MENU
HONDA
検索
汎用製品|パワーストーリー
ノンフィクション・ドキュメント | いきいきライフスタイル | 動く!汎用製品 | 汎用ニュース&トピックス
メディアで紹介された汎用製品
「ふるさとの自然」を次の世代に引き継ぎたい
ほんとうの時代

ほんとうの時代
2007年5月号
取材・文●編集部 
写真●中里一郎
ほんとうの時代
人生の円熟期を迎える世代に対し、ゆとりと充実の生き方を提案し、働き盛りの世代の生き方と健康を考え、夢と励ましを送る実年ライフ情報誌。
●月刊誌 18日発行
●定価520円
●(株)PHP研究所
 〒601-8411
 京都市南区西九条
 北ノ内町11番地
 http://www.php.co.jp/

乗用芝刈機 H3013H


歩行型エンジン式ロータリー芝刈機 HRG465
●商品情報


ミニ耕うん機「FF500 サ・ラ・ダ」
●商品情報 ●スペシャルページ

復元された大名庭園。和館が設けられ、茶道・華道などの文化サークル活動に利用する
復元された大名庭園。和館が設けられ、茶道・華道などの文化サークル活動に利用する
都内に残る江戸時代の名園を、子どもたちの遊びの場・教育の場に蘇らせたNPO法人「菅刈ネット21」。
その活動を、目黒区の菅刈公園にたずねた。
住民が取り組んだ公園づくり
東京都目黒区の閑静な住宅地の中に、緑豊かな公園があります。美しく整備された芝生広場を駆け回る子どもたちや草の上に腰を下ろしてお喋りに興じる母親たち。平成13年に開園したこの目黒区立「菅刈公園」は、住区の人たちはもとより、区外の人たちにも憩いの場として親しまれています。
この公園は江戸時代、豊後・岡藩(現大分県竹田氏)の藩主中川候の別邸のあったところでした。武蔵野の面影を宿す樹林帯を背景に滝や池を巡らした大名庭園は、当時の地誌に江戸名所として紹介されていたほどです。その別邸は明治7年、西郷隆盛の弟・西郷従道が所有者となり、洋館が建てられ、庭園も和洋折衷式に改造されて「東都一の名園」と謳われました。それゆえに、この一帯は地元では“西郷山”と呼ばれています。
西郷従道(1843〜1902)。西郷隆盛の肖像画は兄に似た従道の写真が参考にされたという
西郷従道(1843〜1902)。西郷隆盛の肖像画は兄に似た従道の写真が参考にされたという
西郷従道は戊辰戦争に従軍後、新政府に出仕しました。兄・隆盛は西南戦争(明治10年)で敗れたのですが、従道は政府に留まり、海軍の整備・改革に尽力して、海軍軍人として初めて元帥の称号を受けた人物です。
その“西郷山”は昭和18年、旧国鉄に売却され、官舎やテニスコートが設けられました。元国鉄スワローズの投手、金田正一さんもここで寮生活を送ったといいます。その後、平成10年に国鉄清算事業団が旧官舎跡地を整理することになった折に、“西郷山”を「公園建設」を条件に残せる見通しが立ち、住民たちが自らの望む公園をつくろうと立ち上がったのです。そのとき中心になったのが、目黒区の行政住区のコミュニティボランティア団体である“菅刈住区住民会議”でした。
建設計画を進めると、住区の人たちからさまざまな要望が出されました。年配者からはゲートボール場をつくってほしい。中学生の子を持つ親からはサッカー場がほしい。小学生の子の親からはサッカー場はいらないから遊具施設がほしい、と収拾がつかない状態でした。そうした折、住民会議の会長・森田安彦さん(現66歳)は、住区の人たちの誰もが幼い頃より遊び親しんだ「この緑豊かな自然を次世代にバトンタッチする」との方針を提案し、美しい樹林と広い芝生、土に親しめる畑地で構成された公園にすることで理解と賛同を得たのです。それに基づき平成13年、新たにNPO法人「菅刈ネット21」を設立し、具体的な公園建設に取り組むとともに、後に公園管理にも携わることになったのです。

外国人の住まいも多い住宅地ゆえ来園者も国際的 外国人の住まいも多い住宅地ゆえ来園者も国際的


>> 1. 住民が取り組んだ公園づくり
>> 2. 芝刈りは楽しい作業です
>> 3. 公園から広がる次世代育て

前画面へ戻る
ホームへ