昭和にタイムスリップ!
90歳の床屋さんのお話

2024.8.9
LIFE CHANGER
昭和にタイムスリップ! 90歳の床屋さんのお話
埼玉県和光市白子、住宅街の一角に、まるで映画のセットかのような昭和の佇まいの床屋さんがあります。「加山理容館」

店主の加山信義さんはなんと90歳、現役。お店は1963年開店ですから61年におよびます。そして驚くのは、加山さんは15歳から床屋の道に入ったと言いますから、もう75年になるとのこと。ですが足腰も耳も会話もまったく問題なく、今でも100人を超える指名客を持ち、一緒に働く息子の哲治さんも顔負けだそうです。
ん?ん?なんで、Honda magazineで床屋さんの話?

それは和光市白子という場所だからなんです。実はHondaは白子に、1952年に二輪の工場をつくったのです。まだ四輪を販売する前のHondaでした。そのすぐ近くに店を構えているのが、加山さん親子のお店なのです。何か面白いお話が聞けるかも、そう思い、会いに行きました。
加山信義さん:
最初はね、申し訳ない言い方ですけど、Hondaの工場といったって、よくわからない町工場ができたなぁぐらいにしか思っていなかったですよ(笑)。この辺りも今と違って、畑ばかりだったし。Hondaもまだ有名じゃなかったから。まさかその後、世界のHondaになるなんて、当時は思っていなかったですね。

それがね、町の友達とかが、どんどんHondaに入ったんですよ。私の同級生も多く入りました。正直、成績とか関係なく入れたみたいで(笑)。でもね、同級生のなかにすごい奴もいて。島崎貞夫っていうんですが、Hondaに入ってレーサーになったんです。それはそれは、カッコ良かった! ですね。
――島崎貞夫さんは、実はHondaの初期のワークスライダー。浅間火山レース250ccクラス1位、Hondaが初めて世界に挑戦したマン島TTレース(125cc)で入賞するなど、伝説的なレーサー。(1991年没)

加山信義さん:
その頃Hondaが創っていたバイク「Dream」に、つなぎにヘルメットで颯爽と乗ってきて、本当にカッコ良かったよ。
1957年「浅間火山レース」に挑む、ライダーの面々
(写真左から2番目:島崎貞夫さん)
1960年、マン島TTレースで完走を果たしたHondaチーム
(上段写真左から3番目:島崎貞夫さん)
加山信義さん:
それからね、この近くに「青雲荘」っていう寮があって、Hondaの社員がいて、よく店に来てくれた。特に野球部のメンバーが常連でした。そうそう、その一人が、ウィングマーク(Honda二輪のマーク)を私に見せて、“床屋さん、このマークはね、いずれは世界に羽ばたくっていう意味なんだよ”って、胸をはって教えてくれました。当時は本当にそうなるとは思っていなかったけど、今じゃ世界のHonda、本当に世界に羽ばたいたから、すごいよね。
加山信義さん:
うちに来る社員の方は、創業者のことは、宗一郎さんは頑固者ですごい技術屋だと言ってましたね。そしてパートナーの藤澤さんが頭がキレて経営手腕がすごいって、よく話していました。

そうそう、本田宗一郎さんにまつわる話では、こんな話も。ここ白子に集会所をつくろうとなった時に、町の人間たちのお金では到底足りなかった。すると本田宗一郎さんが “地域にお世話になるんだから、応援しようじゃないか”と言って全面的に支援してくれたそうです。立派だなって思って、とても印象に残っています。
――さすが、地元で60年を超えて営む床屋さん。次から次にHondaにまつわる話が出てきます。それにしても、失礼ながら、90歳とは思えない元気さ、滑舌と記憶力の良さ。一体このパワーの源は?
加山信義さん:
Hondaの野球部のある監督がこう言ったんです。“床屋さん、僕たちは毎日やっていないと、筋肉が忘れるんです。頭ではわかっていても、筋肉が忘れるから、毎日練習しないとダメなんです。毎日毎日の積み重ねが大切なんですよ”と。この言葉が、今でも私の励みになっています。やっぱり毎日毎日の積み重ねがプロというもの。だから今もそう思って、私も日々、店に立っています。
加山信義さん:
技術だけでなく、ああ来て良かったとお客さんが思ってくれるような、心で接することができるから、やっぱり“心”が大事だと思います。満足していただくために、自分の腕も磨いてきましたし、おかげさまで総理大臣賞とかたくさんの賞もいただきました。でもね、それより今日来たお客さんが満足してくれることが大事なんです。自分もお客さんも後悔しないよう“心”で。そう思って毎日やってきたら、この年になりました(笑)。
技術だけでなく、
「心」が大事だと思う。
――加山さんのお話を聞いていて、思わずHondaの創業者の言葉を思い出しました。「自分の喜びを追求する行為が、他人の幸福への奉仕につながるものでありたい」昭和レトロな外観と内装、語らずとも歴史を感じるこの店には、柱時計の音と、気持ちいい風が流れていました。加山さん父子、二人ともが「この仕事が好きなんです」と。その姿が本当にカッコ良かった。よっ!男前!
加山信義さん:
そうそう、青雲荘の人がある時 “床屋さん、クルマに乗せてあげるよ”と言って、真っ赤なオープンカーで迎えにきてくれたんです。確か、S500だったと思います。あれは、本当にカッコ良かった!うちもHondaびいきですから、CIVICやSTEP WGN、N-BOXと息子が乗り継いでいますけど、あのS500が私は忘れらないですね。真っ赤なオープンカーがいまだに……。
――そういえば、HondaのSから始まったスポーツカーの歴史がちょうど60周年。加山理容館とほぼ同い年なんですよ! 加山さん。白子ビルは今でもHondaの施設として稼働中ですが、青雲荘は今はなくなったようです。

今回の取材は、その白子ビルの近くの歴史ある床屋さんに会いに行く、という風変わりな企画でしたが、結果、素敵な90歳現役の加山さんお会いでき、そして多くのHonda話が聞けました。

帰り道、なんだか編集部一同、心が弾みました。加山理容館、本当に素敵なお店でした!そしてちょっと個人的な感想ですが「昭和ってやっぱりいいなぁ」。

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