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2017.12.22 update

本田技研工業(株)熊本製作所

熊本地震から5カ月という早さで完全復旧を果たし、未曽有の危機を転機に変えて改革を続ける熊本製作所。

2016年4月、熊本地方を襲った未曽有の大震災により、Honda国内唯一の二輪車生産拠点である熊本製作所は壊滅的な打撃を受けながらも、被災から5カ月という驚異的な早さで復旧を果たしました。前例のない状況の中でも周辺環境の汚染・影響を発生させないなどの環境配慮を絶やすことなく、地域の人々と共に困難を乗り越え、そして現在ではグローバルHondaの二輪車マザー工場に相応しい進化、究極の組み立てを目指して、様々な改革が進行中です。

本田技研工業(株)熊本製作所 本田技研工業(株)熊本製作所

2016年4月、熊本地方を襲った未曽有の大震災により、Honda国内唯一の二輪車生産拠点である熊本製作所は壊滅的な打撃を受けながらも、被災から5カ月という驚異的な早さで復旧を果たしました。前例のない状況の中でも周辺環境の汚染・影響を発生させないなどの環境配慮を絶やすことなく、地域の人々と共に困難を乗り越え、そして現在ではグローバルHondaの二輪車マザー工場に相応しい進化、究極の組み立てを目指して、様々な改革が進行中です。

2017年10月19日、スーパーカブ1億台達成記念式典を開催した熊本製作所。

熊本製作所で行われた、スーパーカブシリーズ世界生産累計1億台記念式典。
熊本製作所で行われた、スーパーカブシリーズ世界生産累計1億台記念式典。
  • 会場からの中継を含み熊本製作所の全従業員が式典に参加した。

    会場からの中継を含み熊本製作所の全従業員が式典に参加した。

  • 「スーパーカブ110」1億台記念車を前に挨拶する八郷社長。

    「スーパーカブ110」1億台記念車を前に挨拶する八郷社長。

 新聞、テレビが伝える凄惨な街の姿に日本中が驚愕した熊本地震から1年半、Honda国内唯一の二輪生産拠点である熊本製作所では、スーパーカブシリーズ世界生産累計1億台を記念する式典が行われていました。世界中で販売されるHondaの超ロングセラーバイク「スーパーカブ」は、2017年11月発売のニューモデルより再びこの熊本製作所で生産されることとなり、ニューモデルの発表と併せて、記念式典を開催したのです。2017年10月19日に行われた式典では、Honda社長の八郷隆弘(はちごうたかひろ=本田技研工業(株)代表取締役社長)をはじめ、2017年度Honda国内二輪車イメージキャラクターのゴールデンボンバーの面々も登場。会場を埋め尽くした参加者たちは、全員が一体となって1億台の偉業を称えました。

 この式典の会場となったのは、製作所敷地内にある体育館です。そこは熊本地震発生時に、避難所となって近隣の被災者を受け入れた場所。一時は100人以上の人々がここで生活していました。
 式典に参加した従業員たちは、この体育館に入った瞬間、当時の記憶が心をよぎったと言います。製作所自体も壊滅的な被害を受け、その惨状に茫然と立ち尽くした当時の自分たち。設備の復旧に奔走しながら、周辺地域の被災者のために炊き出しを行い、瓦礫の撤去を手伝った日々。それはまだほんの1年半前のことだと思うと、彼らの胸にはまた新たな感慨がわき上がりました。

2016年4月14日、九州全域を揺さぶったマグニチュード6.5の熊本地震「前震」。

2016年4月14日午後9時26分に発生した地震の各地の震度。
2016年4月14日午後9時26分に発生した地震の各地の震度。
本田技研工業(株)熊本製作所 生産業務部 施設管理課 技術主任 平柳範夫
本田技研工業(株)熊本製作所 生産業務部 施設管理課 技術主任 平柳範夫

 2016年4月14日午後9時26分、熊本県熊本地方の地下11kmを震源とするマグニチュード6.5の地震が発生しました。後に「平成28年熊本地震」と称されることになる大災害の最初の地震です。震源にほど近い益城町や西原村では、観測事例として九州で初めて最大震度7を記録したほか、熊本市内でも震度6弱を記録し、九州地域の広範囲が震度3〜4で揺れるという大地震でした。

 震源地に程近い熊本製作所に勤務する施設管理課の平柳範夫(ひらやなぎのりお=本田技研工業(株)熊本製作所 生産業務部 施設管理課 技術主任)は、地震発生当時、自宅のリビングでテレビを見ていたと言います。熊本市東区という比較的震源に近い地域だったため、突然襲ってきた大きな揺れに自分の体を支えるのがやっとの状態がしばらく続きました。ようやく収まって家の中を見回すと、あちこちで家具が倒れ、割れた食器が散乱し、電気や水道も止まっていました。
「まずは家族全員の無事を確かめてみんなで外に避難しましたが、次に会社の状況が気になって、会社に連絡しました」(平柳)
 施設管理業務に携わる平柳は、生産設備等の被害状況を確認しようと会社に電話を掛け続けましたが、まったく繋がりません。ようやくグループリーダーの西岡の携帯電話と繋がり、とにかく会社で落ち合おうと話し合って、平柳は会社に向かいました。
「到着したのが午後11時ぐらい。入口で守衛に止められましたが、施設管理のスタッフだからと言って事務所に向かいました。しかし施設管理課の事務所を見た時、愕然としましたね。壁や天井が落ちてフロアに散らばっており、事務所の体を成していませんでした」(平柳)

施設全般に被害を受け、翌日から生産を停止した熊本製作所。

本田技研工業(株)熊本製作所 生産業務部 施設管理課 グループリーダー 西岡拓也
本田技研工業(株)熊本製作所 生産業務部 施設管理課 グループリーダー 西岡拓也
熊本製作所がある大津町は、震度7を記録した益城町や西原村と隣接する場所にある。
熊本製作所がある大津町は、震度7を記録した益城町や西原村と隣接する場所にある。

 西岡拓也(にしおかたくや=本田技研工業(株)熊本製作所 生産業務部 施設管理課 グループリーダー)にとってそれは、施設管理課のグループリーダー就任2週間目のことでした。菊陽町の自宅で寛いでいた西岡を、かつて経験したことのない大きな地震が襲いました。
「揺れが収まってまず心配したのは、会社で業務中のメンバー2人の安否でした」(西岡)
 幸いすぐに電話が通じて2人の無事が確認できました。しかし彼らはひどく動転している様子だったので、西岡はとにかく安全な場所へ逃げろという指示を出して電話を切りました。
「その後は電話も通じにくくなり、SNSで課長や他のメンバーと連絡を取って、出社可能なメンバーで会社に集まることになりました。行ってみると、施設管理課のスタッフに交じって電気設備会社や建設会社など、日頃お付き合いのある協力会社の方々も心配して来て頂いていましたので、それは有り難かったですね」(西岡)
 施設管理課のスタッフと電気設備や建築など協力会社の専門家がペアになって、工場内を巡回しました。電気が止まって真っ暗な中、懐中電灯で照らされた工場の中は、あちこちで水が噴き出し、天井の配管は切れて垂れ下がり、壁も崩れ、それは悲惨な光景でした。更に余震が続き、揺れるたびに上からモノが落ちてくるという状況下では、下手に動きまわる方が危険でしたので、最低限の確認を行った後は翌朝明るくなってから詳細確認を行う段取りを決めて解散しました。

 翌朝8時、再度集まったスタッフたちは、あらためて詳細な被害状況の調査を行いました。
「明るくなってからのほうが凄惨な状況がはっきり目に入り、ショックは大きかったですね。工場の生産をストップせざるを得ないのは一目瞭然でしたが、私たちの仕事は建屋と設備をどう復旧し、いつから再稼働させるのか計画を立てることです。協力会社と現場ごとに復旧の大まかな段取りを組み立て、だいたい2週間ぐらいで再稼働できそうだという目処をつけて、それを施設管理課の見解として提出し、その日の作業を終えました」(西岡)

 平柳や西岡たち施設管理課のスタッフにとって、怒涛の一日が終わりました。明日からさらに詳細な調査、検証を行い、また作業をペースアップして一日でも早く工場を復旧させよう。そう考えながら床についた彼らの想いは、その夜打ち砕かれることになります。
 その日の深夜、日付けが変わった4月16日の午前1時25分、熊本地震で最大規模となったマグニチュード7.3の本震が、熊本地方を、そして熊本製作所を再び襲ったのです。