鳥類の王者である鷲や
ギリシャ彫刻サモトラケのニケの翼に
世界に羽ばたくHondaの姿を重ね
シンボライズしたものと言われており、
飛躍への強い意志と
二輪車の力強い動きを表しています。
この流線型のタンクに付けられたマークが、Hondaの製品に付けられたマークの第1号。ギリシャ彫刻サモトラケのニケ(勝利の女神)がモチーフといわれている。疾駆、あるいは飛翔する人をイメージしたものであり、飛躍への強い意志が伝わるデザインとなっており、本田宗一郎の想いが込められている。
このマークは続くB型、C型、ドリーム号D型へと踏襲された。
Honda初の4サイクルエンジン搭載のドリーム号E型が登場。当時の販売店の看板やホンダ月報などの印刷物にもさりげなく使われ、Hondaの最初のシンボルマークとも言えるものであった。このA型以降のマークは初期のE型を最後に製品から使用されなくなる。
両翼を広げた形のマークに込めた想いは、『世界に羽ばたいて飛んでいく』というものであった。
本田宗一郎は当時から『Hondaは日本一ではなく世界一を目指すんだ。世界で競争するんだ』と皆に言っていたそうで、ベンリィ号を開発している時もフロントフェンダーに付けるマスコットプレートのデザインについて、『世界に羽ばたいて飛んでいくというイメージをうんと強調してくれ』と開発者に指示したというエピソードが残ってる。
この頃からHonda MotorのイニシャルHMと、車名のDREAMを組み合わせたマークが使われるようになった。A型から使われた人をモチーフにしたマークに代わり、このHMマークが広告や看板、印刷物に登場。
この頃、HMと車体名称が共存したマークも存在。
『世界に羽ばたく』というイメージと同時に、動きをもっと強調するために、進行方向に合わせて一枚翼をタンクの左右に付けるようになった。企業の統一したマークとし登場して広告やカタログにも登場。
1959年にマン島TTレース初出場、125ccチームメーカー賞獲得。そして参戦3年目で初優勝。レースへの果敢な挑戦を通じて、世界にHondaとWingマークを広めていった。
この頃、国内マーケット拡大し始め、二輪車のタイプが大幅に多様化。初のHondaロゴとWingマークの組み合わせ(これまではHMとの組み合わせ)がオフロード系モデルに適用。オンロード系はタンク横に「Honda」のロゴが主流であった。
1972年6月の全日本モトクロス第6戦日本GPで劇的な勝利を飾ったRC250M。このモデルのタンクにWing+Hondaロゴのマークを付けられていたため、以降の市販オフロードモデルではその組合せが一般的になった。同年9月には、RC250MのレプリカバージョンであるHonda初の市販モトクロッサー、エルシノアCR250Mが発売された。
2001年、コーポレートカラーとしてHonda Redを定める。それに伴い赤字のWingマークに統一。商品やモータースポーツ活動等から連想されるエキサイティングなイメージに加え、Hondaブランドの品質感と技術力を表現する深みを持った赤を採用。