パワープロダクツ Behind The Scenes

意外なところで活躍している
Hondaパワープロダクツの世界をご紹介します。

全日本トライアル選手権チャンピオン
小川友幸選手を支えるHondaパワープロダクツ。

「電源...ですか。ないですね...」
(TEAM MITANI Honda 小川友幸選手)

日本の2輪モータースポーツで、ロードレース、モトクロスと並ぶ競技であるトライアルで、いま絶対王者と呼ばれる選手がいます。それが小川友幸選手。

小川選手は2013年~2023年のMFJ全日本トライアル選手権シリーズで11年連続の全日本チャンピオンを獲得し、通算で13回もチャンピオンになっています。

小川友幸選手(写真右)
トライアル競技は、2輪モータースポーツの中で唯一、スピードではなく「セクション」と呼ばれる難所をクリアする技術を競う競技です。自然の地形を利用して、岩や崖、時には雨にぬかるんだ泥斜面や横たわる丸太などの障害物が設定されたセクションを限られた時間内に周回します。セクションで足が接地したり、タイヤの一部でもコース外にはみ出してしまうと減点され、この減点の少なさで勝敗が決まる競技なのです。「クリーン」と呼ばれる減点ゼロを目指して、各選手が技を競い合うのです。
自然の地形の中に人工物が設置されたセクション等をクリアしていく
セクションに臨む前に、各選手はどうクリアしていくかを念入りに下見します。

北海道・千歳に広がる「和寒(=わっさむ)トライアルパーク」。自然の地形を利用した広大な敷地の公園で開催された全日本トライアル選手権。チームがマシンの整備などを行うパドックエリアは、各セクションから少し離れた公園の駐車場に設定されていました。

参戦チームはこの駐車場にテントを張ったり、トラックなどのトランスポーターを停めてピットを設営しますが、駐車場なのでパドックエリアには当然、電源などは用意されていません。このため、小川選手が所属するTEAM MITANI Hondaチームは、テント裏にHondaの発電機「EU26i」を設置し、マシンのメンテナンスや、走行後のマシン清掃に使用しています。

小川選手のパドック裏に設置された発電機「EU26i」
「マシンは基本的にレースに出場できる状態で持ち込んでいますが、決勝レースは基本的にセクションを2周するので、1回目に走り終わった後に発電機にエアコンプレッサーをつないで洗車することもありますね」
1回目と2回目の走行の合間には、エアコンプレッサーを使ってマシンを清掃することも。

さらにトライアルで重要なのは、タイヤの空気圧チェック。トライアルでは、空気圧の細かい調整が勝負を決します。

「タイヤの空気圧は、一般道を走るバイクが2.0kg/cm³や2.5kg/cm³なのに対し、トライアルの競技車では0.3kg/cm³とか0.5kg/cm³というとても低い空気圧です。斜面や障害物にタイヤを『食い込ませる』ことでセクションを進んでいくので、トライアルマシンのタイヤは手で押してもベコベコなんですよ。コースの特徴に合わせて細かく管理をするので、電源がなかった時代には手押しのエアポンプでいちいち管理していました。今もアマチュアのトライアル選手は、自転車用の手押し空気入れを使っていることが多いです」

後輪をみれば、空気圧の低さがよくわかります。

小川選手は9歳の頃に、まず自転車のトライアル競技をスタート。父親がアマチュアのトライアル選手だった影響で、練習場で自転車に乗ったり、子ども用のミニバイクで遊んでいたのだといいます。

「小さい頃はサッカー選手になりたかったんですけど、トライアルの真似事ですよね、それで遊んでいたのがすごく楽しくて。最初は自転車のトライアル競技から始めて、14歳で自転車トライアルの世界チャンピオンになったんです。その頃はもう、オートバイでトライアルも始めていましたね」

小さい頃からオートバイに親しんでいたと言うと、ロードレースやモトクロス選手を目指すケースが多いのですが、小川選手はトライアルを選択。

「だってロードレース、知らなかったんですもん(笑)。モトクロスはあとになって知りましたけど、いわばトライアル純正培養。自宅が三重県四日市だったので、鈴鹿サーキットは知っていましたけど、遊園地っていう認識でした(笑)。あと、当時は鈴鹿サーキットに『Hondaバイアルスパーク』っていうトライアル場もあったので、そのイメージしかなかったです」

自転車トライアル世界チャンピオン獲得の翌年には、オートバイトライアルへ転向。すぐに1991年・1992年には参戦したクラスでチャンピオンになり、1993年には全日本選手権の最高峰クラスでランキング2位を獲得。1995~1996年には世界選手権にも参戦するようになり、1997年に帰国してからは2007年に全日本選手権最高峰クラスのチャンピオンとなりました。

「最初に全日本チャンピオンになったのが15歳、初めて最高峰クラスのチャンピオンになったのが31歳ですから、考えてみれば長いですよね」

トライアルに限らず、オートバイのモータースポーツでは、30歳代前半が選手としてのピークといわれるなか、小川選手は31歳から冒頭のように13回もチャンピオンに君臨。2024年には47歳になりました。この年齢でチャンピオンになっているなんて、世界的にも稀なケースです。

「若い頃に思い描いていた現役生活とはかなり違ってきましたけど(笑)、もちろんそのための努力もしているし、ライバルに負けたくない気持ちもまだまだ強い。本当は体の負傷箇所とかをきちんとケアして治したいんですが、なかなかその時間がとれません」

小川選手には選手権に参戦するトップライダーのほかに別の顔があります。それは、小川選手が主宰する「GATTIスクール」。小川選手は20年にわたって、トライアル競技を日本に広めるべく、主に子どもたちを対象としたトライアルスクールを開催しています。

「トライアルスクールを運営するには、まず自分がトップ選手でいることが大事。全日本チャンピオンがやっているスクールだから生徒さんも集まってくれるし、イベントでのデモンストレーションも観に来てくれる。レース、スクールとスケジュールを組むと、どうしても体のケアをしたり、トレーニングの時間がなくなっちゃうのが悩みです」

デモンストレーションやスクールでも、発電機や蓄電機は重要なアイテムです。スクールは、トライアル場や許可をもらった広場でやるから電源はありません。スピーカーとアンプの電源は、デモンストレーションやスクールに欠かせません。

「ワイヤレスマイクをつけて、その音声をスピーカーに飛ばして、トークしながらセクションをクリアするの、日本で僕がいちばん上手いんじゃないかなぁ(笑)。日本のトライアル界のために、っていうと大げさですが、スクールやデモンストレーションはこれからもずっとやっていきたいですね」

小川選手が教えた子供たちが、小川選手と同じ土俵で勝負を挑んでくる、というケースも増えたといいます。現在、小川選手と同じく全日本選手権で戦っている武田呼人選手は、小学2年生のときに小川選手のトライアルデモンストレーションを見てスクールに参加するようになり、今では小川選手を脅かす存在になろうとしています。

武田 呼人選手

「その内、スクールで教えた子どもたちに負けちゃうんでしょうね。でもそうならないと、トライアルって競技が発展していかない気がします」

こういった小川選手の想いにも、Hondaの発電機がひと役かっているのです。

Hondaのパワープロダクツは世界のモータースポーツを支えています。

小川選手が所属するTEAM MITANI Honda