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異色の経歴の元ライダーがレースのサポートを通じて届ける夢

レースへの熱い情熱を受け継ぐモーターサイクルスポーツのスペシャリスト集団「ホンダ・レーシング(HRC)」。HRCのレース運営室に所属する芹澤 直樹は、過去にプロのモトクロスのライダーとして活躍した経験がありました。彼がライダーの経験を活かしてレース運営をサポートし、目指す先にあるものとは──

芹澤 直樹Naoki Serizawa

株式会社ホンダ・レーシング レース運営室 オフロードブロック

2001年〜2004年はHondaのTeam HRCに所属。2005年に中途入社。朝霞研究所、二輪R&Dセンター(※現在のものづくりセンター)での研究職を経て2014年よりホンダ・レーシング(HRC)に異動。2014年〜2016年まで全日本MXチーム監督を経て2017年より現職。全米にて行われる「AMA Supercross FIM World Championship」及び「AMA Motocross」シリーズに参戦するアメリカンホンダレースチームの運営サポートを担う。

前職はプロのモトクロスライダー

▲ライダー時代の芹澤 撮影:松永 秦

株式会社ホンダ・レーシング(HRC)のレース運営室 オフロード部門に所属する芹澤 直樹は、全米選手権「AMA Supercross FIM World Championship」及び「AMA Motocross」シリーズに参戦するアメリカンホンダ レースチームの運営をしています。

芹澤 「多くの業務はアメリカのスタッフと連携しながら進めています。モトクロス機種の研究開発を担う熊本ものづくりセンターとも連携しています」

そんな芹澤はHondaへ入社する以前、モトクロスのライダーとして活躍していました。

芹澤 「両親からの勧めで、2人の兄の後を追うようにバイクに乗り始めました。物心がついたときには毎週末バイクに乗る生活を送っていましたね。子どものレースに出て、勝つ喜び、負ける悔しさといった感情を重ねるうちに、自然とプロの道を考えるようになりました。当時活躍していたプロライダーに憧れていたんです」

バイクに乗り始めてからプロライダーにまで昇り詰めたのは自然な流れでした。そんな芹澤がプロライダーとしての覚悟を決めたきっかけは、プロデビューが決まった際、大きな怪我をしたことです。

芹澤 「怪我によって、半年間バイクに乗れない期間が続きました。そして、復帰後のプロのレースで、まったく通用しなかったんです。怪我の影響もあったとは思いますが、人と競争してそこまで勝てなかったことは初めてでした。

その後も3年ほど結果を出せず、親からの支援も止まることになってしまいました。そして18歳のときに、自分がなぜバイクに乗るのか立ち止まって考えてみたんです。そこで、自分はモトクロスという競技が好きなんだと改めて実感し直しました。そしてこの競技でやっていくしかないと思い、覚悟を決めたのです」

芹澤は、自らの実力を上げるためにモトクロスの本場であるアメリカでレースすることを決意しました。その資金を稼ぐためにアルバイトをしながらレースに出場していました。自らに投資をすることで少しずつ成績が上がり、プロデビューしてから8年後には、バイクメーカーと直接契約するワークスライダーとしてHRCとの契約に至りました。

しかし、その4年後に芹澤はワークスライダーを引退し、会社員の道へと進むことになります。

芹澤 「ワークスライダーになることはプロとしての目標の一つだったため、HRCと契約したことで満足していた部分がありました。上を目指すことよりも、契約を維持したいという気持ちが大きくなっていたんです。その結果、一度もチャンピオンを取れず、契約も終了することになってしまいました。

ワークスライダーの契約終了と同時に、Hondaの研究所で働いてみないかと誘いを受けたんです。迷いましたが、求められている場所で、これまでの経験を活かしていくことができると信じて、会社員になることを選びました」

慣れない仕事にとまどいながら、ユーザーのことを考える重要性を学ぶ

研究所に入所した芹澤は、動力性能や燃料研究の仕事を8年ほど行うことになります。これまで選手としてレースで成果を出すことに集中していた立場から、モノづくりをする立場に回ったことで、さまざまなことにつまづきます。

芹澤 「それまではライダーとしてレースに臨んでいたので、パソコンで報告書を書く機会などはなく、まずはそれらの仕事にとまどいました。また、ライダーとしてレースに向け各自のぺースで準備を進めるスタイルから、会社員として毎朝出社して、決められた時間のなかでパフォーマンスを出すスタイルに変わりました。その働き方に慣れるまでは苦労しましたね」

不慣れなことばかりで苦戦していた芹澤ですが、モトクロスに対する強い想いと周囲の人に恵まれたことを自身のモチベーションにして、仕事を続けていきます。

芹澤 「自分が乗ってみたいと思えるバイクを作りたいと考えていて、自分たちが開発したものを実験的にレースに投入して、時には私も直接レースに参加して自ら確かめていました。自分の意思を入れた車両を作りたいという想いから開発に打ち込んでいたんです。

私は設計者ではないので、研究から特性を考え、ライダーならではの表現を技術者が理解できるように伝える役割を担いました。『レースで勝てる』バイクを開発するためにはどうすれば良いかを考える日々でしたね」

入社してから芹澤は、ユーザーのために何をすべきか考えるようになったと振り返ります。

芹澤 「ライダーとしてレースをしていた頃は自分の希望を聞いてもらっていましたが、会社員になってからはユーザーの声に耳を傾けていかなければなりません。最初はその切り替えがうまくできていなかったように思います。しかし、開発者としてユーザーとのコミュニケーションを重ねていくうちに、考えが変わっていきました。

それほど広くない業界なので、国内メディアでは顔見知りも多く、ライダーの芹澤 直樹として応対していたんですが、海外では自分を知っている人はあまりいません。だからこそ、海外のニューモデルのプレス発表会などでは、特に開発者としてユーザーに接することの重要性を感じました。研究開発をしていると実際に使っている人と触れ合う機会が少なくなりますので、ユーザーのためにという気持ちを忘れてはいけないと考えるようになりましたね」

引退した自分だからこそ「満足してはいけない」と強く伝えられる

2014年から2016年のあいだ、芹澤は全日本モトクロスチームの監督を務めていました。
若いライダーを指導するときは、自分の経験をもとにアドバイスを伝えました。

芹澤 「満足してはいけない。これ以上行けないところまで上を見なさい。これを繰り返し伝えていました。上を見ていてちょうど勝てるくらいなので、横を見てしまうと本当にメンタルが強くない限り勝てません。ライダーにそれを伝えると同時に、もっと上を見られるような環境づくりをしようと思っていました」

自分はワークスライダーとしての契約を維持したいと考えた結果、勝てなかった。
そんな自身の経験があるからこそ、熱を込めて若いライダーに指導できたのです。

芹澤 「海外のライダーと一緒に走る機会を作る、海外のコーチを雇うなど、ライダーが常に上を見られるようにするための取り組みを進めました。満足してはいけないという意識は、チームに浸透させられたと思います」

監督業を終えて、2017年からは運営という形でアメリカのレースに関わるようになった芹澤。AMA Motocrossは世界のトップが集まるライダー憧れのレースであり、そこで運営の仕事ができることにやりがいを感じています。その一方で、難しさを感じているのも事実です。

芹澤 「アメリカのレースを担当して5年目になりますが、タイトルを取れていません。HRCが関わっているオフロードで勝てていないのは、アメリカでのレースだけなのです。

AMA Motocrossは1番多くの人が見ているレースなので、そこで勝てれば大きなモトクロス市場を持つアメリカで良いブランディングになります。業務を進めるうえでも非常に高いレベルの人たちと会話を合わせなければならないため大変ではありますが、絶対にアメリカのレースで勝てるようにしていきたいですね」

▲マシンのテストにてライダーにヒアリングを行う芹澤

運営という立場でレースに関わるようになってから、芹澤は勝つために必要なことはどのレベルでもあまり変わらないという事実に気づきました。

芹澤 「ライダーやサポートのスタッフは、もちろんみんな勝ちたいと思っていますが、そのなかでもとりわけ『勝ちたい』という想いが強い人が勝っているのは万国共通の話です。そのため、サポートスタッフの課題はいかにライダーが勝ちたいと思える環境を作れるかだと考えています。ライダーがモチベーションを保てる状態を作ることが、我々の使命ですね。

モトクロスは、モータースポーツのなかでもソフト面の影響が大きい競技。タイヤのグリップなどハード面ももちろん影響しますが、路面が土なので周回するたび状況が変わったり、スタジアムにコースを作るため次の周回の際にはレイアウトが変わっていたりするので、ライダーのスキルが大きな割合を占めます。

勝てていないということは、ライダーだけでなくチームメンバー全員の『勝ちたい』という想いの強さが不足していたり、勝利につながるために考え抜いた上で行動できていなかったり、ということが原因だと思います。今はライダーが安心して攻められる、これなら勝てると思えるバイクづくりや環境づくりを無我夢中でやっているところです」

勝ちにこだわることで、模倣不可能な「強さ」という価値を提供できる

モトクロスという競技に救われてきた芹澤は、世の中にもっとモトクロスを広めたいと考えています。

芹澤 「国内はもちろん二輪のメイン市場であるインドやアジア、Next市場であるアフリカなどでもモトクロス人口を増やし、競技の魅力や楽しさを皆に知ってもらいたいですね。そのためには、Hondaがレースに勝つことが非常に大きな意味を持ちます。自分が子どもの頃は、Hondaが一番強いと思っていましたし、Hondaのレースチームの一員になるという目標を持って頑張ってきました。レースチームはバイクじゃなくて夢を届けていると思っています。

車両の技術やデザインは模倣できますが、レースで勝つのは1人なので『強さ』という価値は模倣できません」

強いイメージのものを持つことは、喜びにつながる。
芹澤は、そう感じています。

芹澤 「レースを見ているお客様が『あの強いHondaの車に乗っている』『強いHondaのバイクを持っている』とHondaのプロダクトを所有する喜びを感じられるようにしていきたいと思います」

やりきったとは言い難い状況でライダーを引退し、Hondaの社員となった芹澤。
今は、強い想いを叶えられるHondaで働いていることを幸運だと思っています。
これまでを振り返ると、怪我をしたり物事が上手くいかなかったりしたことをきっかけに成長してきました。

芹澤 「父親は生前よく『苦しい時が上り坂、楽をしたら下り坂』と言っていました。この言葉を念頭に置き、上り続けていきたいですね。

想いが強い人が勝つレースと同じように、周りを見ても、想いが強い人はHondaで自分がやりたいことをやれていると感じます。

これからHondaに入る方にも、強い想いを持っていてほしいですね」

ライダーとして積んだ経験を活かし、チームの勝利やモトクロスの魅力を伝えるため尽力している芹澤。

芹澤 「今は、これまでさまざまな人々との出会いや経験をもたらしてくれたモトクロスとHondaに恩返しをしたいと考えています」

こう語る芹澤は、これからも強い想いを持ち、高みを目指して上り続けていくことでしょう。

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