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1977-1978 NOTE
解説文章
cb900f
タイトル
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第3話第3話-1
'69年、従来までのバイクの常識を塗り替えた初のナナハン、CB750Fourが登場した。このCBは空前の大ヒットとなり、本格的なビッグバイク時代が訪れた。CBに刺激を受けた各メーカーが数々の競合車を投入する激戦状態となり、ホンダもCBのモデルチェンジやGL1000などで対抗する。とはいえこれらのバイクはアメリカでは受け入れられたものの、ヨーロッパの人の心はつかみきれず、少しずつホンダの王座は脅かされていった。

また、その頃のホンダのバイク開発は、アメリカ向けにデザインや仕様を決めており、ヨーロッパにはアメリカモデルのハンドルとステップを交換してライディングポジションを変更し、色をヨーロッパ好みに変えるだけで送り出していた。ところがそのようなバイク作りがじょじょにヨーロッパでは受け入れられなくなり、'77年頃のヨーロッパ市場でのホンダのシェアは危機的状況に陥っていた。そこで2輪部門の総責任者であった久米専務(後の本田技研社長)が打ち出したヨーロッパ市場立て直しプロジェクトが『ノルマンディ上陸作戦』である。これは第一艦隊のスーパースポーツモデルから第三艦隊のモペッドまでを含む全面作戦であり、ヨーロッパ市場のための専用モデルの開発が必要になった。その時のフラッグシップモデルがCBX1000で、最上級スーパースポーツモデルがCB900Fである。


私自身はRCB1000の3年目の改良のために更なる性能アップの検討を開始していた時期のこと。レーサー開発プロジェクトHERT(ホンダエンデュランスレーシングチーム)から古巣に戻るように指示をされた。そこで待っていたのが開発コード:438=CB900Fだ。

CB900Fは『RCBのイメージをダイレクトに受け継ぐ、サーキット最速・最軽量のスーパースポーツ』というコンセプトで、開発責任者(LPL)は入交さん(当時朝霞研究所の総括責任者。後の本田技研の副社長)。RCBの開発を経験した私にとっては絶好の“場”である。
ph1-1
右上のレンダリングをもとに左上のモックアップを作成。この頃は若干タンクの形状がちがい、タンク下には突起がある。下のモックアップではかなり実車に近いタンクがクレイで作られている
ph1-2
タンクのカラーリングのサンプルスケッチ。形状はほぼ決定していた

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