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メモリアルトーク

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1997 NSX TYPE S
  • 2001 New Design NSX
  • 2002 NSX TYPE R
  • 2005 NSX 生産終了
ル・マン参戦や欧州でのNSXの普及に尽力したスイスホンダ社長クロード・サージ(当時)

NSXでル・マンに参戦したミーティングの特別講師、清水和夫氏

NSXのエンジンを開発した
尾崎俊三郎

1995 NSX TYPE T/1997 NSX TYPE S クロード・サージ/清水和夫/尾崎俊三郎

クラッシュしてリビルドしたレースカーが
ル・マンに導いた。

スイスにNSXを導入したら、たちまち250台受注しました。世界で最初のNSXクラブもでき、欧州で200人の会員が登録され、NSXトロフィーというレースも始めました。とてもエキサイティングでした。そしてあるとき、スイスに導入したNSXに、あるジャーナリストを乗せたところ、大きなクラッシュをしてしまったのです。そこで、そのクルマをベースにエンジンを縦置きにしてレースカーに改造して栃木研究所に送ってあげました。1993年のことです。そうしたら、1994年のル・マンに参戦したいからコーディネートしてくれと頼まれまして、メンテナンスを英国のファクトリーに依頼したのです。そのときル・マン参戦のマシンの開発ベースとなったのは、私がつくったこのレースカーでした。(クロード・サージ)

素晴らしい感動と
多国籍チームの難しさを知った。

1994年にNSXがル・マンに参戦したときドライバーを務め、フィニッシュドライバーとなって、3速しかなくなったマシンで何とかチェッカーを受け、とてつもない感動を味わいました。サージさんは、3台揃ってのフィニッシュができなかったことを悔しがっていました。あのときは、マシントラブルも大変でしたが、何が大変かというと、メンテナンスはイ

ギリス、運営は地元フランス、マシンをよく知っているのはドイツだったことです。日・英・仏・独の多国籍チームでほとんど話がまとまらない。最初は英語で話そうと決めて打ち合わせをスタートするんだけど、すぐにあちこちで自国語を話しはじめる。それが大変でしたね。秘話といえば、1993年のスパ24時間ですね。予選トップでそのままトップを走っていたんですが、ベルギーの王様が亡くなられる不幸があり、レースが中断され幻のレースとなりました。(清水和夫)

当時としてシンプルさと
優れた安全性を求めたDBW。

DBW(ドライブ・バイ・ワイヤ)は、NSXの前には、確かBMWの12気筒モデルが採用していたと思います。そのDBWには機械式のバックアップがたくさんついていました。例えば、スロットルが開かない場合は機械的に開けるといったものです。
一方NSXでは、できるだけシンプルにつくることをめざしました。安全上最も重要なのはドライバーの意志です。たとえば、アクセルを踏んでいないのに、踏んだと判断しては大変です。そこで、アクセルペダルからセンサーまでは従来のワイヤを用いたメカで絶対にこわれないだろうという信頼性の高いものにして、そこから先はメカは用いず、ソフトでバックアップする方式としました。安全性の証明を理論的にやるのが大変でしたね。(尾崎俊三郎)

NSXの主な進化とできごと ―20年のヒストリー

1995 NSX TYPE T
1997 NSX TYPE S

1995年。高い信頼性と軽量化を常に模索する航空機の技術であり、一時期F1マシンの先進技術としても登場した電子スロットル、DBW(ドライブ・バイ・ワイヤ)を独自に開発し搭載。さらにATモデルのスポーツ性を高めるため、手許のレバーでマニュアルシフトを行えるFマチックを開発。MTモデルのためにはLSDをトルク感応型に進化させた。

そして1995年のNSX最大のニュースといえば、オープントップモデルであるタイプTの登場だろう。世界のスーパースポーツが、ベースとなるモデルをデビューさせてからほどなくオープンモデルを発表させるのに、NSXが5年後れでオープンモデルを登場させたことを不思議に思う声も聞かれた。

しかしそれにはきちんとした理由がある。こともあろうにNSXの開発スタッフは、ルーフのないNSXを、サーキットでもかなり楽しめるレベルまで引き上げるために長年の苦労を要していたのである。このタイプTまでも、NSXの故郷、ニュルブルクリンクで走り込んだというからそのこだわりにはもはや脱帽するしかない。ニュルをしっかりと走り込めるまでに仕上げられたタイプTに施されたボディ強化箇所は50を超えた。軽量のアルミゆえに可能となったオープントップの走りへのこだわり。NSX-Tは、まぎれもないピュアスポーツである。

時代を先んじるNSXは、その2年後の1997年に"ワインディングベスト"と称し、TYPE Sをデビューさせた。

3.2Lへと排気量を拡大したDOHC VTECエンジンに従来のスペースに納まるコンパクトな6速MTを組み合わせ、TYPE Rとオリジナルモデルの中間をいくハードサスペンションを搭載。エアコン、オーディオ、シートベルト・プリテンショナーなどの装備を搭載したままオリジナルモデル対比約45kgの軽量化を施したよりスポーティなモデルである。

1995
NSXの進化技術
  • 電子スロットルDBW開発
  • マニュアル感覚のスポーツAT、Fマチックを開発
  • トルクリアクティブプリロード型LSD開発
  • 耐ハイドロプレーニング性に優れたツイントレッドタイヤ開発
NSX-T誕生
  • 高剛性オープントップボディ
  • リアキャノピー内収納型ルーフシステム
  • 解放感を高めたルーフデザイン
「オープンだからといって、走りを妥協したクルマなどつくらない」
当時、開発責任者の上原が熱く語っていたシーンがいまでも目に浮かぶ。ルーフの収納や、サンバイザーを小型化して開放感を高めるなど、きめ細かなこだわりがTYPE Tに息づいている。
GPコースドライビング・スクール新設
  • 鈴鹿グランプリコースを走り込むドライビングメニューを新設
ル・マン24時間レースでクラス優勝
  • チーム国光 84号車 高橋国光/土屋圭市/飯田章
ついに、NSXが栄光のル・マンで優勝! この勝利は、スポーツカーとしてひとつの勲章である。しかも、よりノーマルの NSXに近いGT2クラスでの勝利だった。
コーナーの速さでハイパワー車を圧倒する。これはまさに市販NSXの特性であり、NSXのレーシングカーにも共通する特性である。
1996
オーナーズ・ミーティング地域展開
NSX fiesta 220台300名参加
ル・マン24時間レースでクラス3位
  • チーム国光 75号車 高橋国光/土屋圭市/飯田章
1997
NSXの進化技術
  • MTモデルを3.2Lへ排気量アップ
  • 3.2L化に伴い、ガスケット、クランクシャフトピン、ピストンピンを強化
  • MTモデルの排気マニホールドをステンレス化
  • マニュアルトランスミッションを6速化
  • MTモデルにデュアルマス・フライホイールを採用
  • アルミボディ材の軽量化および強度アップ
  • 前後ブレーキディスクローターを16インチ化
  • MTモデルのサスペンションをよりシャープに
  • 電動パワーステアリングを熟成
  • Fマチックのシフト制御熟成
  • 空力向上新フロントロアスカートを採用
  • 高熱線吸収UVカットガラスの採用
  • ディスチャージヘッドライトを設定
  • ナビゲーションシステムを設定
  • BBS軽量アルミ鍛造ホイールを設定
NSX TYPE S誕生
  • 約45kgのウエイトダウン
  • ハーダーサスペンションセッティング
  • 専用デザインのレカロ社製フルバケットシート
  • MOMO社製本革巻きステアリングホイール
「ワインディングベスト。それに尽きます。ワインディングを気持ちよく走れるセッティングをほどこしました」と、いつもにこやかな尾崎が熱く語っていたのを思い出す。
確かに、乗り心地としっかり感が絶妙にバランスされていた。美しいオレンジやブルーのレカロシートのフィット感も印象に残った。
全日本GT選手権参戦開始
  • 無限+童夢PROJECT 黒澤琢弥/山本勝巳、
    チーム国光with MOONCRAFT 高橋国光/飯田章

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