歴史に埋もれたスポーツカー 前編
今年Hondaは創立75周年。そしてちょうど60年前に日本で初めてクルマを発表しました。
「世の中にない高性能なクルマを創ろう」という創業者たちの想いから、1963年、T360という “軽トラック” を、10月にS500という “スポーツカー” を発売。「人々の生活に役立ちたい」という想いと「走りの楽しさを広げたい」という想いから、同年に発売した2台のクルマ。それがHondaのクルマ創りの原点であり、その想いは、今も変わらない思想です。
ちょうど60年という節目の中、Honda Magazineでは、その歴史の裏話を、独自にお届けしたいと思います。
まず最初は、S500から始まったスポーツカーの歴史から、60年の歴史に埋もれたスポーツカーを、Honda Magazine読者のみなさんに特別にご紹介します。
発売するすべてのクルマには、開発者やデザイナーの多くの苦労や努力があります。なかでもスポーツカーには、夢やロマンが多く詰まっているといえます。でも、さまざまな事情で発売前に中止となった「世に出なかったスポーツカープロジェクト」も数々あると聞きつけ、今回、編集部は、Hondaの「歴史のなかに埋もれたスポーツカー」の存在を訪ねて、和光デザインセンターへ。
このレポートは、Honda Magazineが初出し!
「世に出なかった挑戦」の歴史を、前編、後編、2回で当時の写真たっぷりで、お届けします!
Hondaがアメリカの排出ガス規制法「マスキー法」を世界のすべての自動車メーカーに先駆けて世界初でクリア、当時、大ニュースとなったのは1972年。
そのクリーンで高燃費なCVCCエンジン技術を、北米で広めようと、なんとV8という大型エンジンにCVCCを用いたクルマを創ろうと考えたそう。
そして、そのスタイルは、セダンかクーペか、スポーツカーか、という議論した結果、生まれたのが「環境性能を運転して楽しいクルマに」というHondaらしいスポーツカーへの挑戦だったという。
エンジンをリアミッドに置いたMRレイアウトと、フロントに置いたFRレイアウトの検討が始まり、フルサイズのクレーモデルまで開発は進んでいたそう。それがこちらの写真。
パッケージモデル
ミッドシップレイアウト
シルエットの美しさに、編集部も感嘆しました。
でもこの挑戦、1973年10月に世界中を襲ったオイルショックにより、開発は中止になり、夢と終わった。
1991年―
「スモール ミッドシップ オープン スポーツ」
だがこれも、さまざまな議論の末、お蔵入りとなったという。
この画像を見て思わず編集部は「これ、メチャクチャ、かっこいい!」当時のラインアップでいえば、軽のBEAT、そしてNSXの間となるスポーツカー。残念! 乗りたかったなぁと思うのは、編集部だけではないだろう。ワクワクするデザインですね!