Technology

すべては、エンジンからはじまった。

それはすぐれた品質と信頼性で、
世界中の人々に欠くことのできないPowerとなった。
日々の仕事のなかで、余暇を過ごすなかで、
それは、単なるエンジンを超えて、
人の心を、生活を、夢を動かす動力源となった。

エンジン

故障が少ないと評判になった自転車用補助エンジン

 1946年に発売した最初の自転車用補助エンジンは、無線機の発電用エンジンを流用したものだが、オイルで衣服が汚れることを防ぐ改良を施していた。また、出荷前にすべて分解、整備をおこない、再組立の後に試運転もおこなった。終戦直後の物がない時代、動くだけでも充分だったが、少しでも故障が少なく、使いやすいエンジンに仕立てる手間暇は一切惜しまなかった。

その結果、「Hondaのエンジンは故障が少なくよく走る」と評判となった。500基の在庫は底をつき、新エンジンの開発に着手した。完成したHonda初のオリジナル市販エンジン「ホンダA型」は、2ストローク空冷単気筒50ccだった。

より扱いやすく壊れないと評判になったA型エンジン

 「ホンダA型」はダイキャスト鋳造を前提に設計。ダイキャスト鋳造は削粉を出さず、材料も少なくて済み、工程が少ないなどのメリットはあった。反面、大量生産には効果的だが、初期投資が莫大で規模の小さな創業期のHondaで採用する手法としては無謀とも言えた。しかし、「同じ苦労をするのなら先にしろ」と、将来を見越しダイキャスト鋳造の採用に踏み切った。

 「ホンダA型」は、高温になる排気管をフレームに沿わせ下側に排気するよう配置し、安全性にも配慮した。当時はネジの精度が低く、ゆるむことがよくあった。ナットがゆるんでもすぐに大きなトラブルが起きないよう、今までにはない工夫を各所に施していた。さらに特殊工具がなくても分解組立が出来るような設計もしていた。「ホンダA型」を取り扱う自転車店の評判も高かった。

取り付けも容易なカブ号F型は大ヒット作になった

 「ホンダA型」は1951年まで続くロングセラーとなった。続いて設計した補助エンジンの「カブ号F型」は、軽量化と走行安定性を更に向上させて設計された。当時の日本の平均的なサラリーマンの初任給3ヶ月分に相当する2万5千円という高価な自転車用補助エンジンだったが、価格以上の高品質が評価され、発売を開始した年だけでも累計2万5千台が生産される大ヒット作となった。

 「カブ号F型」を発売した1952年は、終戦から7年が経過して日本経済の復興も進捗していた。建設業や農業、漁業など人力に頼っていた動力源の機械化も進んだ。

Honda初の汎用エンジンH型は背負散粉機用として開発された

 「カブ号F型」を発売した1952年は、終戦から7年が経過して日本経済の復興も進捗していた。建設業や農業、漁業など人力に頼っていた動力源の機械化も進んだ。Hondaは初の汎用エンジンとなる「H型(強制空冷2ストローク50cc単気筒、1馬力)」エンジンを1953年販売を開始。

 主要部品はアルミダイキャスト化を採用し、総重量6kgの軽量コンパクトなエンジン。重労働であったエンジン始動もロープ手動2回で始動可能と好評で、背負式散粉機用エンジンとしてOEM供給もされた。また、「H型」エンジンはブラジルのコーヒー園向けなどに5000台近くを輸出した。

 当時の汎用エンジンは、振動や音、臭いという弱点を持つ2ストロークエンジンか、大きく重く、扱いが困難な水冷ディーゼルや石油発動機が主流だった。これを4ストローク化することで低振動や、低燃費、低臭を実現し、耐久性の向上も可能となる。反面、構造は複雑化して、高コスト化になってしまう。

4ストロークエンジンのT型

 しかしHondaは、4ストロークエンジンの開発に挑戦。1954年12月、コンパクトで、未経験の人にも扱いやすい農業用発動機「T型」エンジンの販売を開始した。

 2.5馬力にパワーアップした「T型」エンジンには、農機特有の斜め状態でも安定した使用が可能な初の自社開発キャブレターを装着。マフラーにも、高温で変色にくい処理を施し、使い勝手の向上に加えて、デザイン性の向上にも配慮した。

 1950年代も半ばから経済成長は加速した。農村の若者は労働力として都会へ移動、若者の減少が顕著になっていた。

 1953年、農業生産力増進と農業経営改善を目的とした農業機械化促進法が制定され、1956年に自動脱穀機の普及は全国農家戸数の半分に当たる270万戸数に達していた。労働力不足による農家の機械化は確実に進んでいた。

 日本における農機市場は専門メーカーによる寡占状態で、新規メーカーが参入する余地はないように見えた。

 当時の農機具は、大型で重く、取り扱いも困難なプロユース仕様が主流であり、誰もがすぐに簡単に使える農機具は見当たらなかった。

 このような状況の中でHondaは「一家に一台、Hondaエンジン付き商品を入れることで、労働を軽減し生産性を上げて、豊かな国にしたい」との思いを強め、1958年農機具設計部門を新設した。

 Hondaがエンジン単体だけではなく、完成品としての「暮らし製品」の開発へと歩み始めた。もちろん「技術で人を幸せに」にするために。

芝刈機

 現在アメリカやヨーロッパを中心に広く普及している芝刈機。1970年代は全世界で約850万台、北米だけでも500万台超を販売する大きな市場だった。

 しかし、当時の芝刈機には始動性に問題があり、故障も頻繁に生じる製品が多かった。また、安全性にも課題を抱えていた。高速で芝を刈るブレードが回転する芝刈機は扱い方を誤れば事故につながる。しかし当時は安全装置などがほとんど装備されていなかった。このため、エンジン停止をせずに、カッターハウジングに詰まった芝を取り除こうとして生じる事故が多発した。当然、安全装置の法制化も検討されたが、技術的な課題が多く先送りされていた。安全性と扱いやすさの両立を求める声が次第に高まっていた。

 日本は当時、まだ一般的に芝刈機は普及していなかった。このためHondaにとって芝刈機の開発は、大きなチャレンジだった。開発に際して、Hondaは現地での実態調査を優先した。使用環境やユーザー要望に加え、様々な芝を採取して栽培。芝の成長具合や刈り取り具合から、刈った芝の処理方法に至るまで徹底的に調査した。

Honda初の芝刈機HR21はBBC機構やバキュームアクションなどを採用

 調査の結果を基に研究と開発を重ね、1978年にHonda初の歩行型芝刈機「HR21」の販売を開始した。「HR21」はブレードの回転により強い風を作り出し、寝ている芝を立たせてから刈り取る「バキュームアクション機構」を採用。

3種類の異なった芝刈作業に適した使用方法の選択を可能とした。最初のシチュエーションは刈った芝生を大容量のグラスバッグに収納して廃棄する「バギング式」。2つ目のシチュエーションは連続して作業する場合に、一旦刈った芝を放出してから後に回収する「ディスチャージ式」。3つ目のシチュエーションは短い(伸びていない)芝を細かく裁断して放出する「マルチング式」である。

 また、操作性の向上を目的として操作関連のコントロール類などは手元に集中配置した。搭載したエンジンは、始動性や耐久性に優れ、静粛性も兼ね備えた「GV150」型を選択して採用した。

 また、安全面に関しては積極的な安全思想に基づき開発した独自の「BBC(Blade Brake Clutch)機構」を採用。これは、クラッチレバーを握ることでカッターブレードが回転し、クラッチレバーから手を放すとカッターブレードにブレーキかかり3秒以内に停止する安全に配慮した技術だった。「BBC機構」はこの安全に対する配慮に留まらず、利便性にも配慮した構造を採用。具体的には、カッターブレードが停止してもエンジンは運転を続け、作業再開時には再始動の手間が不要のシステムとした。このHondaが開発した「BCC機構」は、世界初の芝刈機用安全装置として、アメリカにおける芝刈機の安全基準を促進する要因となり、歩行型芝刈機全体の安全性を飛躍的に向上させるキッカケとなった。

 高品質で安全に配慮したHondaの歩行型芝刈機は、欧米を始め世界各国で好評を得た。Hondaは1984年にアメリカで芝刈機工場の稼働を開始。その後もフランス、オーストラリアなどに工場を作り、現在も各地の需要に応えている。

 現地でのニーズを的確に汲み取り、新しい機能を搭載した「HR21」には、Hondaの技術力と日本人視点の細部に渡る配慮を施した。その結果、美しい芝の刈り取りと、使い勝手の良さや高い安全への配慮を実現した。

1990年芝刈機では世界で初めてHSTを採用したHRC216

2005年、リーフシュレッダー機能を追加したHRX537

 「HR21」の基本的な構造や機能は、その後改良と熟成を重ねて後継モデルに受け継がれた。搭載するエンジンは進化したものに変更し、芝刈り機能以外の部分にも独自の機構を次々と投入した。例えば、作業に応じて速度選択を可能とした「油圧無段変速機構HST(Hydro Static Transmission)」、レバー操作だけで走行速度のコントロールを可能とした「VST(Variable Speed Transmission)機構」や軽量で耐久性に優れた強化樹脂製ハウジング(カバー)に、エンジン始動が簡単なオートチョークなど。

 また、芝の刈取り方法をバギングからマルチングまで可変にコントロールできる「VMS(Variable Mulching System)機構」や、刈り取った芝の処理も、落ち葉裁断が可能な「リーフシュレッダー方式」を追加。

 操作性の向上では、簡単操作で速度調整を可能とした「スマートドライブシステム」に、最高速度設定をダイヤル式で行う「セレクトドライブ機構(2015年発売)」など、様々な改良と最新技術の投入を続け、Hondaの芝刈機は確実な進化を続けている。

プログラムを入力すればあとは全自動で芝を刈るMiimo

 このような状況の中で、2000年代になると高齢化や余暇の多様化などの影響もあり、ヨーロッパではロボット芝刈機が登場した。Hondaも2012年に「全自動ロボット芝刈機Miimo」を開発して欧州販売を開始した(日本では2017年に販売開始)。

 Miimoは「安心して任せられる」(高い安全性)、「簡単に使える」(簡単な操作性)、「快適に過ごせる」(高品質と耐久性)という3つをコンセプトに開発。ロボット芝刈機としては後発の参入であったが、高い技術力で既存メーカーの魅力を上回った。

 Miimoは、芝に設置したエリアワイヤーによって芝刈範囲を限定。Miimoはエリアワイヤーからの信号を受信し、作業範囲を認識して芝刈り行う。多くのロボット芝刈機が同様の方式を採用しているが、この場合、受信する信号の質がロボット芝刈機の作業性に大きく影響する。その点Hondaは独自開発の高質な信号により、周辺機器への影響を考慮しながらも、確実に作業を継続できるようにした。

 また、Miimoは安全面にも配慮を施している。仮に、本体が転覆や持ち上がるような状況となった場合、芝刈用のブレードは自動で緊急停止する。さらに、Miimoが障害物と衝突した場合も、自ら障害物を回避して作業を再開。これらの異変を感知するセンサーはすべて二重配置することで、万が一の想定にも対応している。1つのセンサーが故障した場合、別のセンサーにより故障検出を行い、安全に停止できるようになっている。

 Miimoは簡単なプログラム入力作業が必要だが、これにより自動的に最適な作業を実施する。プログラムによりエリア内を巡回して、芝の延びた部分を刈り取り、刈った芝は芝の根元に落とことで回収を不要としている。また、充電は自らステーションに戻って実施し、充電完了後は再び作業に着手する。防水仕様のため雨天時も屋内に収納する必要はない。

 Miimoには芝の状況に応じた走行パターンとして「ランダム」「ジグザグ」「ミックス」という3モードを設定。25度までの傾斜面にも対応し、トラバース走行(斜面の横断走行)能力も高く、平地や斜面に捕われずきれいな芝刈りを可能としている。

 HondaはMiimoのデザインにも拘わった。攻撃的で直線的なデザインではなく、芝生の上を走るペットを連想させる優しい曲線を基調としたデザインもMiimoの大きな特長としている。Miimoは、安全に対する配慮と、高い品質と性能により欧州で好評を得て、日本や北米での販売を開始した。

 歩行型芝刈機は、実用性に加えてホビーとしての人気も根強い。これに対してMiimoは「24時間365日」常に芝の状態を見極め、美しい理想の状態を維持する。Hondaの芝刈機は、幅広いラインアップで顧客のニーズに対応している。

 1953年の「H型」エンジン以来変わることのない「技術で人を幸せにする」という、Hondaパワープロダクツの理念は、人の労力や時間の軽減であった。芝刈りにおいて全自動化を実現したMiimoは、人に代わって自動で作業を実施するという、パワープロダクツの目標を達成した形といえる。しかし、これが終着点ではなく、より質の高い作業を効率よく実現する芝刈機への新たな出発である。

発電機

 必要なときに、必要な場所で、必要な電気を供給するHondaの発電機。世界中の多種多様なニーズに対してHondaは、持ち運び可能な携帯タイプから、より大容量の業務用発電機や停電時自動運転を行う非常用発電機まで、幅広いラインアップで応えている。

軽量コンパクトで扱いも簡単なE300は携帯発電機という新たなジャンルを生み出した

 その第一歩は小さな携帯発電機の「E300」であった。

 エンジンを使用した発電機の歴史は古く、Hondaの原点である自転車用補助エンジンも旧日本陸軍の無線機発電用エンジンを流用したものであった。1950年代の発電機は、軍用、工場用など用途が限られており、大型で取り扱いが煩雑、騒音も大きかった。

携帯発電機誕生のきっかけとなったE40

 1962年、ソニーのマイクロテレビ用電源の開発を申し出たHondaは「E40」を試作した。「E40」は既存の発電機の概念を大きく変える、携帯可能な小さな発電機であった。「E40」は商品化には至らなかったが、小さな筐体に必要な機構を収めるという前代未聞の技術力を生かし1965年に量産型の携帯発電機「E300」の販売を開始する。

「E300」の開発テーマは、「小型軽量で持ち運びに便利」「静かで誰でも手軽に取り扱える」「機械を思わせない家電製品なみのデザイン」であった。小さな筐体に収めるために専用設計した55.2ccの4ストロークサイドバルブエンジンは、長時間運転を可能とするバルブローテーター機構、軽量化と静粛性を両立させた世界初のタイミングベルト駆動カムシャフトなど新たに開発された技術を投入。アタッシェケースをイメージした小さな筐体に配置されたシンプルなスイッチ類は取り扱いも簡単であった。

 発売当初Hondaは主にレジャー用を想定していたが、使い勝手の良さから工事現場などの業務用の需要も多く、累計50万台を販売する大ヒットとなった。

 さらに「E300」は、安全を考慮した携帯発電機に関する法律制定のために多くのデータを提供し、以降登場する携帯発電機の安全性向上にも貢献した。

携帯発電機の代名詞的な存在になったEX400デンタ

 1979年、「E300」は、出力を引き上げ、電圧を一定に保つ自動電圧制御装置などを採用した「EX400」にモデルチェンジ。より使い勝手が向上した「EX400」は、年間10万台以上を全世界で販売し、日本では「デンタ」の愛称で親しまれ携帯発電機の代名詞にもなった。

 1990年代に入ると、パソコンや高機能の精密電子器機製品が急速に普及しはじめた。これらの精密電子機器は、家庭用コンセントに供給されている電気(いわゆる、きれいな波形の正弦波)の使用を前提に設計されていた。大規模な発電設備で作られる電気とは異なり、エンジンを回して発電を行う携帯発電機は、従来の方式は、波形に乱れが生じてしまった。また、世界的にも高まる環境問題に対応するため、より低燃費、低騒音、低振動の発電機の開発も必要であった。

きれいな波形の電気を供給することができるGENE21シリーズのEU9i

 Hondaは「壁コン(家庭の壁にあるコンセント)に追いつき追い越せ」を目標に、低排出ガス、低騒音、低振動を目指し、きれいな正弦波を供給するという難題にチャレンジ。高速多極アウターローター式オルタネーターと正弦波インバーターを開発、1秒間に数万回の演算を行うクラス初のCPU制御式によってきれいな波形の電気を供給可能な携帯発電機「GENE21シリーズ」の販売を1998年に開始した。

 オルタネーターの極小化と軽量化(従来品の約1/2)により、1kVAクラスのEU9iではクラス最軽量級の13kgを達成。二重防音構造によりヨーロッパの厳しい騒音規制(EN)もクリア。さらにエンジン回転数を自動制御するエコスロットルの採用により燃料消費量は20〜40%減少。排出ガスや騒音の低減にも成功した。また、2台の発電機を接続して大きな出力を得られる並列運転も可能とした。

 21世紀を見据えて設計された「GENE21シリーズ」は、出力を増強したモデルや超低騒音型のモデル、さらに電子制御燃料噴射装置採用したモデルなどラインアップも充実させた。熟成と進化を続けるHondaの「赤い発電機」は、屋外レジャーでエアコンも使うような大出力が求められる北米や欧州を始め世界中で、高品質ブランドの代名詞として定着。「GENE21シリーズ」の生産産累計は2006年に早くも100万台を越えた。

頑丈なフレームにセットされたE1000はプロの現場で重宝された

 Hondaの発電機は携帯型だけではなく、より大きな出力を必要とする業務用のニーズにも応え、1965年に「E1000」の販売を開始した。頑丈なフレーム付きボディに収められた「E1000」は、従来の無骨な発電機とは異なり、スマートな外観として扱いやすく、耐久性、信頼性も高く、プロの現場においても高い評価を受けた。

高い防音製を兼ね備えたEM3000

 都市部で増加する夜間工事用などでは高い静粛性が要求された。そこで1973年には大出力かつ低騒音の消音型発電機「EMシリーズ」の販売を開始。開発の最終段階において、開発担当責任者の自宅前で真夜中に試運転を実施したが、全く気がつかれなかったというエピソードを残すほど静かな発電機となった。「EMシリーズ」は、高い静粛性が評価され、映画やテレビ制作現場などでも幅広く使用された。

 多様化する発電機のニーズに対応し、携帯できる小型発電機からプロ用の大出力発電機まで、幅広いラインアップを揃えたHondaの発電機は、1978年に発電機の生産累計が100万台を越えた。

 一方、世界では大規模な災害が頻発しており、災害時の非常用電源として発電機の有効性がクローズアップされていた。日本においては、1995年1月未明に発生した阪神淡路大震災で広域停電が発生。交通信号が作動せず交通機能がマヒ。近隣都市からの救急活動や支援物資輸送の大きな障害となった。この事象に対してHondaは、停電時に自動起動して復旧後は停止する自動起動式の非常用発電機を開発。屋外設置でも20年間使用可能な塗装を施し、「使われない方がいい発電機」を日本全国の500ヵ所以上に納入した。

 さらに、2011年に発生した東日本大震災ではインフラは一瞬で破壊。携帯発電機の有効性が図らずも実証された。Hondaは東日本大震災の教訓を生かし、入手が困難であったガソリンに変わり、比較的入手しやすかったプロパンガスの使用が可能な防災向け発電機「EU9iGP」(2012年4月)と「EU15iGP」(2014年4月)を開発した。

カセット型LPGガスを燃料としたエネポ9iGB

 1965年に「E300」を販売して以来、長年にわたり発電機の研究開発を重ねたHondaは、発電機に用いられる燃料にも着目。カセットガスを燃料として使用する、ガスパワー発電機「エネポ9iGB」の販売を2010年に開始。カセットガスはガソリンに比べ、購入や保管が容易であり、「エネポ9iGB」は、発電機を初めて扱うという人々にも好評を得た。

発電機とは異なる発想の蓄電機E500

 さらにHondaは、従来の発電機と発想が異なる蓄電機「リベイドE500」の販売を2017年から日本で開始した。内蔵したリチウムイオン電池に、家庭用のコンセントや自動車のアクセサリソケットから充電して持ち運ぶ蓄電機。初代「E300」をオマージュしたコンパクトなボディの重量はわずか5.3kgで、持ち運びがより簡単になった。最大の特長は排出ガスが発生しないため、室内や車内、テントの中など屋内での使用を可能とした。また、インバーターなど内部冷却用の電動ファンは装備されているが静粛性も非常に高い。取り扱いもコンセントやUSB端子を接続してボタンを押すだけの簡単な仕様。正弦波インバーターの搭載でパソコンやスマートフォンなどの精密器機にも対応している。

 消費電力の大きい電気製品を使用する場合は、「GENE21シリーズ」「エネポ9iGB」等のより出力の大きいHonda発電機と接続して使える並列運転機能も装備。家電感覚で手軽に扱える蓄電機「リベイド E500」は、長年にわたり発電機の研究開発を重ねたHondaだからこそ出来る発想と技術による、新たなチャレンジの始まりでもある。

 Hondaが作り続けてきた「発電機」と新たに開発した「蓄電機」──この似て異なる二つの「持ち運びのできる電気」がもたらす可能性は限りなく広がる。

耕うん機

 1940年代初頭の日本は、人口約7200万人の約半分が農村に居住する農業国であった。しかし、第二次世界大戦中に男手は兵役に就き、敗戦(1945年)後の労働力は不足していた。また1950年代からは驚異的な経済成長期に入り、農業の次世代を担う若者は経済成長の担い手として都会へ流失、農業の労働力不足が深刻化した。このような農業を取り巻く環境の変化に対して労働力不足を補い、効率的な近代化を推進するために農作業の機械化は必然であった。

 このような状況の中、Hondaに対して農機具メーカーから動力散粉エンジンの提供を要請された。Hondaは1953年に、2ストロークエンジン「H型」を開発してOEM供給を開始。続いて4ストロークの「T型」エンジン、パワーアップ版の「VN型」エンジンなど農発(農業用発動機)を開発し、日本の農業近代化の一翼を担った。

 1950年代の農業機械は、耕うん機や脱穀機などに、農発を組み合わせて使うタイプが主流であった。しかし、このタイプでは作業の度にセットアップを実施しなければならず、始動から運転まで「慣れ」と「コツ」を必要とし、誰もが容易に使用可能なものではなかった。また、可動部分や機械部分はカバーなどの保安部品のない剥き出し状態で、安全面にも課題があった。

 HondaはエンジンのOEM供給によって「機械化により重労働を軽減すること」に寄与した。しかし、「エンジンは半製品。完成品をつくらなければ真の重労働の軽減は達成できない」という意志から、1958年に農機開発部門を新設。

当時、最も農家が求めていた耕うん機の開発を開始し、1959年にHonda初の汎用製品としての完成品となる耕うん機「F150」の販売を開始した。

Honda初の汎用製品となった耕うん機F150

 「F150」は「世の中にない革新的なもの、10年先取りした耕うん機を」というコンセプトで開発され、小型軽量で、誰にでも簡単に扱うことができた。また、自動車が普及していなかった当時の日本では、トラック代わりの牽引車としての機能も併せ持たせた、利便性の高い耕うん機を実現した。

 「F150」は日本の農業事情に合わせ、エンジンを倒立に配置することにより低重心化を実現し、ミッションと一体構造でコンパクト化も達成した。「F150」は低重心化を実現したことで安定した走行に寄与し、自動遠心クラッチと3段ミッションを装備したことで高い走行性能を実現し、農耕用だけではなく工場などの牽引車としても採用されるほどであった。

 「F150」では操作系もすべて手元に集中し、スーパーカブにも使われた遠心クラッチの採用により容易な操作・操縦を実現した。経験値が必要だったエンジン始動は手元のレバー操作だけで可能とし、振動に対してもハンドル取り付け部分にショックアブソーバーを装備することで軽減した。また、エンジンと可動部分を一体化し機械部分をカバーで覆った(フルカバー)ことで安全性向上に寄与したばかりでなく、スマートな真赤なボディカラーを実現し、これまでの耕うん機のイメージを覆し、農作業のイメージを一新した。

 Hondaが従来とは異なった目線で開発した「F150」は、「田畑を真っ赤に埋めるホンダ旋風」とさえ言われるほど大好評を得た。当時の農機業界は大きなショックを受け、以降の農機開発に大きな影響を与えた。

F150をパワーアップしたF190

万能機のFシリーズは運搬用の牽引車としても使用された

 1960年代になると、より効率的な農作業のために、さらにパワーが求められた。そこでHondaは1961年に排気量を拡大したパワーアップ版「F190」の販売を開始。1963年には、「F190」をHondaの汎用製品の完成品として初めてフランスに輸出を実施した。小型軽量でハイパワーの「F190」は、フランスでぶどう園などの小農場用として使い勝手の良さと性能が高く評価された。1968年にはさらにパワーアップした改良型の「F80」へモデルチェンジ。「F150」の基本構造とデザインを受け継いだ耕うん機は、モデルチェンジを繰り返して13年間の長きにわたって販売した記録的なロングセラーとなった。

Honda初のディーゼルエンジンを搭載したF90

The F60 specialized in tilling work.

簡単にエンジン脱着可能な小型機F25

 1970年代になると農家からの要望は多様化するようになり、耕作面積や作業内容にマッチする耕うん機が要望された。Hondaは万能機「F190」よりも小型軽量で耕作作業に特化した安価で堅牢な「F60」、耕作能力を大幅に高めHonda初の空冷ディーゼルエンジンを搭載した9馬力の大型機「F90」、重量がわずか37kgでコンパクトなボディに折りたたみ式ハンドルの装備や、脱着可能なエンジンによりポンプや脱穀機の動力としても使用可能なポータブル型の「F25」など、幅広いバリエーションで農家のニーズに応えた。

 しかし、耕うん機が広く普及した1970年代以降、日本の農業は大きな転換期を迎えた。当時、日本は高度経済成長によって農業国から工業国へ変換。農業人口は大きく減少し、農業の形態も家族単位の小規模な農業から、大型機械による大規模農業が主流となった。これに伴って農機具も専門性の高い大型機に移行していった。

 この傾向に対して都市部では、耕作放棄地などを使用した小さな家庭菜園が趣味として人気を集め始めていた。

初代のこまめF200は1980年に登場、ホビー用耕うん機の先鞭をつけた

 これらの農業構造の変化に呼応する形で、Hondaは、新たなチャレンジを開始する。「初めて耕うん機に触れる人でも、簡単に使えるように」というコンセプトで、1980年にホビー用の超小型耕うん機「こまめF200」の販売を開始した。

 「こまめF200」の重量はわずか25.5kgと軽量。持ち運びも容易で、折り畳み式のハンドルの採用で車のトランクへの収納も可能とした。「こまめF200」の操作は、引き荷重の軽いリコイルスターターでエンジンを始動してレバーを握るだけの簡単操作を実現。可愛い見た目とは異なりHondaが蓄積した耕うん機のノウハウや、遊星ギアを応用した減速装置などを組み込んだ本格的な仕事の出来る超小型耕うん機であった。

 「こまめF200」は小さな畑や家庭菜園など大型機が入れない山間の畑、果樹園用などの作業に最適であり、販売開始当初の予想に反して農家の購入が圧倒的であった。

 「こまめF200」は、テレビコマーシャルや販促活動によって広く認知され、ホビー用としても一気に普及。パリの農業ショーでも発表されると、評判は広まり、発売初年度だけでも世界で4万台近の売り上げを記録した。

こまめF200はモデルチェンジを繰り返し、2016年四代目のこまめF220に

 ホビー用耕うん機という新たな需要を掘り起こした「こまめF200」は、その後登場した他メーカーのミニ耕うん機が「○○のこまめ」と呼ばれるほどミニ耕うん機の代名詞にもなった。2001年にはモデルチェンジした三代目の「こまめF220」が販売され、2016年には四代目の「F220」を発売。全世界累計販売台数は55万台(2016年時点)の大ヒット作となった。

より小さくとの要望で誕生したミニこまめF110は、2002年プチなFG201へと進化。
2016年にはデザインなどが変更された

 新たに形成されたホビー用の市場では、「より小型軽量で安価な耕うん機」や「高くてももっと簡単に耕せる耕うん機」などニーズが多様化した。1993年にHondaは「こまめ」よりも小型軽量の入門機「ミニこまめF110」の販売を開始。2016年にモデルチェンジした「プチなFG201」に受け継がれている。

簡単かつ高い耕作能力を実現したサラダF300

 また、2003年には、ロータリー(回転する耕作部分)を車体前方に配置することで、優れた直進安定性を実現した上級機種の「サ・ラ・ダFF300」の販売を開始。フロントロータリーの内側のツメは正転、外側のツメは逆転するHonda独自のARS(Active Rotary System)を採用することで、一定の深さで安定した耕うん機作業が可能となった。

カセット型LPGガスの脱着も簡単なピアンタFV200

 さらに2009年には、ホビー用の使用方法に着目し、燃料の「保管」「補充」と、本体の「持ち運び方法」を考慮した「ピアンタFV200」の販売を開始した。

 「ピアンタFV200」は、ガソリンよりも「保管」や燃料「補充」が簡単で安心なカセット型LPGガスを燃料とし、指定のカセットボンベを専用のケースに入れて、本体へのワンタッチ着脱が可能な構造。エンジンは、ガソリンタイプの「プチな FG201」をベースに開発。配管内の圧力が異常に上がるとエンジンを停止する圧力探知弁や、エンジン停止時には自動で燃料供給を遮断するシャットオフバルブなど独自の安全機構を装備。また種まきなど耕うん機が使われることが多い時期の外気温を考慮して、排出ガスの熱を利用してガス燃料を効率よく気化させるベーパライザなどの新機能を搭載した。

 さらに、簡便な移動が可能な手押し用車輪と、自動車のトランクや室内に積載可能な専用のスタンドとキャリーボックスを標準装備。ホビー用に求められる「カンタン燃料」「カンタン移動」「カンタン収納」を実現した。

 「ピアンタFV200」は、購入者の実に9割が初めて耕うん機を購入する層であり、さらに新たな需要を掘り起こすことに成功した。

 土を耕すという、自然を相手にするHondaの耕うん機は、もちろん世界で最も厳しいとされる米国の排出ガス規制や、欧州騒音規制もクリア。クラストップレベルの低燃費など高い環境性能も実現している。

 農家の負担を大きく軽減した「F150」に始まったHondaの耕うん機は、農家の需要に合わせ変化を遂げ、広く普及させる大きな原動力となった。そして農業を取り巻く時代の変化と共に、Hondaは誰も顧みなかったホビー用の超小型耕うん機にチャレンジ。土を耕す喜びと楽しさを多くの人に伝えた。

 もしもF150がなかったら、もしもこまめがなかったら──、農機専業メーカーではない、エンジンメーカーのHondaだからこそ可能な、柔軟な発想と技術力によるチャレンジが、農業に与えた影響は決して小さなものではない。

除雪機

 国土の約半分が豪雪地域である日本では、除雪作業は人力により行なわれていた。1960年代になると冬季の輸送は馬が牽くソリに頼っていた豪雪地域にもモータリゼーションが波及、主要道路の除雪のため徐々に除雪機が普及し始めた。

 当時の除雪機は大型で騒音も大きく操作も複雑な業務用機で、一般家庭での除雪は相変わらず人力で行われた。しかし高度経済成長による若者の都市部への流失や、農業閑散期の都会への出稼ぎなどにより豪雪地域の人口はさらに減少。残された老人や女性、子供たちにとって、人力による除雪作業は重労働であった。

 一方、一家に一台自家用車が当たり前だったアメリカの豪雪地域では、すでに家庭用の小型除雪機が普及していた。1970年代半ばには日本でも輸入販売されたが、アメリカの軽い雪には対応できても、日本の湿った重い雪には太刀打ち出来なかった。

 当時のHondaは農機や発電機などを続々と開発販売し、「汎用事業の役割は、機械化により重労働を軽減すること」を実践。「除雪機があれば、重労働が軽減できる」と1978年、除雪機の研究開発に着手した。

 しかし、日本だけをみても、北海道は水分の少ないさらさらの雪、日本海側は湿った重い雪など、地域で雪質は異なる。また新雪や圧雪、屋根から落ちた雪やシャーベット状の雪など雪の状態は様々だった。Hondaは除雪機開発に際して、日本だけでなくカナダから南極近くまでさまざまな雪質の調査を行った。

簡単に扱えるHonda初の除雪機スノーラHS35は除雪の負担を軽減

 そして1980年にHonda初の小型除雪機「スノーラHS35 」の販売を開始した。除雪の機構自体は、「オーガ」と呼ばれる刃羽根で取り入れた雪を、「ブロワ」と呼ばれる羽根で投雪する方式。この方式自体は一般的なロータリー式だったが、これまで複雑な操作が必要な除雪機を、簡単に操作可能な設計とした。具体的には、エンジンの始動後に、手元のクラッチレバーを握ることで雪を掻いて飛ばし、1時間あたり30トンという画期的な除雪量を実現した。また、クラッチレバーを放せば「オーガ」と走行が停止することで安全面にも配慮した。さらに非使用シーズンの収納も、ハンドルを折りたたみ式としたことで、コンパクトに収納が可能となった。加えて45kgと軽量な「スノーラHS35」により寒い冬季の重労働からの解放を実現させた。

翌年販売のS35Aはクローラなどの採用でさらに作業を効率化

 Hondaが取り組んだ次の課題は、より広範囲に、より効率的な作業が可能な除雪機の開発であった。しかし除雪機は、大きな車体に大きなエンジン搭載すれば、大量の除雪が可能になるわけではなかった。Hondaは、効率よい除雪のためには、負荷(雪の量)による車速の調整と投雪場所に着目。そして簡便な車速の調整のために、独自の技術を投入し続けた。「オーガ」が大量の雪を取り込むことで負荷は増加する。これによりエンジンの回転数は低下し、エンジン停止や未除雪の雪に乗り上げることがある。このような場合は、車速を調整して除雪負荷を下げることでエンジン回転数を上昇させる必要がある。

前進3段、後進1段ギアを搭載したスノーラHS70

HST機構を搭載したスノーラHS870

 そして1984年、この問題を解決するために前進3段、後進1段のギアを装備した「スノーラHS70 」の販売を開始した。クラッチ操作により3段階に変速し、容易な車速調整を可能とした。また、1989年には油圧無段階変速機構HST(Hydrostatic Transmission)を搭載した「スノーラHS870S/660S」の販売を開始。HSTを搭載したことで、クラッチ操作は不要となり、レバー操作のみで前進から後進まで無段階に車速調整を可能とした。

世界初のハイブリッド除雪機スノーラi HS1390i

 そして2001年には、除雪機としては世界初のハイブリッド方式を採用した中型機「スノーラ i HS1390i 」の販売を開始した。ハイブリッドの内容は除雪部分をエンジンが担い、走行部分は左右2つの電動モーターで駆動する方式。同時に、作業中のエンジン負荷を検知することで、ECU(コンピュータ制御ユニット)によって制御された電動モーターが自動的に最適な車速に設定する。また、電動モーター化により、スムーズな走行や旋回を可能とした。

さらに進化したハイブリッド除雪機スノーラiHSM1590i

 さらに、2005年に発売した中型機「HSMI1590i 」では、世界初のECU制御を採用した次世代iGXエンジンを搭載。エンジン制御にもECUが用いられることにより、電動モーター(車体)側のECUと相互に通信を行い、タイムラグのないスムーズな車速調整を実現した。

 走行速度やエンジン回転数を自動制御するオートモードや、エンジン出力を最大で維持してパワフルな作業を実現するパワーモードに、従来の操作が可能な手動制御のマニュアルモードを加えた、3種類のモードをダイヤル一つで選択可能としたことで、初心者から熟練者まで、作業内容やスキルによる使い分けも可能とした。

 投雪においても、Hondaは様々な新機構を投入してきた。ロータリー式除雪機ではエンジン出力の約7割を「ブロワ」で使用している。投雪での課題は常に周囲の安全を確認しつつ一定の場所を狙って、投雪距離と方向を調節することであった。Hondaは、1984年に販売を開始した「スノーラHS70 」で「オーガ」と「ブロワ」機能を分離した2ステージ式を採用、投雪距離を12mへ伸ばした。1989年の「HS870S/660S」では、一本のレバーで素早く正確に投雪方向、角度を調整可能なフルリモコン電動シューターを採用し、新型の角形形状投雪口も相まって投雪距離をさらに伸ばした。そして2017年現在の最新モデル「HSL2511 」では、最大投雪距離は26mにも達している。

 また、ハイブリッドモデルにおいては車速調整を自動化したことで作業者は投雪作業に集中することが出来るようになり、相乗的に安全性や作業効率が向上した。さらに、エンジンのECU制御により、一定化したエンジン回転数の制御が実現し、投雪距離の保持を可能とした。それまで手動で実施していた投雪距離調整も不要とし簡単な作業を実現した。

 それ以外にも除雪機に対して、これまでHondaはさまざまな新機能、新機構を投入してきた。

耕うん機の技術を応用し、除雪能力を高めたHSS760nJX

 2013年に販売を開始した「HSS760nJX/HSS970nJX/HSS1170nJX 」では除雪機として世界で初めて「クロスオーガ」を採用した。「クロスオーガ」はHondaのフロントロータリー耕うん機「サラダ」で培われた内側と外側の「ロータリー(耕うん爪)」がそれぞれ逆回転するシステムを「オーガ」に応用したもの。屋根から落ちた雪や硬く絞まった雪を処理する際に、「オーガ」の除雪反力により車体が浮き上がり雪に乗り上げる事象が発生する。この際、前進と後進を繰り返すことで徐々に除雪をするのが一般的な「オーガ」である。これに対して「クロスオーガ」は正転と逆転によって除雪反力を打ち消し車体の浮き上がりを抑え、硬い雪でも乗り上げることなく、一気に除雪することを可能とした。

 Hondaはクラストップレベルの高い除雪能力を持つ大型除雪機も1995年の「スノーファイターHS2512Z 」からラインアップした。

世界初のオーガアシスト機能を搭載した大型除雪機HSL2511

 そして、2013年に販売を開始した最新モデル「HSL2511 」では、2005年から販売している中型機「HSM1590i」で採用されている走行レバーを後進にした時に自動で「オーガ」を上昇させ、前進時には上昇前の高さまで自動で戻すオーガリフト機能を採用。また、ボタンひとつで「オーガ」を設定した位置や絶対水平位置にセット可能なオーガリセット機能も採用。さらに車体が傾いても「オーガ」が上下左右に動いて自動的に補正することで、除雪面を平らに維持する、世界初のオーガアシスト機能という3種類の機能を併せ持ったスマートオーガシステムを搭載。ガソリンエンジン式除雪機では世界初のフューエルインジェクションシステムも採用し、低温時でのスムーズなエンジン始動と低燃費を実現した。

 さらに、少量の雪や、投雪が出来ない場所の除雪用として、雪を押して集める小型軽量でシンプルなブレード式除雪機「ユキオスSB800」や、家庭用コンセントでの充電や、高い静粛性で早朝夜間や住宅街での作業にも最適な電動式ブレード式除雪機「ユキオスe」もラインアップした。

 Hondaの除雪機は常にユーザーの声を反映し、技術によって難しい作業を簡単な作業へと変化させてきた。他のパワープロダクツと同様、静粛性、安全性、耐久性に優れ、高い環境性能も満たすHondaの赤い除雪機は、日本国内トップシェアを走り続けている。

家庭用のコンセントから充電できるの電動除雪機ユキオスe

ハンドヘルド作業機

 刈払機、チェーンソー、ブロワ、噴霧器など世界中で広く使われているハンドヘルド作業機。動力源であるエンジンやモーターと一体になった作業機器を人の力で支えて操作する作業機の総称である。全世界で4000万台を販売する大きな市場で、その内の47%を刈払機(草刈機)が占めている(2013年現在)。

 これらハンドヘルド作業機に搭載されるエンジンでは、プロ用家庭用を問わず、エンジンの体積と重量を抑え、軽量コンパクト化を図ることが、重要な要素となる。

 Hondaが1953年に発売した汎用エンジンの第一号「H型」も、ハンドヘルドカテゴリーである背負式動力散布機用の2ストロークエンジンだった。「H型」は作業者の労力軽減のため小型軽量化を重視して、当時としては画期的なアルミダイキャスト製法による部品を採用したことによってハンドヘルドエンジン軽量化への先鞭を付けた。

しかし、翌年発売の「T型」以降Honda汎用エンジンは農業機械の動力源として燃費の良い4ストロークエンジンの製造に重きを置き、ハンドヘルドエンジンの製造は行わなかった。

 ハンドヘルド作業機のエンジンは、現在においても構造が簡単で部品点数が少なく、小型軽量化が容易な2ストロークエンジンが主流となっている。これは、あらゆる姿勢で運転できる2ストロークエンジン独特の混合ガソリンによる潤滑構造が、ハンドヘルド作業機の要求と合致するからである。2ストロークエンジンは、エンジンオイルとガソリンの混合燃料で潤滑するため極度にエンジンを傾けても焼き付き等の不具合は生じない。一方4ストロークエンジンは、クランクケースに溜めたエンジンオイルで潤滑する構造のため約30度を超える様な傾斜での運転は潤滑に支障を来し、焼き付きなど故障の原因となる。さらに動弁系を持つため構造が複雑となり重量サイズの観点から、4ストロークはハンドヘルド作業機用に適していないと言われていた。

 この様に、重量や運転性能では優れていた2ストロークエンジンであるが、燃焼効率の悪さや騒音、振動、白煙を伴う独特な臭いの排気ガス等の課題があり、改善が求められていた。さらに1996年からアメリカ合衆国・CARB(California Air Resources Board)によるSORE(Small Off-Road Engine)排気ガスエミッション規制が施行される事になり、排気ガス特性に劣る2ストロークエンジンでは、排気触媒等の浄化装置を取り付ける必要性に迫られる状況となった。

 この排気ガス規制の施行を契機にHondaは、「人と、地球と、未来のために、4ストローク技術で貢献したい」とハンドヘルド作業機用の4ストロークエンジンの開発に着手、「2ストローク同等の使いやすさ」を目標とした通称“M4-1”(ミニ4ストロークの第1弾の意)エンジンが完成した。

Hondaのテクノロージにより超小型4ストロークエンジンを実現した

 4ストロークエンジンの課題である重量については、「1コマ樹脂カムOHV」による動弁系部品の小型軽量化やFCスリーブを廃止しハイシリコンアルミ材を使った「軽量スリーブレスユニブロックシリンダー」などの技術で克服。乾燥重量は3.3kgと、2ストロークエンジン並みの小型軽量化を実現した。最大の難関であった潤滑課題は、新技術である「ロータリースリンガーポンピング潤滑システム」を考案し実用化に成功。まずエンジンが如何なる姿勢になってもオイルが燃焼室に流入しない様にクランクケースからオイルタンク室を分離したドライサンプ潤滑方式を採用。このオイルタンクを円筒形としクランクケース横に配置し、その中心を通るクランク軸に直結した撹拌翼でエンジンオイルを撹拌して飛沫化。この飛沫化オイルをピストンの上下運動によって生じるクランクケース内の脈動圧力をポンプとして利用することで、オイルタンク中心のクランク軸に開けた吸入孔からエンジンオイルを吸引・循環させる新技術で、世界で初めて360度自在傾斜運転が可能な4ストロークエンジンが完成した。また、CARB及び、アメリカ合衆国EPAの排気ガスエミッション規制については、後処理装置等のデバイスは一切使用せずに余裕をもって規制値をクリアすると共に、圧倒的な低燃費性能を実現し、Hondaエンジンの高い環境性能を証明した。

 M4-1エンジンは1997年に「GX22(22.2cc 1ps/7000rpm)」と「GX31(31cc 1.5ps/7000rpm)」として販売を開始。刈払機「刈丸4 UMK422/431」や、背負式刈払機「刈丸4 UMR422/431」、背負式動力噴霧器「WJR2210/2215/2225」などのHondaハンドヘルド作業機に搭載された。

刈払機「刈丸4 UMK422 / UMR422」

背負式動力噴霧器「WJR2210」

 このHondaハンドヘルド商品群の販売開始に当たり、刈り払い機による作業では保護具として必須となる安全メガネ(ゴーグル)を標準付属部品とするなど作業者の安全面に配慮した商品形態とした。後に刈払機の販売ではゴーグルの標準同梱は業界のスタンダードとなったが、Hondaは刈払機の発売当初から安全対策にも積極的に取り組んだ。

OHC機構などによりさらなる小型軽量化を達成したGX25

 Honda 4ストロークハンドヘルドエンジンの第一世代である「GX22/31」は、多くの作業機メーカーのハンドヘルド商品にもOEM販売され累計120万台以上の販売を記録する大ヒット商品となった。

 M4-1の発売から数年を経た後、更なる軽量化と出力向上の要望に応えるため、Hondaはパワーと軽量小型化を更に追求した通称「M4-0」エンジンの開発に着手。まず、更なる軽量・コンパクト化のために、重量・サイズ共に足枷となる4ストロークエンジンに不可欠のオイル室と動弁系室の配置から見直し、両者を集約するレイアウトを考案。この中に新開発「世界最小油中タイミングベルト」を使ったHonda独自のOHC機構を配置する事で他に類を見ない斬新な骨格構造を実現した。同時に排気量を拡大(22.2ccから25ccへ)する事で、パワーウエイトレシオが30%(M4-1比)向上し、商品力を大幅に高める事に成功向上した。

 更に環境規制対応についても世界で最も厳しいといわれた米国環境保護庁EPA(Environmental Protection Agency)のPhase2 NRSI(Small Nonroad Spark-Ignition“Engines”)排気ガス規制をクラス最高水準で適合。EC指令 NRMM(Non-road Mobile Machinery)排ガス規制 Stage2 (2007年実施)や、日本陸用内燃機関自主規制2次(2011年)も前倒しでクリアする環境性能の高さをみせた。

 M4-0エンジンは、2002年に「GX25(25cc 0.81kw[1.1ps]/7000rpm)として販売を開始。翌年(2003年)には上位出力帯の「GX35(35cc 1.2kw[1.6ps]/7000rpm)」も販売を開始し、既存機種である刈払機、噴霧器、に加え新たにハンドブロワ「HHB25」(2016年日本国内販売開始)などの商品に搭載された。

ハンドブロワ「HHB25」

M4-0エンジンはHonda以外のメーカーに向けたOEM供給も拡大。ハンドヘルド作業機用以外にも、小型耕うん機や水ポンプなどの家庭用から、ランマーなどの業務用に至るまで幅広い分野で活用されている。GX25/35は、2017年時点で販売開始から15年を迎えているが、毎年70万台以上の販売を記録し、ロングセラー商品となっている。

 耕うん機F150、発電機E300,芝刈機HR21など各分野でベストセラーとなったその裏には、目先にとらわれることなく10年以上先を見据えた商品開発があった。世界最軽量の4ストロークエンジンGX25/35もまた、未来を見据えたHondaの姿勢を体現したものである。

船外機

 第二次大戦が終わり世相や経済が安定した1960年代初頭の日本では、戦時中に大幅に減少していた小型漁船が、年間1万5千隻ほどのペースで急激に増加していた。
このような状況の中でHondaは1964年に小型船外機「GB30」の販売を開始した。

 1964年当時、日本で販売されていた小型船外機のエンジンは、ほとんどが2ストロークだった。理由は2ストロークエンジンの簡単な構造と、軽量で安価に生産が可能だったことにある。しかし反面、2ストロークエンジンは騒音や振動という課題に加え、低速での運転は扱いが難しかった。さらに船外機は構造上スクリュー軸を通して水中に排出ガスを排出するため、水中への影響が大きかった。しかし、当時は環境問題や労働環境への関心は希薄で、安価な2ストロークエンジンが全盛であった。

GB30

 「GB30」は、この2ストローク全盛時代に本格的な4ストローク汎用エンジン「G30」を搭載したHonda初の船外機だった。2ストロークに対抗するためプロペラへの動力伝達は一般的なシャフト駆動ではなく、チェーン駆動を採用して軽量化を図った。また搭載している「G30」エンジンをポンプなど他の作業でも使用可能とするために、脱着可能な構造を採用した。これら新たな発想に加えて白色タンクと赤色エンジンカバーの組合せも斬新なデザインだった。

 低速での扱いやすさに優れており、低騒音・低振動で低燃費の「GB30」は“トロール漁”や“一本釣り漁”といった近海漁業から、湖水漁業、養殖棚やイケス回りの作業にも適していた。また4ストロークエンジンを搭載した「GB30」は水に優しく船外機開発時のコンセプトであった「水上を走るもの、水を汚さず」のポリシーを世の中に示した。

 「GB30」は好評だったが、漁業関係者の間ではさらなる “パワー”を持った専用エンジン搭載の本格的な船外機への要求が高まっていた。そこでHondaは、鍛造一体型クランクシャフトやアルミコンロッドなどを採用した水冷水平対向2気筒の船外機専用エンジンを開発。1971年に小型船外機「B45/75」の販売を開始した。排気量を「GB30」の132ccから149cc(BF75)にアップし、馬力も4馬力から7.5馬力に高めるなど要望に応えたパワフルなエンジンを開発した。また、強く要望されていたバックギアも装備。バック時の急発進を防止するためにハーフスロットルを採用するなど安全面にも配慮した。この「B75」は漁業関係者に受け入れられるだけでなく、徐々に増加していたプレジャーボートに搭載されるなど、1990年代まで販売されるロングセラーとなった。

 日本国内に対して、欧米ではマリーナなどのインフラが整備され、趣味としてプレジャーボートやフィッシングボートが既に広く定着していた。小型船外機のノウハウを蓄積したHondaは、欧米のプレジャーボートで主流だった35〜45馬力級の中型船外機の開発にも着手した。当時は中型船外機においても小型船外機と同様に2ストロークエンジンが全盛だった。また、船外機のデザインはストライプの入ったスクエアスタイルが主流だった。Hondaは4ストロークエンジンの船外機という主張が可能なデザインを模索した。

 そして、1992年、アメリカの“シカゴボートショー”でHonda初の中型船外機「BF35/45」を発表した。そのデザインには、海を泳ぐイルカのフォルムをオマージュした、優しくなめらかな曲線主体のデザインを採用。ストライプの一切入っていないシルバーメタリックのボディは、「青空や雲、夕陽が映えて美しさと同時にクリーンなイメージも強調」と話題となった。このデザインは「インテグレートデザイン」と呼ばれ、Honda船外機のイメージとなったばかりでなく、他社のデザインを曲線主体へと変化させるきっかけになるほどのインパクトであった。また、高い環境性能も評価され、4ストローク船外機としては初めて、権威あるIMTECイノベーション・アワード(技術革新賞)を受賞した。

BF35

BF45

 「BF35/45」は、欧州では「クリーンな船外機」として、米国では「低燃費の船外機」として高く評価された。このような中で1993年に欧州では、世界に先駆けて船外機に対する排出ガス規制「ボーデン湖規制」が実施された。当時世界一厳しいと言われた規制値だったが、Honda船外機の全ラインアップが規制値をクリアしたことで世界を驚かせた。

 この「ボーデン湖規制」が契機となり、1990年代の半ばからは2ストロークに代わって4ストロークエンジンが船外機の主流となっていった。この状況の中でHondaは四輪のエンジン技術を応用した大型船外機を次々に開発。1995年に1.6リッター4気筒エンジンを搭載した「BF75/90」の販売を開始。1998年には2.2リットル4気筒エンジンで、世界で初めて電子制御燃料噴射方式を採用した「BF115/130」の販売を開始した。2001年には3.5リットルV6エンジンに、船外機として世界で初めて可変バルブタイミングリフト機構「VTEC」と、可変吸気を採用した「BF200/225」の販売を開始した。これらは、四輪車の開発も手がけるHondaだからこそ出来る中型、大型船外機であり、ハイパワー化、高性能化が進む欧米などを中心に、高い技術力が改めて注目された。

BF75

BF90

 さらにHondaの大型船外機では、独自に開発の「BLAST」や「ECOmoモード」などの新機構も採用。「BLAST」は燃料供給量、点火時期などを制御して、低中速域の加速性能を向上。加速時間を短縮することにより、加速時の船首の浮き上がりによる視界不良時間の短縮にも貢献して安全性への配慮も実現した。「ECOmoモード」は、空燃比を細かくコントロールしてクルージング時の燃費を向上させ、排出ガスもよりクリーンとなった。

 その他、船舶免許が不要で軽量コンパクトな空冷エンジンを搭載した2馬力のポータブル入門機「BF2」。海外の沿岸警備隊でも採用されている225馬力の大型船外機「BF225」など、幅広い用途に対応したラインアップを揃えたHondaの船外機。

BF2

BF225

 高い信頼性と高性能化を達成すると同時に、終始一貫して「水上を走るもの、水を汚さず」をポリシーにチャレンジを続ける。