売店もあったほど。これが全国で稼働し、田畑を赤い耕うん機が走るという風景が次第に広がっていきました。
汎用エンジンを開発した1953年から6年後の1959年にHondaは二輪車に続く完成機として農業機械の分野へ耕うん機F150で参入を開始しました。すべては、当時の社会状況を背景に、人々の暮らしを技術で楽にしたいというHondaの信念からはじまったものです。