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第3話第3話-5
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●CB750K
ヨーロッパでCB900Fが発売された'78年に国内にデビューしたCB750K。スポーティなFとは対照的な、ゆったりポジションのツーリングモデルだ
  ●CB750F('82)
AMAデイトナ100マイルを制したF・スペンサー車。この車両はもてぎのコレクションホールで見ることができる

当時の開発企画書によると、
●ヨーロッパ向け
・CB900F:マジョリティエンスージャストのための最速・最軽量スーパースポーツ
●アメリカ向け
750ccのメインマーケットであるアメリカの多くのユーザー層をカバーするため第二世代ナナハンを3機種投入する
・CB750K:マジョリティユーザーに受け入れられる750ccの決定版=ザ・グレート・クルーザー
・CB750F:若者向けスポーツ指向アドバンスモデル
・CB750A:バイクOB向けランナバウトツーリング指向モデル(その後開発中止)

とある。ヨーロッパ向けには『ノルマンディ上陸作戦』を展開し、大マーケットのアメリカにはクルーザー指向のCB750Kをメインに据えて3タイプを投入することが計画されたわけだ。たいていの人はヨーロッパテイストのCB900F/750Fの全世界展開が最初からの戦略と思っているが、実際は市場反響によって急遽変更したのである。


'78年のアメリカディーラーミーティングでヨーロッパに先駆けてCB750F/750Kの2機種を同時に発表した。そこでの反応は「445(F)の人気は大変ポジティブで、圧倒的に425(K)を上回った」というものだった。私たち445開発チームもライバルの425チームに対して「アメリカは425がメインというけど、絶対に445のほうが売れる!」と思っていたので、「いい物を見る目は世界共通」と、うれしかった。アメリカに遅れること半年で、日本仕様の量産が開始されると、開発メンバーの数人がCB750Fを「買う」といい出した。それくらい自分たちでも気に入った1台なわけだ。そんな様子を見て「この車はきっと売れる」と確信した。

その予感は的中し、発売が開始されるとヨーロッパやアメリカ、そして日本でも大きな反響を呼んだ。なかでもすごかったのは日本で、従来ナナハンのベストセールスモデルが月販200台程度だったのに対して、このCB750Fは1500〜2000台も売れる驚異的な大ヒットとなっていった。

また'82年のアメリカ・デイトナスーパーバイク100マイルレースにおいてF・スペンサーを筆頭に1〜3位を独占という快挙もなしとげたことが人気に拍車をかけた。当時からスペンサー車のレプリカマシンが見られたものだった。


一緒に開発したメンバーや社内の友人たちに「山中さん、CB750F買いましたよ」といわれることもたびたびで、これは開発者冥利に尽きるエピソードといえよう。ロードレーサーの勝利とは違った量産車開発の喜びである。

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