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CIVIC INDEX
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    20年史
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      最も長い歴史を誇るワンメイクレース、
      その20年におよぶ遠大な歴史を振り返る
 

80年代・創設から全国展開へ

civic  シビックワンメイクレースが始まったのは1981年。国内でのモータースポーツの活性化とその参加の機会拡大を思案してのことだった。

 市販乗用車をベース車両にしたワンメイクレースは、維持費が安く性能を均衡させやすいことから、入門者からホビー指向者、あるいは職人的プロフェッショナルに至るまで広く愛好され、モータースポーツの基盤となるカテゴリーである。

 シビックワンメイクレースは、81年に鈴鹿サーキットを舞台に始まることとなった。ベース車両となったのはシビックとしては2代目のSR型、いわゆるスーパーシビックである。5月に開催された第1戦にはフルグリッド30台を超える参加車が集まり、その中には生沢徹、黒澤元治、高武富久美、中野常治ら、すでにトップドライバーと数えられる人々も混じっていた。

 そして徐々に浸透し根を下ろして行ったシビックレースは、鈴鹿シリーズに加えて新たに東日本及び西日本シリーズが設けられ、シーズンの締めくくりに各シリーズの上位ランカーを集めて日本一決定戦としてジャパンカップを行う、という形で拡大していった。

 85年には3代目のAT型、ワンダーシビックが、シビックとしては初めてのDOHCエンジンを搭載して登場、レースのレベルも向上した。87年には東北シリーズが新たに設けられ、全国展開が進む。また88年には前年から始まったF1日本グランプリの前座レースとしてシビック・チャレンジカップが開催されるようになった。ジャパンカップの後を継ぐ形になったこのレースは、全国のシビック使いにとって最高の晴れ舞台と位置づけられ、現在も続くクラシックイベントに育った。またこの年には4代目EF3型、通称グランドシビックがコースに登場している。

 シビックレースが生まれ育ったこの期間は、日本国内でモータースポーツが注目を浴び、社会的認知を獲得していった時期にあたる。シビックレースは、ワンメイクレースのひとつの軸としてその基盤を担う一方、勢いを加速するという重要な役割を果たしたのである。


90年代・頂点インターカップ誕生

civic  90年代を迎えたシビックレースは、モータースポーツに関わる人材を発掘し、育て上げるという使命を軸に、新たな展開を見せた。

 ベース車両としてはEF3型にVTECが搭載された発展型、EF9型(SiR)が90年に導入され、混走が行われた。92年にはVTECを搭載したEG6、スポーツシビックがサーキットに登場、95年のシビックレース開催15周年を迎えることになる。この間、好景気にも後押しされてシリーズはますます拡大、各地方シリーズの規模も膨らんで、全主要サーキットでシビックレースが開催されるに至った。

 ここまで、シビックレースは各地方シリーズと年に1戦の日本一決定戦としてのチャレンジカップ、という構成となっていたが、91年には地方シリーズで腕とマナーを磨いた上級者が参加、全国を転戦して戦う上位シリーズ戦、インターカップが設定された。各サーキットの転戦は、変化するコースやコンディションにどうやって対応するかといった上級テクニックを参加者に求め、インターカップはシビックレース日本一を決める場として全国の選手たちの目標となった。


20年間で構築したワンメイクの意義

civic  各地方戦で腕を磨き好成績を挙げた上級者が全国を転戦するインターカップにステップアップする一方、全シリーズ上位選手が年に一度の晴れ舞台、F1日本グランプリの前座レースであるチャレンジカップに集まり、腕試しをする、という構造はうまく機能した。
90年代に入って日本は未曾有の不景気に見舞われ、レース界も失速を余儀なくされたが、シビックレースが安定した人気と参加者を集め得たのは、こうしたシリーズの構造が確立されていたからといえる。

 現在、シビックレースはインターカップを含む全国5シリーズ、全7サーキットで開催されている。ベース車両は、96年に通称ミラクルシビック、EK4型が登場してEG6型との混走となり、その後EK4型へ移行したが、97年にEK9型、いわゆるタイプRが登場、98年、99年はEK4型と混走しながら徐々にEK9型が主力機種となっていった。EG6型とEK4型は同じB16Aエンジンを搭載しながら、全く異なる車体だし、EK9型はエンジンを性能向上版のB16Bへ換装するとともに主要部分を改良したモデルであって、外観以上にその差は大きい。

 ワンメイクレースのひとつの課題が、このようなベース車両の進化に伴うモデルチェンジをどのように吸収するかにある。シビックレースはこの大問題を、性能差を積極的に調節し乗り切ってきた。そのためベース車両は、実状を勘案し均一の性能を安定して発揮するようこまめに開発される。その一方、エンジン性能を左右するECUをレース毎にオーガナイザーが貸与するという徹底したシステムを導入し、性能格差を縮めている。こうした工夫も、参加者負担を最小限にとどめ、レース活動に対する不安感を除去してシリーズを活性化する大きな役割を果たした要因といえる。またその結果、白熱したレースが実現し、同時にドライバーにとってはハードウェアに頼ることなく自分のテクニックを磨く絶好の場を提供することとなった。

 シビックレースは今年、20周年を迎える。この歴史はワンメイクレースでは最長の長さである。まさに日本のモータースポーツを支え続けたシビックレースは今、ひとつの節目を乗り越え新しい時代へ踏み出そうとしている。

 
  シビック・ワンメイク初代チャンプは中野信治の父・常治氏だった!

今年、CARTチャンピオンシップ・シリーズに挑戦する中野信治の父・常治氏もまた元レーシングドライバー。
なんとシビック・ワンメイクレース元年の1981年に、高橋国光や黒澤元治(黒澤琢弥の父)、生沢徹といった錚々たるメンバーを相手にタイトルを獲得したのがその中野常治だった。
「あの頃はF3と並行してやっていたんですが、はじめてのFFに興味もあったし、おもしろそうだからやってみようということになってね。それで周りを見渡すと、国サン(高橋国光)やらガンさん(黒澤元治)やら生沢(徹)という輝かしいメンバーが出ていて、ボクは無名でしたから何としてもこの晴れやかなメンバーには絶対に負けないというハングリーさをもってやっていました。レースは本当に真横とか後ろにガンさんとかがひっついてレースしていて、抜きつ抜かれつがあったし精神的にすごく厳しい戦いでした。でも、それだけにタイトルを獲得できたのは嬉しかったよ。」
 
 
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