V4シリーズのフルラインアップ化を宣言したホンダは、アメリカマーケットにおけるメインモデルのグランドスポーツのVF750S(セイバー)とカスタムのVF750C(マグナ)を優先させて、その次にロードスポーツモデルを開発して、全方位展開を予定していた。
V4のレイアウトでは、ピストンの形こそ違えどレーサーのNR500で可能性の高さは実証しており、ロードスポーツこそV4にふさわしいステージと考えられた。そこでまず'82年のデイトナ・スーパーバイクレースにプロトタイプのRS1000RW(FWS)を出場させ、「ホンダが間もなくV4スポーツを量産するぞ」とアピールした。
デイトナのレースにはF・スペンサーが出場。一時はトップを走行するもののタイヤ交換の間に順位が入れ替わり、結果は2位。それでもポテンシャルの高さは十分証明できたし、タイヤ交換もパワーが勝っていたために起こったということで、逆にそのパワーのすごさのアピールにもなった。そしてこのRS1000RWをベースとした新世代の750ccスポーツバイクを検討することになった。
このバイクのコンセプトは異次元の走りを前面に出したもので、
(1) 既存の750をあらゆる面で超越
(2) 世界最速を実現
(3) プロダクションレーサーのベース車となること
という指示が出された。もちろんこのV4でこれまでのバイクの常識を塗り替えるつもりだったので、開発陣にとってはこの高い目標は当然という感触だった。
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新開発の風洞実験室。空気の流れが誰の目にもわかるようになった |
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試作車で製作したVF750Fのカタログ校正版。書き込みでわかるように、市販車は細かいところを変更した |
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