1968年のマスターズトーナメント最終日でのこと、アルゼンチンのロベルト・デ・ビセンゾはこの日65のスコアをマークして首位のボブ・ゴールビーと並び、翌日行われる18ホールのプレーオフに駒を進めるはずでした。
奇しくもこの日は彼の45回目の誕生日であり、1番ティでは誕生日のセレモニーも行われました。さらには9番アイアンで打ったこのホールの第2打が直接カップインしてイーグル発進。2番と3番でもバーディをとるなど、人生最高の誕生日になるはずだったのです。
しかしあろうことか、同伴競技者のトミー・アーロンはビセンゾがバーディの「3」をとった17番パー4のスコアをうっかり「4」とスコアカードに記入してビセンゾに渡したのです。ビセンゾはその間違いに気づかず、スコアカードにサインをしてそのまま提出。65であったはずのスコアは66となってしまいました。
この結果、プレーオフは行われることなく、ボブ・ゴールビーがこの年のマスターズの優勝者となったのですが、この「事件」はゴルフ史上最大の悲劇として、いまなお語り継がれているのです。
「2位という結果は受け入れることができないが、ルールは受け入れる」
そう語り、アーロンに対してまったく非難めいたことを言わなかったビセンゾ。その潔い姿勢に賞賛が贈られ、彼の名前は世界中のゴルフファンの胸に刻まれることになりました。また、病床で事の顛末を知ったボビー・ジョーンズは「私にとって今年のマスターズの優勝者は2人いるよ」と言ってビセンゾを思い遣ったと言われています。
ロベルト・デ・ビセンゾにはもう1つの伝説があります。
あるトーナメントで優勝したときのこと。表彰式を終え、自宅に帰ろうとゴルフ場の駐車場にやって来たビセンゾ。そこには若い女が立っていて、彼にこう言ったのです。
「私には病気で死にそうな赤ちゃんがいるのですが、仕事がなく、病院に連れて行くお金がないのです…」
哀れに思ったビセンゾは、受け取ったばかりの小切手にサインをして女に渡しました。
「ありがとうございます! これでお医者様に赤ちゃんを診てもらうことができます」
女は涙を流しながら礼を言い、小切手を握りしめて帰って行きました。
翌週、ゴルフ場でランチをしていたビセンゾのもとにプロゴルフ協会の役員が訪ねてきて、詐欺で捕まった女が、あなたからもお金を騙し取ったと白状したよ、と告げました。
「あの女には赤ん坊などいないんだ。それどころか、結婚すらしていない」
役員からその事実を聞かされると、ビセンゾはこう尋ねました。
「死にかけている赤ちゃんがいないというのは本当ですか?」
「本当だとも。真っ赤な嘘だよ」
役員が気の毒そうに答えると、なぜかビセンゾはホッとしたような顔でこう言ったのです。
「そうですか、死にかけている赤ちゃんはいないんだ…それは今週一番の良い知らせだ」

ロベルト・デ・ビセンゾ
(1923~)
1967年の全英オープン優勝など、世界中のツアーで通算230勝以上を挙げているアルゼンチンの英雄。1968年のマスターズではスコア誤記(過大申告)によりプレーオフに残れず2位。この事件は「マスターズの悲劇」としていまなお語り継がれている。