しかしそんな渓流に棲んでいる先住民たちは、常に友好的とは限らない。侵略者である我々に対し、反旗を翻す小さな輩。それが蚊やアブなどの虫たちである。
そもそも、魚は虫を食べる。その魚を釣りに行くのだから、渓流で虫と出会うのは必然だ。それなのに、人はやれアブがいやだの、ヒルが気持ち悪いだのという。いやもちろん、記者だってそういう身勝手な人間のひとりなのだが……。
渓流でいやがられる虫は何種類かいるが、蚊については対応策がだいぶ進んでいる。最近よく使われるのが、ハッカ油だ。これは原液だと肌がひりひりするほど強力なので、薄めて使う。すでに薄めてある製品もあるが、それでも目に入るとたいへんなので注意したい。天然成分だけに安心だし、しかも効果はかなり強い。
ちなみに蚊が吸血すると痒くなる理由は、血を吸う際に血液が固まらないようにする唾液を人の体内に注入するから。それがアレルギー反応を引き起こし、痒くなるわけだ。一説によると、蚊が満足するまで吸血して飛び立ったほうが、痒みは弱くなるらしい。痒みを引き起こす唾液を、蚊自身が吸うからだ。唾液を人間に注入し、それを吸うことなく飛んでしまうほうが、より被害は甚大になるというわけだ。
とはいえ、蚊が悠々と食事しているのを見たら腹立たしい。しかしパチッと叩きつぶすと、唾液がさらに体内に注入されることがあるようだ。腹立ちを抑え、丁重にお引き取り願ったほうが、お互いに利があるのかもしれない。
蚊に刺された場合、たいていは痒みさえ治まれば腫れも引いてゆく。市販の薬を塗れば問題ないが、場合によっては伝染病を媒介するケースがあり、あなどれない。近年も都心部で蚊に刺され、デング熱を発症した事例があったが、もし熱が出るなどの症状が出たら、早めに病院に行くことだ。
蚊のほかにも、イヤな虫はたくさんいる。特にアブは、夏場の入渓を不可能にするほどの破壊力を持つ。やっかいなのは釣り人の間でメジロアブと呼ばれるもの。体長は1.5cm程度と小さい。もっと大きなアブの仲間もいるが、それよりはこのメジロアブのほうが面倒な相手なのである。
アブが単体でおよぼす害は、実はそれほど大したものではない。人によって強い痒みが引き起こされることがあるようだが、刺された時にちょっとチクリとするので、たいていは気がつく。だがメジロアブは、夏の一時期に大量発生をする。それこそ雲のように人に群がるのである。そうなると、もうなすすべはない。コンビニに売られている程度の虫除けはあまり効果が得られないし、クルマに逃げ戻ってほかの渓へ行くしかない。
メジロアブが多いのは、主に日本海側の渓流なので、夏になったらアブの多い地域には行かないのが得策。ただし、アブはお盆を過ぎると一気に姿を消すので、それ以降は逆に釣りの好機になる。
刺された場合は市販の薬を塗るしかないが、症状が出やすい人の場合は、病院に行って薬を処方してもらったほうがよい。
アブに並ぶ渓流の番人とされるのがヒル。種類はいくつかあるが、川の石をひっくり返すと見つかる種類より、ヤマビルと呼ばれる林道なんかにいるヤツが問題になる。
ヤマビルもやはり吸血するが、これがイヤなのは血がなかなか止まらないこと。脛などに何匹もくっ付いていると、大怪我でもしたかのように衣服が赤く染まっていることもある。そんなになるまで気がつかないのが不思議に思えるが、どうやらその唾液は血液の凝固を妨げるうえに、麻酔のような成分が含まれるらしい。
最近はヤマビル専用の虫除けがいくつかあって、それぞれ効果はあるようだ。ただし渓流では水に入ったりするので、流れて効果が薄まる可能性はある。肌に付いたヤマビルは、塩を振ると落ちる。アンモニア水やメントールを含む虫刺されの薬の一部でも、同様の効果がある。
出血がなかなか止まらない場合は、清潔なガーゼなどを当てて強く圧迫する。血が止まれば、痒みなどはあまり強くないが、心配な場合は病院に行くことをおすすめする。
これらの虫がいなければ、渓流釣りはもっと快適なはず。だが、たとえばアブの多い日本海側の源流域などは、そのせいで夏の間は釣り人が入れなくなる。結果的に、渓流の魚はその期間のんびりすごすことができ、お盆を過ぎるころには大きく育って私たちを楽しませてくれる。
最初に書いたように、虫は魚にとって大切なエサだ。それらを排除してしまっては、生きものの世界のバランスも崩れてしまう。そう考えれば、実は蚊やアブもこの世界に欠かせない生きものなのだ。
いずれにせよ、ちゃんと対策さえしておけば、渓流でこれらの虫に悩むこともない。清冽な水に足を浸し、美しい渓流と魚を満喫しよう。