Honda Marine DNA

本田宗一郎の想い

Hondaマリンの原点

「水上を走るもの、水を汚すべからず」

これは本田技研工業株式会社の創業者、本田宗一郎氏の船外機に対する考え方で、物の創造に対する強い信念を感じる。

1964年、2ストロークが主流の時代、Hondaはあえて重量、コストなどでハンディのある4ストロークで船外機の世界に参入した。働く人を少しでも助けるため開発した汎用エンジンが仕事場の環境を汚すことなどあってはならない-創業者・本田宗一郎の想いを受け継ぎ、進化を続けるHondaの船外機は、仕事の現場に留まらず、今ではマリンレジャーにも広く利用されている。

1964年7月、GB30と名付けた初代4ストローク船外機を発表したHondaは、以後、名機と呼ばれる船外機を、数多く世の中に送り出すことになる。たとえば1992年には、当時もっとも厳しいとされたボーデン湖の環境規制(1993年から施行)に対応したBF8Bを登場させ、さらに翌1993年にも同様のBF6B、BF40Bを発表している。

1995年のBF90・75の発表に続き、1998年には、Honda独自の技術であるPGM-FIを取り入れたBF130・115を完成させた。「人と環境に優しい経済的で高品質な4ストロークエンジン」を基本コンセプトに開発されたモデルで、クリーンな排出ガスでEPA2006年規制値を大幅に下回る性能を持つ。さらに2001年、米国カリフォルニア州大気資源局(CARB)の、2008年度排出ガス規制値を大幅にクリアする高い環境性能を誇るBFシリーズのフラッグシップBF225の登場へとつながっていくのである。
Honda初の船外機GB30
1964年、Hondaが初めて開発した船外機は、4ストロークエンジン搭載のGB30。
水中にオイルを放出する2ストロークを良しとせず、大きさ・重さ・油滑という難題を抱えながらも、あえて4ストローク船外機で挑戦した。
当時は異端だった4ストは、今や世界の主流となった。その発端は、赤いエンジンカバーを持つHonda船外機だったのだ。