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ハローウッズの10年 豊かな茂木の里山とともに
文:大野晴一郎
【プロローグ】
プロローグ

人と自然の豊かな関わりを目指すHondaは、栃木県芳賀郡茂木町のツインリンクもてぎの中に、42ヘクタールの森を育んできた。ハローウッズである。豊かで生命力に溢れる森だ。
大事に育てられた一木一草もあれば、地表に光を届かせるために、伐って刈られた草木も少なくない。摂理に従って、ハローウッズの森のプロデューサー、楓隆一郎が間伐プランを実行してきた。
楓はフィールド調査のために、山中の1点に長く踏みとどまることができる男である。寝袋にくるまって、雪中を行く狐の足音を聴きわけ、どんぐりを頬張るアカネズミの習性を観察し、獣道を行き交う動物たちの種を統計的にまとめたりする。一方で、里山の一角にある棚田に、日本最小のトンボであるハッチョウトンボを棲まわせる試みも成功させた。
子どもたちを含めてハローウッズを訪ねる人は、楓たちキャストに迎えられる。そして共に森の中を歩くことで、その豊かさに気付くことになる。

元気という言葉は、ハローウッズの合言葉みたいなものだ。
「元気な森に、元気な子どもたちを迎え、人間本来の力を養ってもらいたい」それが楓たちの願いでもある。そのために多くのプログラムが用意されているが、30泊31日のガキ大将の森キャンプも、そのひとつだ。子どもたちの中に眠っている創造力を湧き出させ、自らの手でやり遂げることの意味を気付かせてくれるキャンプである。
たとえば自分たちで火をおこすことができなければ、1日でも2日でも飯は食えないという決まりごとがある。マッチを擦ることはできても、焚火の火おこしなどしたことのない子どもたちにとっては、まさにサバイバルだ。与えられたマッチを擦り終わってしまえば、子どもたちに、それ以上なす術はない。そこで楓たちキャストは、キリミモ式に木と木を擦り合わせ、火をおこす方法があることを教える。腹が減っている子どもたちは全員が協力して、必死に木切れを擦り合わせる。種火が灯るまで、口出しも手出しも無用。それが楓たちの姿勢だ。言いかえれば、ひと言のヒントで子どもたちが何かに気付き、実行し、成し遂げるまで待たなければならない。


プロローグ 楓は鹿児島の出身だ。子どものころから豪雨や台風で、大切なものを失った経験は少なくない。もちろんライフラインが途切れた経験もある。桜島が吹き上げる灰にも苦労した覚えがある。楓の第二の故郷とも言うべき、北海道の然別湖ネイチャーセンターでは、記録的な豪雨に命の危険を感じたこともあるという。
2011年3月11日に東日本を襲った大地震では、ボランティアとして宮城県の石巻市に入り、然別湖ネイチャーセンターの後輩たちに対する支援活動を行った。被災者への救援は絶対に必要なことで最優先されるべきことだが、自活を前提として瓦礫の中で活動するボランティアにも後方支援は必要だ。楓は後輩たちが必要としていた食糧と水、炭などを、ガスパワー発電機のエネポとともに、自らが運転するトラックで後輩たちに届けた。


「昔から考えていたことがある」石巻の惨状を目の当たりにした楓が語った。
それはハローウッズにおける防災キャンプだった。参加は町単位と規模は大きい。
町ぐるみで疑似的に被災を経験し、まずは自らが生き延びるための方法を知り、隣人と助け合い、町全体がまとまる方法を知る。近隣の町との連携も考えなければいけない。
揃えておくべきものは、防災用品、備蓄食料、水などと多く、町全体で供出して分け合うことも、救援隊が到着するまでは必要なことだ。そして怪我の救急処置方、消火活動など、専門的な知識が必要とされることも多くある。地震多発国に暮らす上での備えとはなにか、座学と実地で教えられることはすべて教えたいのだと言う。


「罹災時の単独行動は辛すぎる。あり得ない。自分だけで生き抜こうとするから、被災地以外の町で、物資の無駄な買い占め騒ぎが起こる。町全体で生き抜くことを訓練していれば平常心は保てる」と楓は言い切る。それに昼間、家に残る年齢層を考えてみても、町ぐるみの防災に意味がある。
「それに、災害時に安全な道路のあり方や、車の乗り方。それも考えなければいけないことだ」と、支援のために自ら走った東北の海辺の道を思い返しながら、楓が言った。


11年目のハローウッズ。
これまで通り、元気な森で多くのゲストを迎え、様々なプログラムが展開されていくはずだ。同時に防災キャンプという被災疑似体験の中で、サバイバルを学ぶフィールドになる可能性もある。炭や木切れで火をおこし、大鍋でご飯を炊き、寸胴鍋で味噌汁を作る。そんな経験は、一度はしておくべきかもしれない。


1997年、ツインリンクもてぎをオープンさせたHondaは、サーキットを取り巻く自然を利用して、次代を担う子どもたちと触れ合う方法と可能性を探っていた。子どもと親が一緒になって寛ぎ、遊び、癒されるユートピアを思い描いていたのだ。その考えは、やがてハローウッズとなって具現化されていく。


文:大野晴一郎