Hondaパワープロダクツプロダクト ヒストリー

Hondaパワープロダクツの歴史を商品カテゴリー別でご紹介します。

Honda汎用エンジン誕生

戦後間もない日本で、人々の暮らしを楽にしたい、生活に役立つ道具を作りたいと考えたHonda。やがてその思いが、自転車用補助エンジン、スーパーカブへとつながり、パワープロダクツの誕生へ進んでいきます。

「こんなのができたから、お母さん、乗って走ってみろよ」

1946年、Hondaの創業者である本田宗一郎氏は、一台の補助動力が付いた自転車を自宅に持ち帰ります。お母さんというのは、さち夫人。さち夫人は、人どおりのある表通りを、ひと目につくからと『一番きれいなモンペをはいて』(さち夫人)、その補助動力付きの自転車で走り回ったといいます。

「私が自転車を漕いで、食料の買い出しに行く苦労を見かねてあれをつくったなんてカッコイイことを言ってますけど、そんな気持ちも少しはあったかもしれません。だけどそれより、女でも扱えるかどうか知りたかったのが本音だわね」(さち夫人)

さち夫人は、ひとしきり走ってからこう告げました。

「お父さん、一張羅のモンペが油でベッタリと汚れちゃってる。これじゃぁ駄目ですよ、買ったお客さまに叱られてしまいますよ」(さち夫人:※01「語り継ぎたいこと」チャレンジの50年」より)

モンペが汚れる原因は、キャブレターから出た混合油の吹き返しでした。その後はきちんと改良した自転車用補助エンジン(通称:バタバタ)を、1946年9月に設立した「株式会社 本田技術研究所」の第一号商品として10月に販売を開始しました。

1946年10月発売のHonda 自転車用補助エンジン(通称:バタバタ)

その後、Hondaの自転車用補助エンジンは「A型」エンジンに発展して1947年11月に発売を開始。そして自転車用補助エンジンは、乗っても衣服の汚れが少ないようにと、後輪部分に取り付けることが可能な「カブF型」にまで進化し、1952年の発売に至りました。

1947年11月発売のHonda A型エンジン

1952年6月発売のHonda カブF型

そして1953年、Hondaの「A型」や「カブF型」の評判を聞きつけた農業機械メーカーの共立農機(現・株式会社やまびこ)から、背中に背負う構造の噴霧器「背負式散粉機」に使用する小型エンジン開発の要望を受けました。1948年9月24日に、新たに「本田技研工業 株式会社」を設立し、常々、農村や漁村で過酷な労働を強いられていた人々を各地で目にしていた、当時のHonda社長、本田宗一郎氏は、機械化して彼らの労働を軽減する何かが作れないか、Hondaのエンジン技術を使って、日本を貧困から救えないか、という考えを持っていました。その思いに合致するきっかけが、この汎用エンジン開発。これが、現在の「Hondaパワープロダクツ」のスタートとなりました。

背負式散粉機は、戦後の日本農業が機械化を図る中で、耕うん機、脱穀機とともに需要が高かった農業機械です。Hondaは、前年の1952年に販売を開始した「カブF型」の2ストロークエンジン基本レイアウトを使用して開発に着手。そして1953年10月に販売を開始した「H型エンジン」は、小型軽量で、取り扱いの簡単さが評判になり、発売から半年で月産5,000台以上を生産するまでになりました。これが、Hondaとして初となる他社へのエンジン供給=OEM(Original Equipment Manufacturer)の始まりでした。

1953年10月発売のHonda H型エンジン

「H型エンジン」は、果樹園や畑での噴霧器だけにとどまらず、散粉機としての使用をはじめ揚水ポンプなどにも使用され、また遠くブラジルのコーヒー園でも広く使用されることになりました。

しかし「H型エンジン」を使用したユーザーからは、賞賛と同時に多くの改良の声も寄せられました。そこでHondaは、軽量で汚れにくく、出力の高い4ストローク汎用エンジンの開発を1954年8月からスタート。4か月後の1954年12月には、出力を「H型エンジン」の1馬力から2.5馬力に向上させた4ストロークの「T型エンジン」を発表。1時間連続運転で、ガソリン消費量はわずか約0.54Lという低燃費を実現した小型エンジンは、高出力でありながら、背負い式や肩掛けなど、様々な角度で使用しても、エンジンが停止することがありませんでした。また2ストロークエンジンに比べて、エンジン音が静かで振動が少なく、燃やされたエンジンオイルを排出しないため、ユーザーにとって優しい汎用エンジンとなりました。

1954年12月発売のHonda T型エンジン

1955年発行の本田技研工業社史(※02)には「T型エンジンが二十九年十二月に発表されると、其の優秀性能即ち一時間連続運転でガソリンの消費量僅か三合、二・五HPの出力、完全防水、手動ロープ引式始動、振動皆無、エンジンを如何に傾けてもエンストせず等、農家をして垂涎たらしめるものである」と高い評価を得たことが記されています。

そして「T型エンジン」開発と販売を機に、Hondaの汎用エンジンは噴霧や散粉用に留まらず、動力カルチベーター(除草、培土作業を行なう農作業機械)、耕うん機や建設用機械、発電機など様々な分野で使用されるようになっていきました。

そのためHondaは、「T型エンジン」に続いて、1956年に4ストロークの「V型エンジン」を発表し、出力を4馬力に向上させました。さらに1958年には発展型の「VNC型」と「VND型」の販売を開始し、最高出力を5PSに向上しました。

「VNC型エンジン」と「VND型エンジン」は、小型軽量でありながら、自動遠心クラッチとリコイルスターターを採用することで始動性の向上も図り、アルミ製ファンカバーの採用で静粛性を向上させるなど、さらなる進化を果たしていました。

1956年発売のHonda VN型エンジン

1958年発売のHonda VNC型エンジン

終戦から間もない1953年に、農業機械メーカーの依頼を受けて開発した汎用エンジンからスタートしたHondaのパワープロダクツ事業は、農業分野だけでなく、建設分野など幅広い業種のメーカーへ汎用エンジンのOEM供給をすることになりましたが、その後も汎用エンジンを中心に世界中の様々な分野で、さらなる活躍をしていくことになります。

参考文献
※01 平成11年 本田技研工業発行 「語り継ぎたいこと」チャレンジの50年
※02 平成11年 本田技研工業発行 本田技研工業株式會社社史(7年史復刻版)

Honda汎用エンジン、世界市場へ

1953年にスタートしたHonda汎用エンジンは、噴霧や散粉用にとどまらず、農業機械や産業機械に使用されるなど世の中に広がりました。困っている人を助けたい、大変な仕事をHondaエンジンで手助けしたいという思いは、自社製の耕うん機の開発と販売、そして次なる汎用エンジン開発につながっていきます。

100万人の作業を機械化するためのエンジン

Hondaの汎用エンジンは、1953年のH型からT型、そしてVN型まで着実に発展。軽量・コンパクトで扱いやすく、耐久性と信頼性に加え出力も向上させ、幅広い方々に扱いやすく、様々な作業を手助けするという役割を果たすことになりました。
出力も1馬力から4馬力へと進化させ用途も拡大。農作業や工事現場で発生する、これまで人や道具を使って行ってきた作業を機械化させたことで、創業者・本田宗一郎氏の思いである、Hondaのエンジン技術を使って日本を貧困から救いたいという信念が少しずつ実を結んでいたのです。

そして1960年代を迎えるにあたって、Hondaは汎用エンジンを他社メーカーに供給するだけでなく、汎用エンジンを搭載した耕うん機や、船外機、発電機などの自社開発商品を次々に発売。いずれも本田宗一郎氏の信念を形にした商品として様々な作業の機械化に貢献しました。

そのような中で、Hondaが新たに開発をスタートさせた汎用エンジンが、世界に通用することを念頭においたG型エンジンでした。G型エンジンは、社内でME構想とも呼ばれたもので、MEはミリオンセラー・エンジン(以下 ミリオンエンジン)の略。つまり100万人の作業を機械化することを目標としたエンジンでした。
ミリオンエンジンが目指したのは、H型からT型、VN型と同じく、軽量・コンパクトで騒音が少なく、低燃費なエンジン。100万台売れるということは、100万人の仕事を楽にすることだ、という信念から開発を開始したのです。

ミリオンセラー・エンジン構想に基づいて開発されたG150(左)とG200(右)
ミリオンセラー・エンジン構想に基づいて開発されたG150(上)とG200(下)

そのためG型エンジンの開発では、信頼性の高さに加え、丈夫で長持ちである耐久性を重視して開発し、1977年にG150・G200として販売を開始しました。4ストロークエンジンは、エンジンオイル量が少なくなると、エンジンの焼き付きを起こして壊れてしまいます。これに対応すべくG150・G200では、エンジンオイルの残量が規定よりも少なくなる前に自動的にエンジンを停止させる「オイルアラート機構」を開発して採用しました。
現在では当たり前となっている機構は、大きなトラブルが生じる前に、エンジンを停止させてオイル補給の必要性を知らせることで、トラブルを未然に防ぐことを可能としたのです。

G150・G200は、東南アジアで「店頭に並べなくても、どんどん売れる赤白のエンジン」という現象まで生み出し、タイやインドネシアではG150・G200を長いシャフトでプロペラ(スクリュー)に接続した「ロングテールボート」として使用する方々が急激に増加するなど、漁業や小型船舶移動の機械化に貢献しました。

G200エンジンを搭載したロングテールボート(タイ)

同時に、他農業機械や産業機械メーカーへエンジンを供給するOEM販売も強化し、発売年の1977年に年間30万台の販売を記録。そして、発売から5年目の1982年にはME構想の目標であった年間100万台の販売台数を達成し、東南アジアを中心に世界的なヒット商品となりました。

HondaはG型エンジンを主に業務用にターゲットを絞って開発しましたが、より多くの方々の作業を機械化するためには、一般の方々にも使いやすい幅広い用途で市場をさらに拡大していく汎用エンジンの開発が必要と、新たなエンジンの検討をはじめました。

これが、現在Honda汎用エンジンの主流となっているGX型エンジンです。GX型エンジンの検討段階では、ME構想を遥かに超えるZE(ジリオンエンジン:途方もない数・未知数を意味する言葉)を合言葉に開発を開始しました。
開発コンセプトはG型エンジンより軽量・コンパクトで、さらに高出力で低燃費、高い静粛性と耐久性を併せ持つエンジン。折しも1970年代に巻き起こった第二次オイルショックをはじめとする石油危機の経験から、時代は省エネルギーに傾き、低燃費には大きな期待が向けられました。これらを実現するために、G型エンジンで採用のサイドバルブ(SV)ではなく、低燃費に効果的なオーバーヘッドバルブ(OHV)エンジンの開発を決定したのです。

このエンジンの開発で最大の課題は、G型エンジンを主とするSVエンジンを前提として規格化されているOEMメーカー側の搭載寸法から外れないこと、つまり搭載互換性を最大限高めるための仕様構築でした。

そして、1983年にGX110・GX140の販売を開始。発売当初は、既に支持されていたG型エンジンに対して新型エンジンを投入したことに対する疑問の声がありましたが、経済性や軽量化、さらには使い勝手の良さが評価されるにつれ、GXエンジンは汎用エンジンとしての完成度の高さゆえ、中国を初めとする多くのエンジンメーカーがOHV機構や傾斜シリンダー、低重心設計を模倣することで多くのGXのコピーエンジンが出回るほど、汎用エンジンの代名詞とも称される地位を確立しました。

燃料経済性にすぐれたOHV機構を採用したGX110(左)とGX140(右)
燃料経済性にすぐれたOHV機構を採用したGX110(上)とGX140(下)

さらには各OEMメーカーの作業機の仕様に合わせてエンジン各部を調整する「エンジンマッチング活動(アプリケーションエンジニアリング)」を積極的に実施し、GXエンジンは発売と同時に「ZE」エンジンとしての宿命を果たし、Hondaパワープロダクツ事業を支える基盤製品へと成長しました。

さらに多くの作業の機械化に向けて

Hondaは耕うん機や発電機、芝刈り機などHondaが販売している商品と競合するメーカーには、汎用エンジンのOEM供給をしていませんでした。しかし、この壁を取り除くことによって、より多くの人が機械化することによって苦しい作業から解放されるという信念に基づき施策を転換し、競合メーカーへのOEM販売を開始。大幅に販売台数を伸ばす結果となり、より多くの方々の作業を機械化するに至りました。

そして、1997年にHondaはGX22とGX31の販売を開始します。このエンジンは、社内でM4(=ミニ4ストローク)エンジンと呼ばれ、ハンドヘルド(手持ち式)の動力作業機である刈払機などへの搭載用に開発した小排気量の4ストロークエンジンです。

エンジンの傾きに影響を受けない360°自在傾斜を達成したGX22

GX22エンジンを搭載した刈払機「刈丸4 UMK422」

当時のハンドヘルド市場では、ほとんどの商品が軽量で扱いやすい2ストロークのエンジンを搭載していました。しかし、2ストロークのエンジンは潤滑油を一緒に燃焼させるため、焼やした潤滑油が混じった排気ガスが排出され、耳障りな甲高いエンジン音や、始動性の悪さ、またガソリンにエンジンオイルを混ぜた混合燃料を準備しなければならない手間暇が欠点とされていました。
その点、4ストロークエンジンは、静音性に優れ、2ストロークエンジンと比較して排出ガスもクリーンでした。しかし、ハンドヘルド製品は、作業者が機械を上下に角度をつけて動かしながら作業をすることが多いため、エンジンオイルの潤滑経路を一定に保つことができないこと、また2ストロークエンジンと比べ、部品点数が多くて重い4ストロークエンジンは、ハンドヘルド製品への搭載は不可能と考えられていました。

しかしHondaは、エンジン傾斜に対して影響を受けない「ロータリースリンガーポンピング潤滑システム」を開発。その機構をGX22に採用することで、どのような姿勢でも安定してエンジンを運転できるようにし、世界初の「360度自在傾斜超小型軽量4ストロークエンジン」を誕生させました。
その後継モデルであるGX25では「油中タイミングベルトOHC構造」を採用したことで、更なる小型・軽量化を実現しました。Hondaのハンドヘルド製品だけでなく、多くのOEMメーカーにも採用され、快適な作業環境の提供に貢献しました。

Hondaエンジンで機械化して、作業を楽にしたいという、1953年から始まった汎用エンジンに込めた信念はGX型エンジンへと受け継がれているのです。

世界標準モデルとHondaパワーユニットの未来

1953年に汎用エンジンH型の販売から始動したHondaのパワープロダクツ事業。そこには「技術で世の中の役に立ちたい」という、創業者・本田宗一郎氏の信念がありました。あれから70年以上を経た現在、Hondaのパワープロダクツ事業は、次の世代を意識しています。

1983年、ZE(ジリオンエンジン ジリオン=途方もない数、未知数の意)を目指して発売が開始されたGX型エンジン。この商品が、発売と同時に世界各国で高い評価を獲得し、Hondaパワープロダクツ事業を支える基幹商品へと成長します。

GX型エンジンが特に評価されたのは、耐久性が高く、誰にでも扱いやすい軽量コンパクトさに加え、さらに低燃費が示す経済性や、使う人のメンテナンス負担を大幅に軽減した点でした。
GX型エンジンの特徴は、それ以前のG型エンジンの基本構造であるSV(=サイドバルブ)から、さらに高出力で低燃費、そして静粛性を併せ持つOHV(=オーバーヘッドバルブ)を採用したことです。SVエンジンよりも少ない部品点数を達成し、製造・販売コストの低減を実現しました。
また、エンジンの基本性能についても、エンジン始動を容易にするメカニカルデコンプレッションや、メンテナンス性に優れたポイントレスのトランジスタマグネット点火に代表されるような、多くの新機構を採用。さらに、エンジンの搭載適合性についても、開発時に目標としていたサイズよりも約30%の小型化を実現できたことで、従来のエンジンを搭載していた完成機にそのまま搭載を可能とする開発目標も達成しました。これらの新しい技術への挑戦が、GX型エンジンを「汎用エンジンの業界スタンダード」とまで言われるほどの評価を得ることにつながったのです。

エンジンの始動性やメンテナンス性に優れたポイントレスのトランジスタマグネトー点火方式を採用したGX240(1985年発売)

GX型エンジンは発売と同時に販売台数を伸ばし、年間300万台という目標にもあと一歩というところまで迫り、最大市場の北米や欧州に加えて、東南アジアでも高い評価を得ることになります。
しかしその反面、GX型エンジンの基本構造である「OHV機構の傾斜シリンダー」という商品コンセプトを、世界の汎用エンジンメーカーが採用したことで、Hondaは競合他社と、新たな競争を迫られることになりました。そこで、製品の改良を継続して性能を向上しながら、コストダウンも図り、東南アジアやアフリカの新興国への対応も実現しました。
Hondaの新興国への対応では、農村や漁村でサービスキャラバンというサービスを展開。定期的に修理や調整を実施する、アフターサービスという概念を新興国に普及させました。
調子が良くない製品は調整し、トラブルがあった製品は修理するというアフターサービスの考え方は、販売価格の安さを重視している競合他社では対応できない展開でした。特に、当時急速に力をつけていた、低価格のみを売り物にする新興メーカーでは、商品にトラブルが発生した場合は、新たに商品を購入しなおすことができる価格設定とし、購入段階で壊れやすい部品は同梱するような販売方法を取っていたほどです。
その結果、Hondaの商品は耐久性が高く、部品の供給も早く、サービス体制も充実しているという評価がHondaのブランド価値を高めました。このアフターサービスという思想は、創業以降継続してきた、Hondaの二輪や四輪の考え方を踏襲したものでした。

GX型エンジンの評価は他メーカーに汎用エンジンを供給するOEM販売にも影響を与えました。一般的にOEM販売においては、競合他社へ自社製品を供給することはありませんが、Hondaは、自社と競合関係にあるメーカーに対しても汎用エンジンを供給しています。草刈り機や除雪機、水ポンプ、耕うん機などの様々な製品をHondaは販売していますが、同様の製品を製造・販売する競合メーカーにも、汎用エンジンも供給しています。

OEM製品の例

これにはHondaのパワープロダクツ事業が持つ思想が影響しています。それは、Hondaが単独でパワープロダクツの完成機を販売しても、それを購入したお客様だけしか幸せにできませんが、OEM販売を介して、Hondaの汎用エンジンを搭載した商品が増えることで、より多くの方々を幸せにする可能性が高まります。この思想こそ、「技術で世の中の役に立ちたい」という創業者・本田宗一郎氏の信念に繋がっています。
また、Hondaの汎用エンジンは、建設業界で使用される建設機械の動力として様々な建設機械メーカーに採用され、結果として世界におけるHondaのOEM販売台数は、パワープロダクツ事業の約70%弱を占め、現在のHondaのOEM供給先は世界50か国、2000社を超えるまでになりました。

OEM製品の例(建設機械)

そして、Hondaの汎用エンジンは今、新しい時代に向けて動き出しています。それが、環境性能やカーボンニュートラルなど、新たな時代への適合です。
Hondaでは、2005年に世界初※1となる新開発の電子ガバナーシステム(=エンジン回転数電子制御技術)を搭載したiGX型エンジンを発表。これは、Hondaが新たに開発した、バッテリー不要の回転数電子制御技術で、エンジンの回転数とスロットル開度を常時監視し、エンジン出力を一定に保持するものです。たとえば草刈り機を使用中に、回転刃に草が絡まり、エンジン負荷が増して回転数が低下するような局面でも、設定されたエンジン回転数を維持する技術です。

※1 2005年Honda調べ:単気筒汎用エンジンとして

電子制御技術採用の汎用エンジン「iGX440」

このiGX型エンジンは、世界で最も厳しい排出ガス規制であるEPA(=アメリカ環境保護庁)規制値と、CARB(=カリフォルニア大気資源局)規制値を約30%も上回る排出ガス低減を実現し、アメリカのみならずカナダ、EU、オーストラリア、中国等の厳しい排出ガス規制をクリアする等、世界最高水準の環境性能を達成。さらに競合メーカーの製品と比べて、1時間あたりの燃費を約15%向上させ、騒音においても約4dBの低下を実現しました。

※燃費に関してはEPAモード運転、騒音に関してはEU騒音規制・発電機測定モードです。

さらに、カーボンニュートラルに関しても、Hondaはバッテリーとモーターの組み合わせで動力を得る「eGX」の商品化と販売を実現しました。精密な電子機器を搭載するバッテリーとモーターの基本構造を、エンジンより高いレベルで冷却し、本来は厳禁の粉塵や振動にも耐えられる構造としたことで、「排出ガスゼロ」を実現し、来るべきカーボンニュートラル時代への第一歩を踏み出しました。

小型作業機用電動パワーユニット「eGX」

eGXは2021年6月より、完成機メーカーに対してOEM販売を開始し、2022年にはリースを開始。2022年3月にはeGXを搭載したコマツの電動小型ショベルカー「PC01E-1」が発表されるなど、今後様々な導入が進むことで、騒音や排気ガスが課題の住宅街工事や夜間作業などで、課題解決の一助となることが期待されます。

厳しい使用環境条件をクリアする電動パワーユニット「eGX」は、さまざまな建設機械に搭載されている。

もちろん、自動車やオートバイと比べて環境負荷も高くない小型建機や農機具が、すぐに厳しい排出ガス規制を受けるとは考えにくいとも言えますが、Hondaは「その日」に備えて準備を整えています。

Honda創業から5年後の1953年に、農業噴霧機用として開発した初の汎用「H型エンジン」から70年以上。今ではHondaの汎用エンジンは、Hondaの完成機に留まらず、世界中の農業機械や建設機械などの動力源として様々な作業機械に搭載されています。時代の流れとともに、動力源はエンジンから電動などのパワーユニットに変化していくと思われますが、「技術で世の中の役に立ちたい」というHondaの信念は今後も様々な形で人々の生活を支えていきます。