日本での誕生 |
海をへだてた日本でも1946年(S.21)6月富士重工から"ラビット(S-1型)"が発売された。これはアメリカのパウエル式スクーターを範としたものといわれているが、4サイクル単気筒135ccのエンジンを搭載した国産初のスクーターであった。
次いで同年8月には三菱重工が財閥解体により三社に分割された中の一社、中日本重工業が試作車として完成させた"シルバーピジョン(C-10型)"が商品化され、その年の暮に発売された。このC-10型は4サイクル単気筒、113cc、のエンジンを搭載しVベルトによる自動変速装置を備えていた。
同じ敗戦国の日本とイタリアで、同じように航空機産業に従事していたメーカーが、同じ発想から大衆の足"スクーター"を造ったことは大変興味深い。こうしてヨーロッパのみならず世界中の航空機メーカーやモーターサイクルメーカーがスクーターの開発を手がけた。 |
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シルバーピジョン(C-13型) ラビット(S-1型) |
第二次ブーム |
1910年〜1925年を第一次スクーターブームとすれば、第二次ブームは1946年から始まったといえる。第一次ブームの時と違い、PIAGGIOの予想した通り人々は自動車に代るミニマムトランスポーテーションを必要としていたし、二輪車は既に金持ちや貴族たちのものではなくなっていた。
1950年代に入ると、スクーターは完全に市民権を獲得し"黄金時代"を迎える。イタリア、日本、ドイツ、フランス、イギリスで各社からニューモデルが発表された。(オーストリア、スウェーデンでもつくられたといわれる)しかし、完成度の高い製品は少なく、ブームにのり遅れないためにモーターサイクル用のエンジンを流用したものが多かった。1950年代のスクーターの傾向は、自動車的スタイリングの時代であった。
二輪車で自動車のようなキャビンをもつ乗りものを造ろうとする発想は1920年代に既に現われており、二輪自動車は人類の夢の一つなのである。その傾向の一端を少しでも実現しようと、スタイリッシュなカバーを着せたニューモデルが次々と発表された。特にドイツ、フランスでその傾向が顕著であった。より自動車的にしたいために大型のトランクを備えようとし、乗り手をよりプロテクトしようとカバーを大きくかつデコラティブにしたため馬力と重量との競争となった。国産車をはじめドイツの"HEINKEL"、"LAMBRETTA"のライセンスで造られた"NSU"でさえ次第にデコラティブになっていった。これは同時期に世界中の流行となったアメリカ製乗用車のテールフィンスタイルと全く無縁ではないと思われる。このオーバー表現のスタイルはミニマムなトランスポーテーションにとってまさに末期的症状であった。 |
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HEINKEL(1950.ドイツ) |
LAMBRETTA LD(1952.イタリア) |
NSU PRIMA(1960.) |
消えていったスクーター |
1960年代に入ると世界は完全に平和となり経済的にも安定し、より身近なものとなった小型自動車の波に、乗用車の代用品的役割を担っていたスクーターは押され、次々と消えざるを得なかった。生き残ったのはスクーターとしての初心を忘れず贅肉のないベーシックなスタイルを持ったものだけとなった。 |
日本のスクーターメーカー |
日本におけるスクーターの歴史は前述の通り、1946年(S21)にその誕生をみる。その後1968年(S43)まで生産され、その間の生産累計は114万台に達している。この時期におけるスクーターを日本の第一次ブームと呼んでよいかと思われる。この時期スクーターを生産していたメーカーは約10社(その他スクーターとモペットの中間のようなセミスクーターメーカーが数社)あり、最盛期で120社ともいわれたモーターサイクルメーカーに比べると意外に少ない。第一次ブームのスクーターメーカーの中では、三菱重工業のシルバーピジョンと富士重工業のラビットが何といっても息長く生産し続けたメーカーとして記憶に残っている。当時のスクーターは業務用、営業用に幅広く利用されたが、感覚的には乗用車ムードが求められていたことは、その後の衰退の状況からみても明らかである。軽三輪や軽四輪の出現に伴ないスクーターのユーザーが次々とそちらへ移行した。またスーパーカブに代表されるモペットと称される小排気量でパワーがあり、しかも操作が簡単な乗り物の出現でいよいよその存在価値を失いついに1968年(S43)、日本の市場では生産されなくなった。 |
スクーター復活 |
昨年9月ホンダが発売した"タクト"によって、国産スクーターは12年ぶりに復活した。今年に入りヤマハから"ベルーガ"、スズキから"ジェンマ"が相次いで発売され、いままたスクーターブームが起りつつあるかにみえる。国産スクーターにとって12年間の空白は単なる空白ではなく、その間驚異的に発展したモータリゼーションとその環境が新しい時代のスクーターを生み出すための醸成期間であったといえる。二輪車生産量世界一の技術に裏打ちされたより軽快でパワフルなエンジンをもち、女性にも手軽に扱える操作性のよいスクーター、昔のような乗用車の代用品的スクーターとしてでないスクーターとして登場した。
日本でのスクーター復活がきっかけとなり、世界における"第三次スクーターブーム"に発展する可能性もつよい。 |
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