VT250 - 1982.05

VT250F
VT250F
 
モーターサイクル・エンジンの歴史。

●マルチへの挑戦
 1920年代後半は再び多気筒化への挑戦が行われた。ブラフ・シューペリアは、27年にVバンク間に1本のカムシャフトを持つ60度V4気筒SV998cc、さらに28年にはアルミ製ブラック・シリンダー、エキゾースト・マニフォールドを備えたスイスのモトサコシ製直列4気筒エンジンを積んだモデルを試作したがどちらも冷却問題で実用化するまでには至らなかった。
 翌29年、マチレスは狭角26度V2気筒SV394ccのシルバー・アローを生み出す。ボア・ストローク54×86mm、シリンダーは一体鋳造され、バルブ・カムシャフトを内蔵する独特な物だった。
 モトグッチは対照的に広角120度V2気筒を開発した。前シリンダーは水平、後シリンダーは後傾され、重心の低下と冷却風の確保を狙う。この発展型はGPレースで数々の好成績をおさめた。
 1935年にマチレスは狭角18度V4気筒のシルバー・ホークを開発する。2個のV2気筒を一体としたボア・ストローク50.8×73mmの593ccエンジンは、シリンダーを一体鋳造し、脱着式シリンダーヘッドにバルブギアを組み込んだOHC方式を採用した。最もコンパクトな4気筒エンジンではあったが、並列配置した後方2気筒の冷却問題が空冷では解決することができなかった。
 1931年、エドワード・ターナーが設計したアリエル・スクエア4が登場する。4個の直立シリンダーを四辺形に配置したエンジンは、一体鋳造の空冷シリンダー、前後2本の180度クランクをヘリカル・ギアで連結し、斜め位置のピストンが同時に上下することでV4とは比較にならないバランスを獲得していた。バルブ機構はチェーン駆動のOHC方式を採用して、後にOHV997ccの“スクエア4”に再設計され60年代まで生産された。
 1930年から35年にかけてラッジはパイソン4バルブ173・248・348・498ccエンジンを製造して各国のメーカーに提供した。そして35年、ラッジはシリンダー・ヘッド上で回転するクロス・ロータリー・バルブ式単気筒250ccエンジンを完成し、当時としては非常に高い最高出力18PSを発揮したが、材質・加工面で充分な信頼性を獲得することはできなかった。4サイクル・ロータリー・バルブは、これから数年間、また第2次世界大戦後にも幾つかのメーカーで試みられたが、いずれも難問を解決できず試作段階で終っている。
 
●並列2気筒・4気筒の登場
 1935年、モーターサイクル・エンジンとして約30年近く主流となったターナー設計のトライアンフ500ccツインが登場する。直方並列の空冷2気筒エンジンは、2ベアリングの360度クランクを備え、クランク・ピン間にバランサーを置く設計となっていた。バランス的には単気筒と変らないが、トルク変動は等間隔爆発で滑らかになり、高回転化による出力向上、スロットルへの素早いレスポンスで人気を高めた。ボア・ストローク63×80mmの500cc半球型燃焼室を持つOHVは、従来のVツインより小型、軽量でVツインの難点であった冷却問題も解決され、その後のモーターサイクル・エンジンの原型となったのである。
 35年には高性能エンジンのもう一つのマスターピース、並列4気筒DOHCエンジンが、イタリアのロンディーニによって完成される。水冷式シリンダーは45度前傾に配置され、クランクシャフト・センターから1次駆動を取り、湿式多板クラッチとコイル点火を備えた機械式スーパー・チャージ・エンジンであった。ジャンニとルモールによるロンディーニの設計図はジレッラに買われ、後のジレッラ4に発展する。この大いなる遺産はMV、アグスタ、そしてホンダにも継承発展され、現在の高性能市販モーターサイクルに実用化されている。
 スーパー・チャージは1925年ドイツのビクトリアに初めて採用されたが、30年代のレーシング・マシンにとっては当然の技術となっていた。だが、駆動はクランクシャフトからギアによる機械式で、排気ガスによるターボ・チャージは第二次世界大戦中の航空機エンジン用に開発され、その地上での実用化までには半世紀近くの年月が要された。
 1956年、モーターサイクル史上、最も複雑なマシンといわれるモトグッチ水冷V8気筒500ccGPレーサーが登場した。90度Vの横置きクランクを持つ水冷エンジンは、一度も完全な調子を発揮することなく57年にはレース界から引退する。
星形5気筒のメゴラ、ユニークなFFモーターサイクル
全クラス選手権獲得の年
イタリアGP出場の250cc並列6気筒DOHC RC166
星形5気筒のメゴラ、ユニークなFFモーターサイクル イタリアGP出場の250cc並列6気筒DOHC RC166

●ホンダの時代
 1959年、ホンダは前年までに完成した世界最小のOHC2気筒125cc、250・300ccの経験を生かした並列2気筒DOHC8バルブRC141を完成し、マン島TTレースに出場、初参加ながら“メーカー・チーム賞”を獲得した。
 “スイス時計のように精密なエンジン”とイギリスのモーターサイクル専門誌が絶賛したホンダ4サイクル・エンジンの国際舞台への初登場であった。翌60年には世界初の空冷4サイクル並列4気筒DOHC16バルブ250ccのRC161、125cc2気筒のRC143で世界GPに挑戦する。
 3年目の1961年、ホンダは常勝を誇ったMVからロードレース世界選手権125・250ccを奪う。
 この時から、ホンダはモーターサイクル界のリーダーとなる。63年には125cc並列4気筒、65年には125cc並列5気筒、250cc並列6気筒のDOHCエンジンを開発、1966年にはGP史上唯一の全クラス選手権獲得という偉業を遂げた。
 レーシングマシンだけでなく、市販スポーツ・モーターサイクルにおいても、65年には直立並列2気筒DOHC450ccのCB450を発売、独特なトーションバー式バルブスプリングを採用、最高出力43PS/8,500rpmの高性能を発揮して、トライアンフなどイギリス製重量車に挑戦した。
 そして、1969年、大量生産市販モーターサイクルとしては世界初の空冷並列4気筒OHCエンジンを積んだCB750を発売、大排気量モーターサイクルの新しい世界を作り出した。
 その頃、イタリアのドカティは90度V4気筒“アポロ”を計画していたが実用化できず、結局90度V2気筒750ccを発売、レーシング・マシンに近い特殊スーパー・スポーツとして評価された。
 縦置き90度V2気筒、シャフト・ドライブのモトグッチV7、伝統を誇るハーレーなどが、ホンダを筆頭にする高性能空冷並列4気筒モーターサイクルに対抗して独自性を守っていた。
 ホンダは、75年には水冷水平対向4気筒OHC997ccエンジンを積んだGL1000を快適なツーリング・スポーツ・モデルとして発売する。
 そして78年、空冷並列マルチの頂点としての6気筒DOHC24バルブ1,047ccエンジンを持つハイパー・パフォーマンス・モーターサイクルCBX1000、水冷80度V2気筒OHV8バルブ500ccエンジンとシャフト・ドライブを備えたツーリング・スポーツGL500を発売し、世界中にセンセーションを巻き起こした。
 これらは、ホンダの誇る高回転高出力エンジン技術の蓄積から生まれた。モーターサイクルの特性に合わせたエンジンを開発するホンダの真骨頂を世界に示すことになった。
 81年、GL500を発展させたCX500ターボを発表、世界初の量産ターボ・モーターサイクルとして注目を集めた。
 そして、今年4月、数々の技術的問題を解決して世界初の水冷90度V4気筒16バルブ748ccエンジンを搭載したVF750を発売した。
 今日からは、空冷並列4・6気筒のCBX・CBに代表されるスーパー・スポーツ、完壁なバランスと静粛性、快適さを備えたツーリング・スポーツ用に水冷90度V4気筒と、かつて目指した高性能を超えた“乗り味”を選択できるモーターサイクル時代が開かれようとしている。水冷90度V4気筒のVF750は、先人達の果せなかった夢を実現した新しいエンジン、新しいモーターサイクルである。
●並列4気筒OHC CB750 ●水冷水平対向OHC GL1000
並列4気筒OHC CB750 水冷水平対向OHC GL1000




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