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Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える Me and Honda, Career Hondaの人=原動力を伝える

自分本位のピノキオが、世界を見つめるHonda Manになるまで

人はときに、恵まれた環境を与えられたことで自分自身を見失ってしまうことがあります。さらには、謙虚さや感謝の心までも。華々しいキャリアと異国の地での挫折は、28歳の古田 喬昭にとって試練であり、成長のアクセルでもありました。かつては上司に“ピノキオ”とまで言われた彼の成長譚をひもといてみましょう。

古田 喬昭Takaaki Furuta

営業統括部 第二営業部 アジア・大洋州課

2015年新卒で入社。
入社後約3年間、営業企画部商品ブランド課に所属し、国内自動車市場のマーケティングを経験をした後、2018年4月~2020年3月までマレーシアの現地法人Honda Malaysiaに駐在。

留学を経てHondaに入社。社会人生活のスタートは花形部門

人は、彼をラッキーな青年だ、と言うかもしれません。

あるいは、タイミングや巡り合わせが良いんだ、と。

いつか海外に行きたいとの想いを胸にHondaに入社。

新卒ながら国内自動車市場のマーケティングを担う部門に配属され、その後はトレーニー駐在として20代半ばにしてマレーシアへ。

20代にして眩いばかりの経歴を誇る古田。海外志向の原点は、大学時代のアメリカ留学にありました。

古田 「よくある話ではありますが、海外に出たからこそ日本の良さを痛感したんです。その時の自分の感情を言葉にすれば『悔しいな』と感じていました。海外で出会った友人から日本製のものがほめられると嬉しい。でも、実際のアメリカ生活で目にするのは外国製のものばかり。留学を終え、就職を考えるときにもこの悔しさを仕事につなげたかったんです。

そんな想いから日系企業のメーカーを中心に選考を受けていくなかで、Hondaに心が惹かれていきました。創業者・本田 宗一郎の著書を読み込んだり、当時の企業広告で打ち出されていた『負けるもんか』シリーズを熱心に見たり。創業理念から変わらずに息づくHondaの芯を感じ、大手企業ながらもどこか尖っていてかっこいいと思ったんです」

晴れて入社が決まり古田が配属されたのは営業企画部商品ブランド課。

国内市場に投入する商品の企画や、国内事業の中長期戦略を構築する部門でした。

古田 「部署においては調査・統計データの収集・分析担当として、新たな商品企画に役立てるためのデータ分析や、国内市場の動向分析の結果を事業戦略担当の方につなぐといった役割でした。

特に意識していたのは、依頼の目的を本質的に理解してデータ分析すること、そして、依頼以上、想像以上、期待以上の価値をつけて返すこと。それができてこそ、自分のバリューが生まれると思っていました。

と、かっこよく並べてみましたが、実際にはプロフェッショナルの先輩たちにくらいついていくだけで必死でしたね(笑)データ分析の知見はもちろん、提案の進め方や状況判断など、社会人として仕事そのものに慣れていくことが大変でした」

業務は多忙で、データ分析の要望に対してスピーディに返すことが求められる日々。

そんななかでも、古田は自発的に海外志向を発信し続けていました。その結果、本人にとっても思いがけず早い段階で、ネクストステージへの扉がひらけたのでした。

トレーニー駐在としてマレーシアへ──。自分の存在意義はどこ?

2018年、古田は東南アジアの中心に位置するアジアの玄関口・マレーシアにいました。

念願の海外勤務が、早々に現実のものとなったのです。

古田 「Hondaでは、ある程度の経験を積んだ30代半ば頃で海外駐在員になるケースが多いです。20代の場合はトレーニー駐在という位置づけで派遣されます。より早い段階で海外現地法人での勤務を経験することで、将来的なパフォーマンス発揮につなげることが期待されています」

古田が携わることになったのは、現地の市場に投入する自動車の商品企画でした。

実は、Hondaはマレーシア市場において、外資系自動車メーカーでシェアトップを争うポジションです。販売台数も多く、製品に関してもグレード数や装備などにある程度現地の意志を反映させる余地がありました。

つまり、商品企画は売上やマレーシアにおけるHondaブランドの展開において、非常に重要な鍵を握る業務だったのです。

しかし、現地法人の一員となり、古田は例外なく異文化の洗礼を受けました。

ともに働くのは価値観ひとつ、コミュニケーションひとつをとっても、日本とはまったく異なるローカルアソシエイツだったのです。

そこには、留学とはまったく異なる海外のビジネス現実がありました。

古田 「マレーシアに限りませんが、日本以外の国は本当にオン/オフの切り替えがきっちりしていますよね。帰宅時間になったら、こちらがやってほしい仕事があっても帰る。そこは変更できないので、むしろ仕事を依頼するタイミングを考え、こちらがアジャストさせていくべきだと痛感しました」

ビジネスの面でも、日本より指示系統が明確化されており、誰が自分のボスで、誰の指示に従い、働くべきなのかが重要視されると話します。

古田 「誰が私のBoss(上司)なのかを明確にし、そのレポートラインに則って仕事をするという文化がしっかり根ざしていているので、日本で働く感覚とは違いを感じました」

この言葉は、古田のポジションがいかに難しいものであったかも示しています。

トレーニー駐在員として派遣されている古田は、ローカルアソシエイツにとってのBossではありません。とはいえ、知識や経験を得るために日本から派遣されている以上、実務を通して学び、成長するというミッションを果たす必要があります。

ところが、自分にできることはあまりにも少ない。

良くも悪くも「レポートラインに入れる必要がない」とみなされる、宙ぶらりんの存在。

順風満帆に進んできた古田の前に、等身大の自分という思いがけない壁が立ちはだかりました。

初心に戻り、謙虚な姿勢と行動で変貌を遂げた“ピノキオ”の2年間

ピノキオ──。

マレーシアでの駐在中、古田は現地法人のトップからそう呼ばれていました。

人形のピノキオは、幸運にも妖精に命を吹き込まれ、人間になるチャンスを与えられます。

だけどそのプロセスは平たんではなく、大切なことを見失ったり、思いがけない環境に放り込まれたり。まさしく古田も、恵まれた状況のなかで自分自身を見失いかけていました。

古田 「今思えば恥ずかしい過去ですが、正直にお話すると天狗でした(笑)

最初の配属も、トレーニー駐在も『俺がすごいから、こんなチャンスを与えてもらえるんだ』と勘違いしていたんです。今思えばその自信には根拠も実体もないわけですから、マレーシアに着任した最初の半年ぐらいで身のほどを思い知らされました。

たとえば、会議に呼ばれないという事実。それは決して悪気があってのことではなく、レポートラインに入っていないトレーニー駐在員は呼ぶ必要がない、と思われているから。まずは、会議に呼ぶべきだと思われることから始めなくてはいけませんでした」

はからずも長く伸びてしまっていたピノキオの鼻を折られるという現実の無力感。

それでも、古田は自分自身と向き合うことから逃げませんでした。

古田 「とにかく、自分の価値を明確にして、周りに貢献するしかないんです。僕が価値ある人材かどうかを決めるのは、僕じゃなくて周りのアソシエイツですから。知識も経験もないけれど、でも『古田に相談したらいいことがある』と信頼されるように、意識も行動もすべてを変えました。

特に力を入れていたのは、終業後にローカルアソシエイツと一緒に食事しに出かけたり、日本法人とのコミュニケーションを進めたりすること。Boss(上司)ではないけど仲間なんだよという意志を行動で示すように心がけました。当時の自分にはそれこそが、プレゼンスを高める最善の方法でした」

古田はそのスタンスを貢献という言葉で表現します。

自分のがんばりをいかにして組織の貢献に結びつけるか、考えて、行動する。

相手の意図や状況を汲み、自分なりの工夫を凝らして価値ある提案を返す。

つまり、入社間もない頃の謙虚さを思い出し、現状打破の方策を見出していったのでした。

約2年の駐在期間を終える頃、遂に古田は「ピノキオの鼻が短くなったね」と言われます。

慢心からの挫折、苦労、試行錯誤を経て取り戻した謙虚さや感謝の心とともに、古田は駐在期間をがんばり抜いた実績を手に入れました。

それはさながら、幾多の苦難を乗り越え、勇気ある行動が認められて真の人間になったピノキオのストーリーそのままに。

“Honda Man”としての矜持を未来を拓く力に

自分の殻を突き破る機会となった駐在期間を通して、古田は自分の原点を再認識するシーンにも出会えました。

古田 「マレーシア市場において、Hondaはマーケットリーダーのようなポジション。販売現場のアソシエイツやお客様から『Hondaの自動車をもっと売りたい』『最先端でかっこいい』といったポジティブなお声を多数いただきました。

日本の良さ、Hondaの良さを世界に発信したいと思っていた就活時代を思い出しました。あの頃に思い描いていた理想がここで具現化されている、と実感できましたし、改めて思いますが、やっぱり恵まれていますよね。こうしたチャンスを与えられたことに感謝したいです」

2020年4月、マレーシアから帰国した古田は営業統括部でシンガポールのディストリビューターを担当しています。

古田 「シンガポールでは、国内の自動車保有台数を政府が管理しています。自動車を買いたいと思ったら、まずは所有権を購入しなくてはいけません。国柄によってこんなにも違うものなのかと驚きの連続ですね。難しい市場ではありますが、日本からの販売サポートを通して、Hondaのシェア拡大に貢献していきたいです」

今や「俺だけが!」という気持ちはあまりなくなった、と古田は言います。

「どんなにがんばっても、自分ひとりでできることになんて限界がありますから。それよりも、自分のがんばりでチームや組織に貢献して、大きな目標を達成していく方がいい」と語る古田の言葉からは、着実に成長を遂げた変化がにじみ出ていました。

一方で、変わらず抱き続けている想いまでなくしたわけではありません。

それは、悔しさをバネにして前進しようとする精神です。

古田 「想定よりも早く駐在経験を積めたものの、やはり知識も経験も不十分だったのは否めません。現地でのビジネスやローカルアソシエイツとの仕事において、価値ある貢献を果たせなかったのは悔しいです。経験を積むために派遣されるトレーニー駐在だから仕方ないでは、かたづけたくないんです」

駐在を経て得た学びは、古田に新たな成長の可能性を拓いてくれました。

だけど、ただ丸くなったわけじゃない。

できないことがあるなら、できることで成果を出す。

そのうえで、できるようになるまであきらめない。

悔しさを力に変えるスタンスと、負けず嫌いの尖った心を持って、古田は成長し続ける。

なぜなら彼はもうピノキオではなく、真のHonda Manになったのだから。

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