2代目のTYPE Rは、クルマ自体は、鷹栖や鈴鹿での熟成で仕上げることができたんです。ニュルブルクリンクには、その性能の確認に行くというスタンスでした。
実は、その頃僕はニュルを頻繁に走っていなかったんです。確か、2代目TYPE Rとニュルに行ったのが2年ぶりだったと思います。ですから、本当は初代TYPE Rのとき、ニュルで頻繁にタイヤテストしていた時期に2代目に巡り会っていたらな…と今でも思いますね。でもそれは仕方ないこと。初代のときもかなりいいタイムが出たのですが、8分は切ることができませんでした。
彼らには、8分を切れればミドルクラスのスポーツカーとして、世界に誇れるといった思いがあったようですが、もう一歩だった。
その初代からちょうど10年です。僕も60歳を越えていましたし、2年ぶりのニュルです。でも、上原さんに行きましょうと言われましたから、真剣そのものでした。それで、満を持して走り、悲願の8分を切ることができたのです。楽しかったし、うれしかった。NSXが生まれた当初からの目標がやっと達成できたわけですから。
こういうことに"タラレバ"はないのですが、僕がニュルに通っているころだったら、もう10秒は縮められたと思います。3.2Lの自然吸気エンジンを搭載したノーマルスポーツカーとして、8分を切るだけでも驚異
的なことだと思います。それに、データを見ると2代目のときはほとんど逆ハンを切っていないんです。つまり、狙った通りのラインをイメージ通りに走れている。それだけ、2代目TYPE Rがめざした、空力操安によるコントロールクォリティが高かったということの証だと思います。(黒澤元治)
2代目TYPE Rは、まさにNSXの走りの完成形です。初代で軽量化をやり切りましたから、2代目は空力で走りのレベルを一段上に引き上げました。空力って意外とどのスポーツカーもまじめに熟成していないんです。当時調べてみると、マイナスリフトを出しているのはなかったですね。唯一ポルシェのGT3がリアはマイナスでしたがフロントはそうでない状態。我々は、マイナスリフトを前後重量配分と同じバランスで発生させ、ハンドリング向上に寄与させるというかつてない取り組みを行ったのです。何でも理屈をつけないと気が済みませんから、空力操安という考え方を提示し、ステアリングを切ったときの挙動の質などコントロールクォリティを向上させるという取り組みを行ったのです。この思想はいまでもNSX独自ではないかと思います。(上原繁)
誕生から12年を迎えようとするNSXに、これ以上の大きな進化があると誰が予想していただろうか。現実は厳しい。しかしそれでもHondaは、NSXを進化させた。世界に影響を与えたHondaのスーパースポーツとして"やり切りたい"という情熱である。
2002年、2代目TYPE R誕生。これにより、NSXの走りは完成の域へと到達することができたのだ。
初代TYPE Rでは、約120kgもの軽量化が目玉だった。同じ基本設計のNSXであるため、初代のレベルからさらなる軽量化は不可能。そこで、NSXとしてまだ手をつけていなかったマイナスリフト(ダウンフォース)へチャレンジすることにしたのだ。
しかも、ただ単にマイナスリフトを宣伝文句にするのではなく、「空力操安」としてハンドリングに活かす開発を行った。チームが考えた空力操安の核となるのは、車両の前後重量配分と同等のマイナスリフトを発生させる空力バランスである。そうすれば、高速でマイナスリフトが発生しても、タイヤに掛かるのが低速域と同じ前後荷重のため、ハンドリング特性を変えることなく限界性能を高められる。高速域が安定する分、低速域でより曲がりやすいセッティングを施すことができ、全域でより安全で楽しい走りを楽しめるのだ。
2代目TYPE Rは、空力操安に加え、エンジンのクランクシャフトまわりの重量のばらつきを当時のF1よりも精密に取り除いてエンジンを組み上げ、より爽快な回転フィーリングを実現するなど、きめ細かな詰めを行っている。こうして、12年間継承し続けてきたNSXのパッケージで到達できるであろうハンドリングを、完成の域まで高めたのだ。
この熟成を受けたNSX TYPE Rは、日本国内でわずか150台ほどがオーナーへと納められ、その台数が2代目TYPE Rの世界における総数となった。まさに希少なNSXといえよう。