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Honda人生は野球からはじまった。物流で現場を変える挑戦の日々

プロ野球選手を目指しHonda硬式野球部に入った溝渕 隆夫。引退後は野球で身につけたコミュニケーション力と人間力を活かして物流の道へ。タイでの駐在を経て、2021年現在は埼玉国内物流課で課長を務める溝渕が、さまざまな舞台でチャレンジを続けるなかで大切にしてきたものとは──。

溝渕 隆夫Takao Mizobuchi

四輪事業本部SCM統括部 サプライチェーン推進部 埼玉国内物流課

2001年新卒入社。硬式野球部の選手としてHondaに入社し、プロを目指して野球漬けの毎日を送る。2005年野球部引退を機に部品物流室に配属され、以降物流事業に携わる。2015年から2年間、タイのエイシアン・ホンダモーター(Asian Honda Motor Co., Ltd.)、その後4年間、ホンダオートモービル(タイランド)カンパニー・リミテッド(Honda AutomobileThailandCo.,Ltd.)への駐在を経験。タイの四輪車工場「プラチンブリ工場」の新規立ち上げにKD部品*輸出業務プロジェクトリーダーとして携わる。帰国後も一貫して物流に携わり、現在に至る。


*自動車生産において供給国から部品単位で輸出し需給国で組み立て完成させる生産方式。KDはノックダウン(Knock Down)の略称。

プロを目指して朝から晩まで野球に没頭する日々

野球から、物流へ。

2021年5月現在、四輪事業本部 SCM統括部 サプライチェーン推進部 埼玉国内物流課の課長を務める溝渕は、そんなめずらしい経歴を持った社員です。

溝渕が今のポジションに就いたのは、2021年4月のこと。埼玉国内物流課は生産に使用する部品の取引先から工場への調達を担う部署です。安定供給はもちろん、将来事業や環境変化も踏まえて、取引先から工場、さらには生産ラインサイドにまでおよぶサプライチェーン全体で最適となるような物流設計業務を行っています。

溝渕 「現状の部品調達のやり方は主に引き取り物流と幹線物流があります。引き取り物流はHondaが部品取引先の工場などに荷物を引き取りに行き効率よく目的地に運ぶ、幹線物流はHondaが地区単位に構えた場所で部品取引先から荷物を受け取り、それを束ねて大型なトラックなどを使用して太く目的地まで運ぶものです。これらの物流スキームを上手に活用した最適な輸送モードでトラックの積載率向上や便数を減らすなどの効率化を図っています。これら効率化の取組みはドライバー不足などの社会的な課題解決や環境負荷低減にも貢献しています」

実は、溝渕は入社当時からこのような仕事に携わっていたわけではありません。

溝渕は2001年に大学を卒業し、「Honda硬式野球部の選手」として新卒で入社しました。

溝渕 「小学校低学年から大学まで、ずっと野球を続けていました。大学卒業の際、プロ野球選手を目指す私にいくつかの企業が声をかけてくださり、その中の1つがHondaでした。『プロへの挑戦も含めて、どんどんチャレンジしてほしい』という自由闊達でチャレンジングな社風に惹かれ、入社を決意しました」

野球選手として入社した溝渕がやるべきことは、野球です。そのため、入社後の会社生活は一般的な社員とは異なるものでした。

溝渕 「入社後は生産本部埼玉製作所 和光エンジン工場の品質管理室に配属されましたが、硬式野球部の選手は、所属部署の業務より野球の練習に励む割合が大きくなります。野球がシーズンに入ると職場に行くことはできず、朝から晩まで野球をする生活をしていましたね。

野球というチームスポーツにはコミュニケーションはもちろん、リーダーシップや協調性、また変化に柔軟に対応できる適応力や行動力などの人間力が不可欠です。長く続けてきた野球を通じ、それらを培えたことは私にとってはとても大きな財産だと思います」

引退後に飛び込んだ物流の世界。三現主義を実践し食らいつく

Hondaに入社してからの5年間、溝渕は野球に専念。勝負強いシャープな打撃と堅実な守備で活躍したのち、27歳になった2005年に引退することになったのです。

溝渕 「野球部引退当時は工場の生産ラインにいたのですが、当時の物流領域の部長が、熱意のある人材が必要だと私に声をかけてくれました。そのことがきっかけで海外へ部品輸出を担う部品物流室(現在はサプライチェーン推進部)に異動しましたが、当時はその部署がどのような業務を担っているのかも分かっていませんでしたし、パソコンもろくに使えませんでした」

物流領域に異動した当初、溝渕と同年代の社員はたくさんいました。皆入社してから5年間自分の担当業務に力を注いできた社員です。溝渕はパソコンの操作もままならない状態で彼らとともに働くことになり、追いつくための努力を重ねました。

溝渕 「自分が負けず嫌いな性格なこともあり、野球部出身だからといって、まわりに落胆されたくないという想いと、今まで自分の好きな野球をやらせてくれた会社やお世話になった方々に早く恩返しをしたいという強い想いでガムシャラに働きました。

最初は小さなことでも知っているつもりにならずに質問するようにしていました。また、何のために、どういう目的でこの業務をやっているのか確認し、一つひとつを単なる作業にしてしまわないように心がけていました。人の倍以上は努力しなければ追いつけないと思い、とにかく毎日遅くまで頑張った記憶があります」

野球に打ち込んだことで身についた、コミュニケーション力と人間力。新しい職場では、挨拶をきっかけとして会話を増やし、チームワークを大切にしながら、常にチャレンジ精神を忘れずに業務に励んだといいます。

当時の仕事のなかで特に印象に残っているのは、三現主義の考え方です。

溝渕 「現場・現物・現実の3つを重視する三現主義が大切だと、よく上司に言われていました。デスクワークが増えるとどうしても現場に行きづらくなりますが、『机上の仕事だけではなく、現場に行き、現場で何が起きているのかを把握しなさい』と教えられ、その教えを実践し続けました」

三現主義を実践する溝渕があわせて心がけていたのは、現場の方の意見を吸い上げ、作業や工程にムリ、ムラ、ムダがないか確認して業務改善することでした。

溝渕 「当時は部品を包装して海外へ輸出する仕事をしていたので、包装現場で包装作業をしている委託作業者の方と親しくなり、コミュニケーションをよく取っていました。何気ない会話のなかから『これは無駄だと思う』『こうすればもっと効率的になる』といった現場の方の声を聞くことができました。

デスクワークをしているだけでは分からない現場の“生の意見”をどんどん吸い上げて、改善につなげていく。現場の意見や期待を、自分自身がさまざまな部門と調整して具現化することがモチベーションにもなりました」

埼玉製作所で一つの事業所の改善に取り組んできた溝渕ですが、2013年から東京、青山本社にてこれまでの経験を活かし、全国の事業所の効率化を図る業務に携わることになったのです。

溝渕 「同じHondaという会社でも、事業所によってやり方が異なります。本社で全体を見ることにより、同じ業務をしているのにオペレーションのやり方が違うケースを確認できるようになりました。それを全体で最適な方法に統一していく必要性を強く感じましたね。本社勤務になっても、常に三現主義を意識して全国の事業所を回り、効率化を図っていきました」

タイ駐在で感じた壁を、コミュニケーションスキルで越える

キャリアを積み重ねながら、溝渕は徐々に海外に対する興味を強くしていきました。

溝渕 「海外へ部品を輸出する仕事をしていると、部品を出す側を見ることはできても受ける側を見ることはできません。そのため、海外に行って“受ける側”を経験してみたいという想いがありました。また、日本国内でも各事業所でオペレーションが異なるのだから、海外でもおそらく違うのだろう、もっとグローバルな範囲で物流を効率化できるのではと思い、その点にも興味がありました」

そして溝渕は、2015年から日本での経験を活かすべくタイに駐在することになりました。Hondaの100%出資子会社であり、ASEAN地域での事業統括機能を持つエイシアン・ホンダモーターでタイやインドネシア、マレーシアなどアジア全体に関わる物流領域の統括業務を担当することになったのです。

駐在生活は、英語があまり話せないところからのスタートでした。通訳はおらず、会話や資料はすべて英語という環境下でしたが、自宅での勉強はもちろん、とにかく英語で積極的に考えや想いを込めて会話をすることで、徐々にスタッフとコミュニケーションが取れるようになっていきました。しかし、溝渕は英語を話せるようになるだけでは解決できない壁を感じることになります。

溝渕 「タイ、インドネシア、マレーシアなどアジア全体の物流統括を担当することになり、言語だけでなく文化や考え方が大きく異なっていると感じました。たとえばタイのスタッフの傾向は、自分の仕事には責任感とプライドを持って取り組む方が多いですが、自分の業務以外への関心は高いとは言えず、隣の席の人がどのような業務に取り組んでいるかを知らないこともありました。

また、時間管理が緩やかで、10時に会議をはじめると言っても10時半に集まるということもたびたびありました。そういう点は文化や考え方の違いとして受け入れながら、どうすれば上手くコミュニケーションを取ることができるかを模索しながら仕事をしていました」

溝渕はエイシアン・ホンダモーターでアジア全体の物流統括を担当しつつ、同じくタイにある四輪車生産販売現地法人であるホンダオートモービル(タイランド)のプロジェクトにも関わることになります。同社が新たに四輪車工場「プラチンブリ工場」を立ち上げるためのプロジェクトで、リーダーを務めることになったのです。

日本のHondaで働く社員たちは、駐在先も同じHondaという会社であると認識しています。しかし、現地タイではエイシアン・ホンダモーターとホンダオートモービルは別会社という強い認識があります。そのため、エイシアン・ホンダモーターで働く溝渕が工場立ち上げプロジェクトを引っ張っていくには、ホンダオートモービルのローカルスタッフとの信頼関係構築が鍵となりました。

溝渕 「チーム発足時、自分の他にはホンダオートモービルのタイ人スタッフ1名しかいませんでした。彼にとって私とプロジェクトを進めることは、違う会社の人と仕事をする感覚のようでした。そこで何よりもまず相手を知り、自分を知ってもらい、ベースとなる信頼関係を築く必要がありました。

彼は英語をあまり話すことができなかったので、必死にタイ語を勉強してコミュニケーションを図るようにすると、次第に彼も歩み寄ってくれるようになりました。これでようやくプロジェクトのベースが整ったという感じでしたね」

足し算ではなく、掛け算になる。野球でも仕事でも大切なのは“チームワーク”

チームとしての信頼関係を築いてからも、厳しい局面は続きました。

溝渕 「さすがに2名体制ではプロジェクト成功を盤石なものにできるとは言えませんでしたので、まずはチームの体制強化からはじめる必要がありました。また、新工場の立ち上げと同時に新しい機種の生産スタートもありましたが、実際の部品確認もほぼ出来ず、さらに部品の包装作業をする倉庫すらない状態でした。正直これはかなり大変だなと思いましたが、ついてきてくれる仲間を前にリーダーとして立ち止まることはできませんでした」

新しく会社を立ち上げるときのように、体制づくりをするとともに、まずチームの目指すビジョンや目標を決めて浸透させる必要がありました。しかし、ここでも文化の違いが壁となります。

溝渕 「私は仕事を進めていく上でチームワークが大切だと考えていますが、タイの人は個人の集まりという意識が強く、言葉で“チームワーク”と言ってもなかなか伝わりにくいと感じました。

そのため、まずはチーム全員でどのような工場を立ち上げたいのか議論し、同じ方向を目指して進むための意思統一をしました。また、メンバーは自分の役割があれば、プライドと責任感を持って働いてくれると感じていたので、意思統一をしたあとはそれぞれ明確な役割を決め、プロジェクトを進めていきました」

変化を好まず、自分たちがやってきたことを継続したいというマインドが強いスタッフたちをまとめるため、試行錯誤した溝渕。チームワークや役割分担の大切さは野球を通じて十分に学んでいたため、根気よくメッセージを伝え続け、チームを機能させていきました。

その後、プラチンブリ工場と新しい機種は大きなトラブルなく同時に立ち上げることに成功し、当時立ち上げをともに乗り越えたタイ人ローカルメンバーたちは溝渕が残したメッセージを引き継ぎ、今では各領域の主要リーダーとして活躍しています。

タイに駐在した経験を通じて、溝渕は改めて「仕事はひとりでは何もできない」と感じました。

溝渕 「チームがひとつになって同じ方向に進むと、足し算ではなく掛け算になって大きな成果につながります。お互い助け合うことでより大きな成果を得られるということを、タイで再認識しました。また、助け合うことで自分が関わる人が成長していく姿を間近で見られることにもおもしろさや、やりがいを感じました」

溝渕は、これからの時代にHondaが成長を続けるためにも、チームワークは重要だと考えています。

溝渕 「今自動車業界は変革期の真っただ中にいますし、新型コロナウイルス感染症流行の影響もあってこれからますます環境変化が大きくなると思います。変化する世界で、Hondaが生き残るためには、“チームHonda”の考え方は欠かせません。

大切にしなくてはいけないことはたくさんありますが、すべての根底にくるものは、やはり挨拶やコミュニケーション、また、相手のことを思いやり、課メンバーや業務で関わりのある方々、また支えてくれている家族に対して常に感謝の気持ちを持つことだと考えています」

国内外でHondaの物流現場を変えてきた溝渕は、これからも野球や駐在経験のなかで培った人間力で、関わる相手一人ひとりに真剣に向き合い、“チームHonda”でチャレンジし続けます。

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