お別れの会「おくる言葉」
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吉野浩行
本田技研工業株式会社代表取締役社長
故加藤大治郎選手のお別れの会にあたって

 加藤大治郎選手は、1992年に弱冠16歳でロードレースへデビューされ、以降、全日本ロードレース選手権、およびロードレース世界選手権の250ccクラスでチャンピオンを獲得、昨年より二輪ロードレースの最高峰であるWGP・MotoGPクラスに参戦されました。加藤選手の輝かしい活躍は、2002年に文部科学大臣より「スポーツ功労者」として顕彰され、日本が世界に誇るライダーとして、その偉大な功績が称えられました。
 また、加藤選手は今日まで11年にわたり終始一貫Hondaのマシンでレースに参戦され、HondaのWGP500勝達成やワークスマシンの開発に大きく寄与されました。並外れたライディングセンスと、誰からも愛される人柄の持ち主である加藤選手。貴殿がHondaのライダーであることを誇りに思い、Hondaのマシンを駆って私たちに見せてくれた感動と栄光の数々を、私たちは決して忘れません。

ここに謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします。
2003年5月18日
本田技研工業株式会社
代表取締役社長 吉野浩行
金澤 賢
株式会社ホンダ・レーシング 代表取締役社長
故加藤大治郎君のお別れの会にあたって

 4月6日、WGP開幕戦での突然の事故―――ご家族、ご親戚、そして数多くのファンの皆さんの回復の祈りも届かず、君は26歳という若さで逝ってしまいました。
 天才の名をほしいままにした大治郎君とともに、MotoGPクラスを制覇するという夢を持っていた私たちでした。君が2001年にWGP250ccクラスでチャンピオンになり、「大治郎が夢を叶えてくれる」と確信した矢先の出来事でした。今後WGPを戦う上で、君を失ったことはあまりにも大きな痛手です。
 Hondaはこれからも様々なレースに参戦していきますが、私たちは常に君のスピリットとともにチャレンジを続けていきます。

本日お集まりいただいた皆様とともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
2003年5月18日
株式会社 ホンダ・レーシング
代表取締役社長 金澤 賢
宇川 徹選手(Camel Pramac Pons)
 やはりまだ大治郎が他界したというのが全く信じられない、GPのパドックも寂しい雰囲気です。そして、大治郎がいなくてもGPは普通に続いていく・・・・何かとっても複雑な気持ちです。
 大治郎とは8耐で2回コンビを組み、1回優勝しました。今までの8耐の中で最高、最強のパートナーであったし、そして最強のライバルでもあった。大治郎は僕のことを意識していたかは分からないけど、僕は同じクラスを走り始めてから常にどこかで大治郎を意識していたと思う。それぐらい大治郎は速かったし、上手かった。でもあまりにも速く走り過ぎて行ってしまった、とにかく速すぎた。
 くどいようだけど、鈴鹿のレース前に話をした大治郎がこの世にいないのがまだ信じられないです。とにかくとにかく信じられない。またいつもみたいに「ふふっふ」と笑って現れるような気がしてしまう。これから先もGPは普通に続いていく、そして今はとにかく大治郎のご冥福をお祈りしたい。
2003年5月18日
宇川 徹
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