最後に、私が1つだけみなさんにご説明したいと思います。
本田宗一郎が社長をリタイヤしたあとも、亡くなられるまで出来上がった商品、技術は全部見に来ていました。
そして本田宗一郎が、栃木研究所のテストコースで最後に自ら運転したクルマはNSXです。
私は、本田さんをお連れする職務でしたから、試乗をした際ほとんどの商品で「あそこをこうしろ」と怒られたものです。しかし、NSXのときだけは「お前ら、ちゃんとしたクルマつくれたな」という言葉で終わりました。
弊社の創業者である本田宗一郎が最後に運転したクルマを、みなさんは同じようにハンドルを握って走ってくださっているのです。
ぜひ、この先も大切にお乗りいただきたいと思います。
(鈴木久雄)
2004年4月にNSXの生産が移管された鈴鹿製作所では、NSXの生産ラインを「TDライン」(Takumi Dream=匠ドリームライン)と名付け、情熱を込めて生産していた。それからわずか1年あまり。おそらく生産スタッフにとってははじまったばかりで生産終了を告げられた感があったと思われる。2005年7月12日。その年の12月末をもって15年間続いたNSXの生産を終了することが発表された。
わかってはいたものの、寂しさが去来するのを感じずにはいられなかった。基本設計が15年も前のクルマであると、新車としてリリースし続けるのは困難なのだ。別れはいつか来る。その日がついに訪れた。しかし、オーナーのみなさまが所有するNSXはまだまだ走り続ける。
NSXが提起した新価値のひとつである、New Communicationはそれからが本番ともいえるからだ。
そして、生産終了から5年を経た2010年。
NSX誕生20周年を祝うNSX fiestaが鈴鹿サーキットで開催された。発売後20年を経たスポーツカーのオーナーが、全国からそして世界から集まり、記念すべき祭典を楽しむ。こんな幸せなクルマが他にあるだろうか。遠路はるばる、再会し語らうために集まるのだ。
なぜ、NSXはこれほどまでに愛され、強力な引力を保ち続けるのだろうか。つくり手が情熱を込めて妥協せずにつくり上げたものに、オーナーが惚れ込んでいることは間違いない。しかし、それだけではないはずだ。小誌はその理由を、NSXのコンセプトが素晴らしい心を持った人に響くものだったからだと見ている。
やはり、「Nicest people on a Honda」なのである。