1981年に世界初の「車いす単独の国際マラソン」としてスタートした大分国際車いすマラソン 。
Hondaは”夢に向かってチャレンジするアスリートを応援したい”という想いのもと、
1990年より大会に協賛、アスリートたちへの様々なサポートも行っています。

本大会にはHondaがサポートしているスザンナ・スカロニ選手(アメリカ)が3年ぶりに参戦。
2021年に事故で大ケガを負うも、驚異的なスピードで復帰し
5000mで世界記録を更新した後、立て続けに国際大会で優勝するなど、
飛躍し続けるトップアスリートです。
本大会での熱い走りと、競技への想いや困難を乗り越え夢を追い続ける原動力に迫ります。

大会前日開会式では子どもたちとの交流も

大会前日の11月19日、大分市の中心市街地で開会式が行われ、国内外のトップアスリートから市民ランナー、未来の車いす陸上界を担う子ども達までが集いました。開会式後、スザンナ選手のもとにはたくさんの子ども達が。サインや写真撮影に「OK!」と、笑顔で気さくに応じる姿が印象的でした。

開会式に参加するスザンナ選手(一番左)
子ども達はサインをもらって大喜び!

大会当日海外一般選手が参加、沿道からの声援も解禁!熱気に包まれたレースに

11月20日、レース当日。本大会はコロナ禍で近年ストップしていた海外一般選手の出場が可能になり、沿道からの声を出しての応援も解禁。海外選手25名を含む158名の選手たちの力走と、たくさんの声援が大分を熱くしました!スザンナ選手はゴール直前まで土田和歌子選手と接戦を繰り広げ、惜しくも2秒差で2位に。熱い走りとエキサイティングなレース展開は、多くの人たちに感動を届けました。

弁天大橋からエールをおくるHondaの応援団
1位から3位まで大接戦となったマラソン
T34/53/54女子。
右端がスザンナ選手

「強い選手達と競い合えて、
とても楽しいレースでした!」

すごく良いコンディションだったのでレース前は世界記録を目指してました。でも、自分が望むペースに持っていけずゴールがあるスタジアムに入ってからも2人の選手と競う展開に。残念ながら2位になりましたが、1位の土田選手、3位の喜納選手と一緒に競い合えてとても楽しかったです!

ホンダ太陽 ホンダアスリー
トクラブの選手たちも力走!

佐矢野 利明選手大分県

「海外の選手と一緒に走って
『やっと
国際大会が戻ってきた!』
と感じました」

目標だった47分台を達成できましたが、ゴール手前で追い越されて4位になったので悔しいですね。でも、レース自体はとても楽しめました。ハーフマラソンにも海外の速い選手が出場していて、一緒に走りながら「コロナ前の大分国際車いすマラソンが戻ってきた!」と感じられたのも嬉しかったです。本大会にはチームメートの渡辺習輔選手、河室隆一選手がコンディション不良のため出場できませんでしたが、両選手にサポートや応援をしていただいたおかげで、最後まで気持ちが折れずにいいレースができました。会社や周りの方にはいつも応援やサポートをしていただき、感謝しています。今期の出場レースはこの大会が最後ですが、また来年に向けて頑張っていきます。

大会結果

ハーフT34/53/54男子
4位0:47:19

「自己ベストを大きく更新。
過去最高の
順位で、
良いレースになりました!」

自己ベストを1分以上更新し、目標だった47分台を達成できました。8位以内を狙っていましたが、6位に入ることができとても嬉しいです。スタートして5km地点でグローブが壊れるというアクシデントがありましたが、佐矢野選手らとローテーションしながら走れたことが、より良いタイムにつながったと思います。また、弁天大橋でHondaの応援団の赤いジャンパーが見えた時はテンションが上がり、沿道からの声援がすごく励みになりました。

大会結果

ハーフT34/53/54男子
6位0:47:23

山口 修平選手大分県

ギャラリー

大分国際車いすマラソンへの想い、
競技への情熱、夢についてインタビュー

大会翌日はHondaのテクニカルチームとのデータ測定やミーティングに臨んだスザンナ選手。
ひと息ついた彼女に、車いす陸上選手になったエピソードと競技への想い、困難を乗り越え夢
を追い続ける原動力を聞きました。

大分国際マラソンの印象を教えてください

私にとって印象深い大会。戻って来られて嬉しい!

私はさまざまな国際レースに出場していますが、大分国際車いすマラソンは車いすの選手だけが何百人も出場するので、私にとってもとても印象深い大会です。2019年に初参加した際、大分の人たちから温かさと、車いすマラソンを大事にしてくれていることも伝わってきましたし、沿道の声援も素晴らしい。今回も子どもから大人までたくさんの人の“頑張れ!”の声や、弁天大橋でHondaの人たちの“スザンナさーん!”と応援してくれる声が聞こえて、すごく嬉しかったです。
また、大会中はHondaがレーサー(車いす陸上競技用の3輪の車いす)のメンテナンスから日常のことまで誠実にサポートしてくれたので、安心してレースに臨むことができました。Hondaは私にとってパートナー以上の存在だと思っています。

沿道からの声援を受け
て走るスザンナ選手

車いす陸上を始めたきっかけは?

出合ったのは10歳の頃。それから、すぐ夢中に!

5歳の時に事故に遭い、車いすに乗るようになりました。それからは自身の障がいのため、好きだったアクティブなスポーツを楽しめなくなっていましたが、10歳の頃に病院から障がい者スポーツを教えてもらったんです。やっている場所を教えてもらい「行きたい!」と母にお願いして連れていってもらいました。そこでは車いすバスケットボールと車いす陸上をやっている人たちがいて、一緒にやってみたらとても楽しくて、すぐ夢中に。それから高校を卒業するまで、ずっと車いすバスケと陸上に取り組みました。
大学は、学費を考慮してモンタナ州の私立大学に入学。車いす陸上は競技を楽しむために続けていたのですが、奨学生としての誘いを受けて、アメリカ国内で車いす陸上が最高峰レベルのイリノイ州立大学に進学しました。その後さまざまな国際大会に出場し、成績がついてきたことから“もっと上を目指そう”と考えるようになり、今に至ります。

車いす陸上の魅力を教えてください

車いす陸上には、たくさんの“楽しさ”と“学び”がある

車いす陸上に取り組んでいると、多くのことに楽しさを感じます。シンプルに体を動かすこと、車いすを強く漕ぐこと、レースをすること。それから車いす陸上のコミュニティーも私にとってかけがえのないものです。対戦相手やチームメートともすごく良い関係性を構築できていて、一緒にいるとすごく楽しい!
いろいろな学びがあることも魅力です。例えば2021年の東京の国際大会の5000m、雨が降っていたためスリップして手首を怪我してしまいました。こういうことが起きるとだいたいの人が“もうダメだ”と思うでしょう。でも私は「雨の中で漕ぐ練習や対策をもっとしなくてはいけない」ということを学びました。悪いことが起きても、その中から何か学ぶ努力をした方が良い。だから私は、「無駄な努力は存在しない」という言葉が好きです。

2021年、トレーニング中に事故に遭われました。困難を乗り越え復帰できた原動力は?

大ケガを乗り越えられたのは“感謝の気持ち”のおかげ

トレーニング中に事故に遭った時はこれから何が起こるか分からない“怖さ”と、コンディションが良かった時の事故ということで“失望”を感じましたが、それ以上に強く湧き上がってきたのは“生きててよかった!”という感情でした。それからは今できることの全てに感謝するようになり、再起に向けての気力が高まっていきました。
また、ケガしたことで全てが一からやり直しになりましたが、それによって忍耐強さと、限られた時間しか練習できなかったのでいかに効率的にトレーニングするかを科学的に考える癖がつきました。その結果、ケガをする前以上に競技に対して理解が深くなり、復帰に向けての大きな力になりました。

アスリートとして精力的に活動する
スザンナ選手の情熱の源は?

障がいを持つ若い人たちのロールモデルになりたい!

今大会の開会式では、私にとっての最高の時間がありました。子ども達が私のところにやってきてくれて交流できたんです。私は、障がいを持つ子ども達が将来目指したいと思えるようなロールモデルになりたいと思って競技に取り組んでいます。今回のように障がいを持つ子ども達と交流し、その子や家族、友達も“こんなふうになれるんだ”と思ってもらえたら素晴らしいことだと思います。

夢に向かって頑張っている子ども達にメッセージを
お願いします。

あなたは何者にでもなれる。ただ、挑戦するだけ

障がいを持っていたとしても、なりたい職業になれるし、やろうと思ったことは何でもできます。ただし、そのためにはまずチャレンジをしなければいけません。“あなたは何者にでもなれる。ただ、挑戦するだけだ”。私から子ども達へ贈りたいメッセージです。
私自身、アスリートとしての目標は、マラソンでの世界記録の樹立ですが、それ以外にも、「栄養士として働く」「病院で働く」という2つの夢があります。来月には栄養学の修士号を取得できる予定なので、両方の夢を叶えられるよう挑戦していきます。

スザンナ選手の車いすマラソンにかける情熱と
世界トップレベルのパフォーマンスに
触れることができた本大会。

障がいがあっても、人は何にだってなれる。
ただ、挑戦するだけだ。

走る姿を通して、
ポジティブに夢へ挑戦することの大切さを
伝えてくれたスザンナ選手。
夢の力を信じる私たちの心にも強く響き、
パワーをもらいました。

Hondaはこれからも
夢に向かって走り続けるアスリートたちと
一緒に、
夢の力の素晴らしさを
たくさんの人たちへ伝えてまいります。