「ふしぎ」を見に行こう
探検メンバー
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- ふしぎ探検隊が行くよ!
- 隊員はると
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- この人に聞いたよ
- 縄文時代にくわしい
武藤 康弘先生
縄文時代の文化や技術は
世界最先端だった?!
意外と大量生産?!
知られざる縄文時代の
リアル
知られざる縄文時代(1)ずっと竪穴住居に
住んでいたわけじゃない?
- 縄文時代の人はどんな場所に住んでいたの?
- 川の近くの高台のへりによく住んでいたよ。魚をとるのに便利で、水害を避けることもできたから。
- 見晴らしも良さそう。そこに竪穴住居を建てていたの?
- うん。竪穴住居は地面に穴を掘って建てられた半地下の家。ぼくはこの写真の右に写っているような、木の骨組みを樹皮などでおおって土をかぶせた「土葺き」の竪穴住居が多かったと考えているよ。
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土葺きの竪穴住居
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画像提供:富山市教育委員会
- 土葺きの家ってあたたかそう。
- あたたかいよ。竪穴住居の難点は湿気がこもりやすいこと。でも家の中にある「炉」で火を焚けば湿気をとばせるし、冬でも半袖1枚で過ごせるほどあたたかくなるんだ。
- へー! 火の力はすごいね。でも湿気が多い家だと夏は過ごしにくいのかな?
- うん。20世紀の初めまで同じように土葺きの竪穴住居に住んでいたカナダの先住民は、冬以外は川の近くの平地に、テントのような簡単な建物を建てて過ごしていたんだ。縄文時代の人たちもそうしていたかもしれないよ。
- あたたかい季節はキャンプ生活だったかもしれないんだね。楽しそう! おうちには家族で住んでいたの?
- 同居人は家族とは限らない。家族以外の人が同居したり、男の人だけで住んだり、若者だけで住んだりすることがあったようだ。
- へー! シェアハウスみたい! 何人くらいで住んでいたの?
- 10畳くらいの竪穴住居に5〜6人くらいで住んでいたようだよ。「ムラ」とよばれる縄文時代の集落には、こうした竪穴住居が3〜5棟ほど建っていたんだ。
- 少人数で暮らしていたんだね。
- うん。ちなみに縄文時代の後期・晩期の人たちは、ぼくたちが今住んでいるような川ぞいの平地におりてきて、穴を掘らずにふつうに家を建てることもあったんだ。
- 竪穴住居がずっとトレンドだったわけじゃないんだね。
知られざる縄文時代(2)貝ばかり
食べていたわけじゃない?
- 縄文時代の人って貝が大好きだったんでしょ?
- 貝塚のイメージからそう思うかもしれないけど、貝ってカロリーが低くてお腹いっぱいにならないんだよ。
- たしかに…! 主食にはならないね。ほかに何を食べていたの?
- ドングリ・トチノミ・クリ・クルミなどの木の実からデンプンをとったり、イノシシ・シカの肉、魚は海ならマグロ・タイ・スズキ・イワシ、川ならフナ・コイなど、意外とカロリーの高いものを食べていたんだ。
- おいしそうなものを食べてたんだね!
- 驚くことに、木の実は粉末にしたものを練って、現在のクッキーやパンに似た加工食品まで作っていたんだ。
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縄文人はグルメだった!
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- オーガニックでグルテンフリーだなんて、意識が高いね!
- 栃の実を練りこんだ栃もちは山のほうでは今も食べられていて、おいしいよ。はるとくんも一口どう?
- わ! おいしい! 木の実の味がクセになるね! 縄文時代の人っておいしいものを食べていたんだね。
- 貝はもちろん、その季節で一番美味しくてたくさんとれる「旬」のものを知っていたんだろう。ちなみに貝塚って貝殻を捨てる場所だと思われているけど、アクセサリーや人の骨などが見つかることもあるんだよ。
- えぇ! そんな大事なものも捨てていたの?
- 貝塚は、現代の感覚では「ゴミ箱」だと思われるけど、縄文時代の人にとって「捨てる」ことは「自然に還す」という感覚だったようだ。
- へー! エコな暮らしのお手本だね。
- と思いきや、意外と大量生産でもあった。ものすごい数の土器が作られているんだ。壊れたら捨てちゃうことも多かったみたい。
- そうなんだ? それだけ土器作りにかける思いが強かったということなのかな……。
知られざる縄文時代(3)土偶は壊すために
作られていた?!
- 縄文時代といえば土偶も有名だよね。ふくよかな女の人の土偶を見たことがあるよ。
- 妊娠中の女性を表したものが多いね。安産祈願や子どもの健康を願って作られたのだろう。でも土偶にはナゾが多い。土偶はたいていバラバラに壊れた状態で見つかるんだ。
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バラバラに壊れた土偶のナゾ
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釈迦堂遺跡博物館蔵 撮影:塚原明生
- 長いあいだ埋もれていたから、壊れたんじゃないの?
- いや、当時すでに壊れていたようだ。というか、特に縄文時代中期に作られたほとんどの土偶は、わざわざ壊すために作っていたと考えられるんだ。
- 壊すため? おだやかな縄文時代の人にそんなサイコパスな一面が……?!
- 自分の身代わりにしていたという説もある。たとえば腕をケガしたとき、腕を壊した土偶の破片を集落のまわりにまくことで治癒を願ったり。いろいろな願いをこめて壊していたのかもしれない。
- そっか。お医者さんがいなかった時代だから、病気やケガの不安は大きかっただろうね。
- 代わりにシャーマンというまじない師のような人はいたよ。
- ぼくの虫歯もシャーマンの呪術で治してもらえるかな。
- ふふふ。ちなみに縄文時代は、成人や結婚の儀式として犬歯などの歯を抜いていたんだ。シャーマンが木の杭を歯にカーンと打ち付けて。もちろん麻酔ナシでね。
- ええ! 痛すぎるよ! 縄文時代、やっぱりツライかも……。
- 平和な時代とはいえ、現代のように予防注射もないから、子どもたちの死亡率は高かったし、火山噴火・地震・津波などの自然災害のリスクも大きかった。
- 今ぼくたちが安全に生きられるのは、さまざまな技術のおかげだもんね。でも縄文時代の暮らしにも憧れる。いいとこ取り、できないかなぁ。
- 縄文時代の人の考え方を取り入れたらどうかな?
- さっきの「自然に還す」っていう考え方とか?
- うん。自然に対して謙虚な姿勢でいること。食べ物などの資源は自然からいただくもの。必要な分だけをとる。「足るを知る」ということだね。
- 食糧危機も環境問題も、縄文時代にはなかっただろうね。
- もちろん人口が100万人くらいだったとも推定される縄文時代と、1億2千万人もいる日本の現代をくらべることはできないけど、縄文マインドを取り入れて困難な時代も乗り切っていきたいね。
- みんなで1万年も平和が続く時代を目指したいね。縄文遺跡も見に行ってみたいな。
- 都道府県や市町村が運営する「埋蔵文化財センター」のWebサイトをチェックしてみるといいよ。近くの遺跡の展示品があったり、そばに復元住居が建てられていることも多いよ。
- 日本全国にあるんだね。
- 縄文遺跡は特に東日本にたくさん見つかっているけれど、まだまだ発掘されていない場所もたくさんあるはず。
- ひょっとして、ぼくが住んでいる町の下にも遺跡があるかな?
- 十分ありうるね。ふだんから山や谷や川などの地形を意識しながら町を歩けば、「ここは縄文人が好きそうな場所だな」ってわかってくるよ。
- 縄文人になりきって歩くと楽しそう。川の近くの高台は特にチェックだね。近くの遺跡にも行ってみるね!
武藤先生からのメッセージ
- 身の回りの自然環境を敏感に感じ取ると、見える世界が変わるよ。都会でも昔のまま山や谷の地形が残っている場所は多いし、昔の川の跡が道路になっていることもある。縄文人の目線で町を歩けば、いろんな発見があるはずだよ。
まとめ
- 縄文時代は身分や貧富の差がほとんどない平和な時代だった。
- 縄文人は「足るを知る」の精神で自然に謙虚に向き合っていた。
- 芸術性が高い土器やアクセサリーなども多く生み出された。

武藤 康弘
奈良女子大学文学部教授
國學院大學大学院修士課程修了。博士(文学)[東京大学]。専門は考古学。秋田県に生まれ、少年時代から秋田の山野で土器や石器を拾い、縄文時代に親しんでいた。著書に『縄文時代の食と住まい』(同成社)、『映像で見る奈良まつり歳時記』(ナカニシヤ出版)など。