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Hondaのバイクが、世界のモータースポーツの舞台へ飛び出したのは、1959年のマン島TTレースが最初でした。3年目の1961年に初優勝。1960年代には、ヨーロッパ各地のレースで輝かしい戦績を残します。その頃のマシンは、赤を中心にしたものでした。

1970年代、Hondaはアメリカでもバイクレースに参戦します。その中で、貴重な資料を発見! アメリカン・ホンダのモトクロスチームの選手たちが、赤青白のライダーウェアを着ています。時は1973年。トリコロールと言えばフランス国旗で有名ですが、実はアメリカの星条旗も「赤青白」。そこからのカラーリングでしょうか。しかしマシンはまだトリコロールではありません。

はじめて赤青白の3色を使ったマシンとして記録に残っているのは、1973年、アメリカのデイトナ200マイルレースに出場したCB750レーサー。名車、CB750FOURをベースに開発されたマシンでした。日本人ライダー隅谷守男選手が乗って6位に入賞したマシンが、初の「赤青白」。いや、正確には「朱色・水色・白」? 当時の隅谷選手のウェアのカラーもおそろいでした。やはりトリコロールは、ウェアから来たのでしょうか。

RSC(Racing Service Center)とは、Hondaのモータースポーツをサポートする会社の旧社名。現在は(株)ホンダ・レーシング。HRCというロゴで知られています。そのRSCは、当初レースサポートを行っており、1973年に会社組織となったのですが、その頃、黒地からトリコロールへとマークが変わっています。1973年当時、すでにHondaのワークスチーム=トリコロールという認識があったのではないでしょうか。

ヨーロッパ耐久選手権に参加するために開発されたマシンが、RCB1000 。1976年にデビューし、初年度からタイトルを獲得するなど、数々の栄光を刻みました。そのマシンは、当初からトリコロール。デザイナーだった松澤正和は、「北米AMAライダーウェアや隅谷選手のマシンはトリコだったと、おぼろげなイメージはあった」と証言します。トリコロールのHondaは、その強さで世界に強烈な印象を与えたのでした。

1980年前後になると、本格的に、トリコロールのHondaの時代がやってきます。1979年の世界GPに楕円ピストンで登場し世界を驚かせたNR500、1982年のパリダカールラリーで初優勝したXR500Rなど、世界各地のさまざまなレースで、トリコロールのマシンが活躍。さらに、それらレース用マシンをイメージしたトリコロールの市販車が発売され、人気を博しました。そうしたことから、世界で闘うHondaのマシン=トリコロールというイメージができていったのです。