OCEAN MASTER STORY

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知られざるストーリー

2015.09.30

景勝地、最上峡の船下りに、
BF90搭載の新鋭艇が登場

景勝地、最上峡の船下りに、BF90搭載の新鋭艇が登場
間もなく就航するその船は、「第1もがみ丸」と名付けられた。
元禄のころに松尾芭蕉が眺めた最上峡の風景を、楽しみながらゆっくり下るための船だ。
動力のない江戸期の川船が静かに下っていったように、現代の川船も4ストローク船外機の静粛性に助けられ、静かに川面を下っていく。
観光客が乗船し、最上峡へと下っていく。
足を投げ出して座れる「ゴザ船」。
卓を囲み、酒飯が似合う「たたみ船」。
ゆったり座れる「椅子船」。
真冬でも暖かい「こたつ船」。
これらはいずれも、山形県を流れる最上川の船下りで使われる船の仕様だ。船を所有するのは、昭和39年(1964年)に設立された最上峡芭蕉ライン観光株式会社で、18隻の船を使って、年間365日、景勝地・最上峡での船下りを行っている。
十数年前、雪の最上峡を経験した。最上峡芭蕉ライン観光株式会社では、昭和47年(1972年)から雪見船を運航している。
最上川というと思い浮かべるのは松尾芭蕉だ。 元禄2年(1689年)の梅雨時に弟子の曾良とともに新庄の本合海から最上川の下り船に乗った芭蕉は、途中、戸沢藩の船番所が置かれた戸沢村の古口でひとまず下船し、役人の改めを受けた後、さらに下流の最上峡へと下っていった。
この船下りでの経験をもとに詠まれた「五月雨をあつめて涼し最上川」という句は、後に「五月雨をあつめて早し最上川」となって、江戸浅草自性院の住職で能書家の柏木素龍による素龍清書本に収まり、さらに後に刊行された井筒屋版本の「奥の細道」によって、世の中に急流・最上川の名を知らしめることとなった。出羽国の一河川が、芭蕉により名川へと押し上げられたと言ってもよい。
古口にある最上峡芭蕉ライン観光株式会社の乗船口。戸澤藩船番所の板看板が楽しい。
船下りの拠点となる戸沢村の古口には、最上峡芭蕉ライン観光株式会社の乗船所がある。昭和55年(1980年)に新設された同社の本社を兼ねた乗船所で、戸澤藩船番所を復元する形をとっている。豪壮な建物の入り口には「戸澤藩船番所」の板看板が掲げられ、船下りに訪れる観光客を喜ばせている。
船下りを楽しもうとする観光客は、年々増加する傾向にあるそうだ。
芭蕉が見た風景を今も同じように眺められるわけだから、観光客が多いのも頷ける。同社船舶部門執行役員の佐藤晃氏によれば、年間の乗船客は約10万人とのこと。注目すべきは、そのうちの1割を中国、台湾をはじめとする外国人旅行客が占めていることだろう。
今年9月中旬、新造船「第1もがみ丸」が進水。エアコン付きだ。船外機の右側にエアコンの室外機を置き、発電機のEU55isは、船室手前のボックスに収められた。
第1もがみ丸の船室はベンチシート仕様。ゆったりと船下りができる。ガラス面が多く、眺めも抜群だ。
第1もがみ丸進水直後、お神酒で船首と船尾、さらにエンジンをお清め。
最上川を溯る第1もがみ丸。
第1もがみ丸、テスト走行中。BF90はティラーハンドルでコントロールされるが、軽く、操作性が良いと評価を受けている。
外国人旅行客が増えたということもあり、今年(平成27年)9月、新たな椅子仕様の船が進水した。全長×全幅は、11メートル×2.7メートルで、旅客定員は25名。岩手県の大船渡の造船所で建造された。これまで、こたつ船などのように寒さ対策が取られた船はあったが、この「第1もがみ丸」と命名された新造船には、暑さと湿度対策が施された。真夏に嬉しいエアコン付きだ。
エンジンは主機として、Hondaの4ストローク船外機のBF90が搭載され、補機としてBF30が積まれた。さらにエアコン用に正弦波インバーター搭載の発電機、EU55isがデッキの特注ボックスに収まった。船の構造上、船室脇のデッキに設置される発電機には静粛性が求められる。その点EU55isは、エンジン回転数を自動制御するエコスロットルや、二重防音構造の採用などで低騒音が約束されているので問題はない。燃費も従来モデルに比べ、FI(フュエル・インジェクション)が採用されたことにより、大幅に向上している。
最上峡の船下りは、12キロを1時間かけて下っていく。エンジンはスローだ。そして乗客が下船した後は、スロットルを開けて一気に川を遡って古口へと戻っていく。 タフな使われ方は川下りに使われる船の宿命のようなもので、エンジンに必要なのは耐久性だ。運航管理者の南条裕司氏は、「船外機には、絶対壊れないことを求める」とはっきり言う。
造船所が造りこんだボックスに収まったEU55is。お清めのお神酒で本体が汚れている。
船最上峡芭蕉ライン観光株式会社・船舶部門執行役員の佐藤晃氏(右)と、同社運航管理者の南条裕司氏(左)。
「第1もがみ丸」の試走に同乗し、最上峡を下ってみた。
両岸から迫る山肌も、120メートルの落差を誇る白糸の滝も、滝下の不動堂も、すべて芭蕉が眺めた風景である。芭蕉はどのような船で下っていったのか。当時、最上川の舟運に使われていた船は、ひらた船(艜船、平田船とも書く)と小鵜飼船だ。復元された小鵜飼船は全長15mあるのに対し、全幅1.7m。やけに細長く、江戸期は最上川の左沢より上流で使うことが決められていた。一方、左沢から河口の酒田までは、ひらた船を使うことになっていた。このひらた船の大きさは様々だが、例えば全長15mに対して幅が3mと、こちらも細長い。これらの船は、帆柱に張った帆に風を受けて推力としていた。風がなければ船頭が川縁に降りて船を引いた。
古口から下船口のある草薙まで船下りの通常航路は12kmある。写真はその中間地点にある水上コンビニ。アユの塩焼きなどがある。
新造船の第1もがみ丸で下っていると、乗客を降ろし、乗船口のある古口へ戻る船とすれ違った。
芭蕉は、ひらた船か小鵜飼船に乗ったのか。あるいは猪牙船のような小型の和船で下っていったのか。はっきりとした資料が手元にないのだが。ひとつ確かなのは、静かな船下りであったということだ。江戸期の川船に動力はあり得ないのだから、瀬音と船頭の掛け声以外、何も聞こえなかったはずだ。
しかし現代の川下りもまた、4ストローク船外機のBFエンジンの搭載により、静かに川下りを楽しめるようになった。その上エアコンも利き、快適。もし芭蕉がこんな船に乗りながら急流を眺めたら、果たしてどのような句を詠んだであろうか。そんなことを考えなら、間もなくはじまる最上峡の紅葉の中を下っていくのも楽しそうだ。
以前、古口に最上峡芭蕉ライン観光を訪ねた時も、BFエンジンとともに発電機のEU9iが活躍していた。
取材協力:最上峡芭蕉ライン観光株式会社
本社&古口港(戸沢藩船番所)
〒999-6401 山形県最上郡戸沢村大字古口 86-1 TEL:0233-72-2001 FAX:0233-72-2003
文・写真:大野晴一郎