アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト支援

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都城高専OB 櫻田 千尋が語る
	「私とロボコン」
	Profile
宮崎県 都城工業高等専門学校在学中の
1996年~2000年までロボットづくりに打ち込む。
その間、チームは第9回、10回、11回全国大会に出場。
現在は本田技術研究所 四輪R&Dセンターに所属、
自動車の設計・開発を担当している。

時代は変わっても、夢中で打ち込む姿は変わらない。時代は変わっても、夢中で打ち込む姿は変わらない。

卒業以来の国技館。相変わらずの熱気に興奮。

今年はテレビではなく、国技館で観戦しました。全国大会に出場したのはもう10年以上前ですが、会場の熱気は当時と変わらないですね。観戦しながら他のOBたちと、「あの射出機構どうなってんの?」とか、「今の動き、なにで動かしてんの?」などと盛り上がりました。Twitterのタイムラインを流しておいて、試合の合間には「そうそう、わかる!」なんて反応しながら見たのも非常に面白かったです。

心意気を感じるロボットは、特に応援したくなる。

どのロボットも個性的でよく考えられていましたが、特に印象に残ったのは、「上州カウボーイ(群馬高専)」「投げろ!ホースちゃん(金沢高専)」「うり棒ブラザーズ(都城高専)」の3チーム。勝ちにこだわるマシンづくりをするとなると、「輪投げをさせる」というのはかなりハードルが高いと思われるなか、真正面からつくってきた心意気がいいですね。特に我が母校の「うり棒ブラザーズ」なんて、パフォーマンス中の僕らOBの会話はひどかった。「あれ絶対、勝つこと考えてないよね」「たまたま試してみたら、おっ、これいけるんじゃね!?的な・・・」。案の定、パフォーマンス後のインタビューで選手が答えたのも同じようなコメントで、OB一同、大爆笑!!「うちの高専らしいね」と笑い合いながら、理論より先に手を動かしちゃう気質は健在だな、と、少しうれしくも感じました。

現在のルールでは、マシントラブルや補給のためにロボットをスタート地点に戻すことも、その際に選手が本体に触れることもOKとなっていますが、僕らが現役の時は違いました。一旦スタートすると、何があってもマシンに触れることはできなかった。ついさっきまで快調な動きをしていたのに、本番ではピクリともせずに終了、なんてことがけっこうありました。“ひと夏を費やして、結果がこれかよ!”って、悔し涙を流した学生も多かったと思いますよ。ただ、回を重ねても、ロボコンが好き、ロボットづくりが好き、というみんなの気持ちは、昔と変わらないですね。選手もお客さんも夢中になって大会に参加している。熱気と興奮に包まれた会場のあの雰囲気は、当時とまったく同じでした。

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ロボットからクルマへ。モノづくりへの挑戦は今も継続中。ロボットからクルマへ。モノづくりへの挑戦は今も継続中。

ロボコンへの憧れを胸に、高専へ。

「高専ロボコン」のことを知ったのは、小学校4年生くらいの時。たまたまテレビで大会の様子を見て、「自分もあんなロボットがつくりたい!」と思ったのが始まりでした。それからは、「ロボコンやりたいから高専に行く」とまわりにも言い続けてましたね。そして都城工業高等専門学校(以下 都城高専)に入学し、いよいよロボコンへの挑戦がスタートしました。
当時の都城高専のロボットづくりは、大きく分けると車体班と回路班の2班体制。車体班は本体や搭載するパーツを製作し、回路班はその機体の制御回路などをつくる、という感じでした。僕は車体班で、1996年の「テクノカウボーイ」から2000年の「ミレニアムメッセージ」まで、5年間通して車体部品の製作を担当しました。1~3年生の時は全国大会まで進みましたが、主要メンバーとなった4、5年生の時は、残念ながら九州地区大会敗退でした。

ロボコンは、真の機械好きの証。

高専って、普通高校とはちょっと違うので、入ってくる人間もやっぱりちょっと普通と違うんですよね。「モノづくりや機械いじりが好き」っていうのはみんな共通しているんですが、そんな中でも「ロボコンやりたい」なんて言う人間はその極地というか。変わり者が多かった気がします(笑)。まあ、自分もその中の一人だったんですが・・・。
ロボットづくりを5年間もやっていると、本当にいろいろなことがあります。ほとんどのOBがそうだと思いますが、印象に残っているのって、なぜか失敗談が多いんですよね。重量オーバーを解決するためにアルミ材に穴をあけて軽量化しようとしたら、穴あけに失敗して結局その部品を一からつくり直すハメになった、とか。放電加工機を夜中に動かしとけば、朝には歯車ができあがってるはず・・・が、登校してみたらエラーが起きてストップしたまま、まったく進んでいなかった、とか。
あと、“脱線”もよくしましたね。発泡スチロールを使って子機をつくろうと決まったはいいけど、実習工場には発泡スチロールを扱う実習なんてないわけで。じゃあ、発泡スチロールを上手に加工できるマシンを作ってしまおう!となって、みんな本機そっちのけでつくりだしたりとか。
毎年一人は、◯◯職人、△△マイスターと呼ばれる人間がいた気がします。自分の場合は「手仕上げ職人」だったかな。やすりとバイスと定盤があるエリアが僕の生息域でした。

ロボットをつくりながら、人間関係も学んでいた。

下級生の頃は、「俺、こんなことできます」ってアピールして、仕事を取ってきていました。先輩の図面が出来あがるまでの間、ちょっと気を抜いてダラけたのをどやされたり、学年が上がって、いざ自分が線を引く番になると、今度は後輩から煽られたり。上級生になるにつれてコミュニケーションの取り方もうまくなって、一人ひとりの得意不得意や、接し方とかを考えながら仕事を振るようになっていきましたね。
ロボット以外でもいろいろなことが起こりました。恋愛、進路の悩み、人生相談、ここでは書けないようなこと・・・みんな若いし、長い時間一緒にいてお互いをよく知っていますからね。ロボットをつくりながら、自分について、人間関係について、考えたり学んだりできていたんだと思います。

失敗してもとにかく考える、そして手を動かす。

迷ったり悩んだり、どうしても解決できない問題にぶつかったり。ロボットづくりは失敗と苦労の連続です。うまくいかない時は、とにかくいろんなものを見たり触ったりしていましたね。電気屋さんでいろんな家電をいじりたおしたり、100円ショップをまわってアイデア商品を眺めたり。「この商品はどんな意図があってこんな形になったんだろう」とか、常に考えていた気がします。苦しい状況を乗り越えるには、考えることと、手を動かすこと。これしかないと思います。
つくっている時は夢中になっているのでもちろん楽しい。でも、アイデアをひねり出そうとしている時や、解決策を求めて仲間と議論している時も、苦しいようでいて実はすごく楽しいんじゃないかなって思いますね。

ロボコンが自分にもたらしたもの。

期限あり、重量やコストの制限あり、達成目標あり、ルールあり。社会人として仕事をするうえでは当たり前に求められることを、学生時代から実践する場だったんだなぁと、いま改めて感じています。当時はそんなこと、まったく気づいてなかったですが・・・。上級生や下級生と意見をぶつけ合いながら、同じ目標に向かって、ひとつのモノをつくりあげる。都城高専での経験は、現在の仕事にもつながっているし、とても役に立っていると感じています。

2001年に製作した都城高専Bチームのロボット「縦立て掛け太郎」

写真は2003年に製作した都城高専A「V-TECH」と
九州地区大会の模様

〈ロボコン出場を目指す全国の高専生へ〉
モノづくりの現場は、非常に泥臭いです(笑)。意見を出し合い、ぶつかり合いながら、進めていきます。
でもそれは、共通の目標に向かってお互いが真剣に考えているからこそできることでもあります。
また、モノづくりでは、いい結果だけがすべてではありません。
悪かったところや、いつもの手が通じないところほど、今後の糧や考えるきっかけになると思って、
トライ&エラーを繰り返してください。
「うんちく」や「武勇伝」のひとつでも語れるくらいのめり込んでいれば、
たとえ結果が良くなくとも、その経験は必ず自分の財産になると思います。
高専ロボコンは高専在学中しかチャレンジできない貴重な機会。
出し惜しみ厳禁!!ってことで、がんばってください。