サスペンションのスプリングレートも、当時のレーシングカーに近いくらいガチガチでしたし、遮音材や下回りの緩衝材まではぎ取るほど徹底した軽量化も行いました。チーム以外の者からそこまでやって受け入れられるのかという疑問の声はありました。
しかし、サーキットを快適に走るNSXであることが目標でしたから、チームは迷うことなく開発に取り組みました。またその背景に、何とかニュルブルクリンクで8分を切りたいという目標もありました。残念ながら、その目標のクリアは2代目にゆずることになりましたが、ニュルで何週間も泊まり込んでセッティングしたことを覚えています。(塚本亮司)
1992年の日本グランプリが終わったあと、アイルトン・セナ選手に開発中のTYPE Rに乗ってもらったことがあったのです。
ピットロードをものすごい勢いで飛び出していったセナは、TYPE Rで鈴鹿を数周走っていましたね。
そして、ピットに戻ってきて降りてくるなり、「Comfort!」と感想を語ったんです。
わかってるなと思いましたね。TYPE Rは、サーキットを走ったとき、クーペよりも快適に楽しく走れるようにつくったからです。
あのときセナは、ドリフトさせたりゆっくり走ったり、クルマを振ったりいろいろ遊びながら走って楽しんでましたね。(上原繁)
NSXオーナーズ・ミーティングに参加してそのままではなく、また再会を果たして絆を深めていこうという考えで、里帰りというのも変ですが、鈴鹿に全国からお集まりいただこうとはじめました。
時間がなかったものですから、名前を考える余裕もなく、NSXオーナーズ・ミーティング・スペシャルではじめ、1994年からNSX fiestaに変更しました。イベントの志を私と上原さんとで川本社長(当時)に直接話しに行き、イベントに出ていただくこともお願いしました。運営は、鈴鹿サーキットのスタッフや工場からも応援が駆けつけてくれ、なんとかやり通すことができました。参加されたオーナーのみなさんも感動していましたが、やはり、川本社長が参加されたことは大きかったと印象に残っています。(渡邉一)
1992年、この年限りでF1の撤退を決めたHondaは、その代わりにスパルタンな高性能リアルスポーツを世に送り出した。
そう、NSX TYPE Rである。この年、F1を辞して1年目を迎えた中嶋悟氏に、まだTYPE Rのデビュー前、「実はベース対比120kgのシェイプアップに成功したらしいです」と告げた。すると、NSXの開発に携わりかつオーナーでもあった彼は「120kgだって!いったいどこを削ったらそんなに軽量化できるんだろう。本当だとしたら、その数字を聞いただけでTYPE Rのすごさが想像できるね」と言っていたのを思い出す。
オールアルミモノコックを使い、時代先進の装備と安全性能を身に付けながらパワーウエイトレシオ5.0を切ったNSX。それをTYPE Rは一気に4.39まで引き下げたのだ。この軽量化により、NSXは、加速だけでなく、曲がる、止まるすべての点において走行性能を大きく高めた。もちろんクルーズコントロールやパワードアロックなどの装備を除いた上ではあるが、120kgというTYPE Rのウエイトダウンは常識では考えられないレベルであることは間違いない。それだけではなく、多くの常識的な面々からは、「ちょっと硬すぎる」と評されたアウトロー的なハードサスペンションを装備。そして、レカロのスタッフがHondaからの徹底的な軽量化の要求に、「コンペティションカーにしか使わない高価な素材だからおそらく採用されないだろう」と試作してあっさり採用されたという経緯を持つ、カーボンアラミドのフルバケットシートも熱い。
しばらくして中嶋悟氏に再会したのはブリヂストンのドライビングイベントの会場だった。富士スピードウェイで行われたそのイベントに彼は、イエローのTYPE Rであらわれた。そして、「思っていた以上に気持ちいいね。もうこれはひと時代前ならレーシングカーだよ。このRに乗って、軽量化っていうのはスポーツカーにとっていかに大切か、あらためて思い知らされたね」と彼は会心の笑顔を見せた。