最近、インターネット上に「釣った魚が売れる!」といって、盛んに興味を引く記事が増えています。
釣りは昔から高尚の趣味といわれており、子どもの情操教育にもよいと認められているのに、これはいったいどうしたものでしょうか。というわけで今回は、釣りはあくまでアマチュアリズムを大切に楽しむべき、というお話です。

みなさんは、「遊漁(ゆうぎょ)」という言葉をご存じでしょうか? 英語ならレジャーフィッシング。漁師が行なう「漁業」ではない、趣味としての釣りや採捕のことを、国の法律や規則では「遊漁」といいます。

遊漁としても楽しめる伊豆半島のキンメダイ釣り。アマチュアでも高級魚が釣れますが、仕掛けを下ろせるのは1日8回、釣りは午後1時までなど、プロの漁師の邪魔をしないためのルールがしっかり定められています
遊漁としても楽しめる伊豆半島のキンメダイ釣り。アマチュアでも高級魚が釣れますが、仕掛けを下ろせるのは1日8回、釣りは午後1時までなど、プロの漁師の邪魔をしないためのルールがしっかり定められています

魚などの水産資源は誰でも好き勝手に獲っていいわけではありません。何のルールもなく水辺の生きものが獲り放題では、やがて資源が枯渇してしまいます。日本なら「漁業法」「水産資源保護法」「漁業調整規則」「水産基本法」といった法律や規則があり、漁業に携わる人たちが守るべき事柄のほか、アマチュアである遊漁者に対しても、漁業者の権利を侵害しないことや資源保護を念頭に、釣り方などを含むルールが定められてきました。遊漁は文字通り「遊び」なのであり、まずはプロの漁師の邪魔はしないことが第一。さらには、たとえそこに漁師がいないような地域であっても、釣りは健全なレジャーなのであって、対価に金銭を求めるような考え方はするべきでないという、当たり前のモラルが多くの釣り人の間では守られてきたのです。

昔から釣った魚が売れるケースの例外としては、中部地方などのアユ釣りがあります。ただし、これにはアユ釣りが内水面(=海でない川や湖)の釣りで、元々プロの漁師が非常に少ないことなどから、国や都道府県の制度上でも海釣りとは違う管理がされてきたなどの歴史的な経緯があります

仮に「禁止されていないならいいじゃないか」と、遊漁者が釣った魚を売るという行為を始めたとします。するとどうなるでしょう?

最も心配されるのは、漁師や地元の漁業協同組合から「それはもはや遊漁ではない。アマチュアの釣りにもっと規制をかけるべきだ」という声が上がることです。そうした声が一度上がったら、行政としても無視はできず、一部のアマチュアリズムを忘れた人の行為で、その他の多くの健全に釣りを楽しんでいる人たちが、釣り場を制限されたり、そもそも釣りが許可されなくなる事態に発展するおそれが大いにあるのです。

問題はまだあります。まずは衛生面。一般に流通する魚は、食の安全を保つために、市場で食品衛生監視員による監視指導が行なわれていますが、遊漁者が釣った魚は、あくまでも自己責任。もしそういった魚が何も知らない第三者であるお客さんに提供されるようになると、食の安全が保たれなくなってしまうかもしれません。

他にも「(買い取り制度があれば)魚が釣れすぎても大丈夫!」といった表現もよく見受けられます。しかし、そもそもどんな魚であっても、乱獲は厳に慎むべきことです。買い取ってもらえるのだから、無責任にいくら釣ってもよいといった風潮が広まるなら、漁業者からの反発を招くのはもちろん、釣り人が自らモラルを捨てるようなものです。

自分や家族が美味しく食べきれるだけの魚を、楽しい釣りの延長として、ていねいに魚への感謝とともに持ち帰る。無駄な殺生はしない、という当たり前の心掛けが、結局釣り人自身のためにもなります
自分や家族が美味しく食べきれるだけの魚を、楽しい釣りの延長として、ていねいに魚への感謝とともに持ち帰る。無駄な殺生はしない、という当たり前の心掛けが、結局釣り人自身のためにもなります

実のところ、釣った魚をお寿司屋さんや料理屋さんに持ち込み調理してもらうこと自体は、釣り人の間では昔からごく普通に行なわれてきた慣習です。しかし、そうしたささやかな楽しみと、「釣った魚が売れる!」「釣り人だって得をしよう!」というような行為とでは、物事の質が全く違います。釣りはあくまでも「遊漁」なのであり、節度を守ってアマチュアリズムの中で行なう。そうした心掛けを守ってこそ、結局は多くの人が楽しく健全に釣りを末永く続けることができるのです。

※このコンテンツは、2019年4月の情報をもとに作成しております。最新の情報とは異なる場合がございますのでご了承ください。