NSX

伊東社長は、自分が初代NSX開発チームの一員だったと誇りを込めて語った。
さらに若干のコメントを加えたあとクルマの傍らへ。次の瞬間、ベールが取られNSXコンセプトが姿を現すと、期せずして割れんばかりの拍手と歓声にAcuraブースが満たされた。

拍手喝采の理由のひとつは、NSXコンセプトが驚くほど美しかったからだ。

それに最近ちょっと元気がなかったHondaが、創造性のひらめきを見せてくれてよかったという気持ちの表れでもある。
Hondaと聞けば、私たちはどうしたってクリエイティブな製品を期待してしまうからだ。
もうひとつ確かなことがある。既存スーパースポーツメーカーを眠りから叩き起こしたクルマ、あのNSX復活を歓迎する拍手喝采であることだ。

デトロイトショーでNSXコンセプトの発表を終えた伊東社長の記念撮影風景。多くのカメラマンが詰めかけた。リアのグラマラスかつエッジの効いたデザインがよく見える。20インチのリアタイヤも迫力。ホイールデザインも先進的
こうして見ると、初代NSXを彷彿させるデザインであることがわかる。前後のフェンダーラインとフォワードキャノピーのルーフライン…。このあと、NSXコンセプトのデザインがどのように進化するか期待が高まるばかりである

初代NSXが発表になってもう20年以上が経つ。
NSX誕生後のエピソードに詳しくない若いオーナーは、ハードウェアとしてのNSXが好きだから乗っているのだろう。それはそれで構わないのだが、このクルマがスーパースポーツの世界に大きな影響を及ぼしたことを彼らにもぜひ知って欲しいと思う。NSXは世界のスーパースポーツに喝を入れ、それらを大幅に進歩させるきっかけとなったクルマなのだ。

NSXの影響の大きさを語るには、このエピソードを引き合いに出すのが一番だろう。
私は米『ロード&トラック(Road & Track)』誌に長年寄稿しているのだが、1990年当時の主力モデル フェラーリ348と当時出たばかりのNSXの比較テストをすることになった。あれはとても暑い日で、私が2台と対面したとき気温は35℃に達していた。この日の348はタルガ・スパイダーで、エアコンの出来ときたら“標準以下”だったのでルーフはさっさと外してしまった。カメラをしまおうとフェラーリのフロントコンパートメントを開けると、内部はまるで溶鉱炉だ。NSXはどうだったかって?エアコンは楽々と外気温に対応し、室内は涼しく、フロントコンパートメントも暖かいといった程度。私がどちらに乗り込んだか、もうおわかりだろう。もちろんNSXだ。

フェラーリがNSX後の1994年に出したF355は、どこを取っても348とは段違いに優れたクルマになっていた。彼らがNSXをライバルと目しクオリティ向上をめざしたことは秘密でもなんでもない。かのゴードン・マーレイも、マクラーレンF1 GTRを設計した際、ベンチマークのひとつに据えたのはHonda NSXだと書いている。
NSXはオールアルミ製ボディとシャシーを備える世界で最初の量産車だったが、今やすべてのフェラーリが同じ成り立ちになった。

『コンシューマー・リポート』のマイク・クインシーは、オリジナルNSXに寄せる愛情を次のように綴っている。
「私たちがこのクルマを大好きなのはなぜだろう?私はモータージャーナリストとして20余年の間にいろいろなクルマに乗ってきたが、NSXのように正確で操る喜びに満ちたステアリングを備えるクルマにはついぞお目にかかれなかった。V6エンジンのパワーは決して圧倒的ではない。しかしHondaの技術陣は世界最良のライバルと張り合えて、しかも快適でランニングコストがずっと安いクルマをつくるにはどうすればいいのか、よく心得ていたに違いない。HondaはNSXを基本的に同じまま15年売り続けた。しかしモデルイヤー最後のクルマ(2005年)も発表当時のクルマ(1990年)と同じく、有能でモダンに感じたものだ」
つまりNSXが、スーパースポーツの世界で新たな分野を切り開いたクルマと考えられているのには、ちゃんとした理由があるのだ。

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