ポール・トレイシーが表彰台目前で痛恨のミッショントラブル
8位のジル・ド・フェランがポイントリーダーの座を堅持

8位フィニッシュでポイントリーダーを守ったド・フェラン
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2000年FedExチャンピオンシップ第17戦は、イリノイ州マディソンにあるゲートウェイ・インターナショナル・レースウェイのオーバルコースにて開催された。
予選9月16日(土)
第12戦以来のオーバルコースとなった今回、土曜日に1台ずつのシングルカークオリファイで予選が行われた。第14戦、第15戦と2連続ポールポジションとなっていたダリオ・フランキッティが、自己のプラクティスタイムを0.5秒以上も上回る25.514秒を叩き出して予選4位に入る。1997年にこのゲートウェイで優勝しているチームメイトのポール・トレイシーがその後、25.500秒を記録して予選3位と、チーム・クール・グリーンの二人が揃って2列目からスタートする事になった。一方、前戦でフロントローを獲得したマールボロ・チーム・ペンスキーの2台は、エリオ・カストロ・ネベスが予選9位、ジル・ド・フェランが予選13位という結果に。中野信治は予選トップからわずか1.25秒遅れとなる26.608秒を記録したが、予選22位のグリッドからのスタートとなった。

今シーズン最後のショートオーバル
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決勝9月17日(日)
決勝日も素晴らしい快晴となったゲートウェイで、午後1時41分にグリーンフラッグ。236周、300マイルのレースがスタートした。序盤、グリーンの2台は手堅く3位と4位をキープしていたが、4位を走行していたダリオ・フランキッティが突如スローダウン。いったんピットに入り、すぐにコースへと復帰したが、大きくポジションを落としてしまう。
必死に挽回を試みるダリオ・フランキッティだったが、マシンのハンドリングはさらに悪化し、途中からシフトチェンジもできなくなってしまったため、ついに63周目にピットへ。前戦で3位表彰台を獲得したダリオ・フランキッティだったが、今回は無念のリタイアに終ってしまった。
また、今日が6度目のオーバルのレースとなる中野信治も、30周を過ぎたあたりから突然オーバーステアに見舞われ、何度もピットインして修復を試みる。しかし、一向にマシンのハンドリングが良くなることはなく、チームと協議の上、79周目でリタイアすることになってしまった。

9位フィニッシュのカストロ・ネベス
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1997年にこのゲートウェイで優勝しているポール・トレイシーは、序盤から常にトップグループで周回を重ねる。レースもいよいよ終盤を迎え、2位のポジションを堅持していたポール・トレイシーは、虎視眈々とトップを狙う。ところがゴールまであと25周を残したところで、チームメイトのダリオ・フランキッティと同じトラブルが発生。
ターン3でまったくギアが入らなくなってしまったポール・トレイシーは、コントロールを失ってマシンが大きくスライド。コンクリートウォールに接触を喫し、タイヤとサスペンションにダメージを負ったため、走行を断念。表彰台を目前に、ポール・トレイシーはリタイアを余儀なくされてしまった。
5人のホンダ・ドライバーのうち、3人がリタイアに終ってしまい、残るは前戦のラグナ・セカでワンツーを決めたマールボロ・チーム・ペンスキーの二人のみ。ポイント・リーダーのジル・ド・フェランは途中他車と接触したが、絶妙なコントロールで立て直し、レースに復帰。8位で完走し、ポイントリーダーの座をキープする事に成功した。
一方、チームメイトで前戦の優勝者であるエリオ・カストロ・ネベスも序盤はハンドリングに苦しんだものの、ピットインでの修復が功を奏し、一時4位までポジションをアップ。だがその後周回遅れの処理に手間取り、ポジションダウン。今シーズン最後のショートオーバルを9位でフィニッシュした。
次戦は10月1日にテキサス州ヒューストンのストリートコースで開催される第18戦“Texaco/Havoline Grand
Prix of Houston”。1998年に初開催して以来、ホンダ・ターボV8エンジンが連勝しているストリートコースである。

中野はハンドリングのトラブルでリタイア
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G.ド・フェラン(8位)
今日はほんとうにラッキーだったよ。ジミー(バッサー)はたぶん僕のことが見えていなかったと思うけど、接触して彼のマシンが一瞬宙に浮き、僕も壁に向かっていったからね。その二人が最後までレースを続けることができたんだから、幸運だというしかないよ。ポイントリーダーも維持できたし、この運を持続させていきたいね。
中野 信治(リタイア)
今日の車はまるで空を走っているような感じで、どんどん壁に向かっていこうとするのを止めるのがやっとというか、まったくアクセルが踏めない状態でした。まるでタイヤがついていないようなフィーリングで、何度ピットして直してもまったく良くならなかったため、残念ながらリタイアをすることにしました。
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