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メモリアルトーク

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1997 NSX TYPE S
  • 2001 New Design NSX
  • 2002 NSX TYPE R
  • 2005 NSX 生産終了
初代、2代目ともに
TYPE Rの操安を現場で担当した塚本亮司

NSX fiestaを立ち上げた営業担当の渡邉一(当時)

1992 NSX TYPE R 塚本亮司/上原繁/渡邉一

そこまでやっていいのか・・
TYPE R開発の背景にあった目標。

サスペンションのスプリングレートも、当時のレーシングカーに近いくらいガチガチでしたし、遮音材や下回りの緩衝材まではぎ取るほど徹底した軽量化も行いました。チーム以外の者からそこまでやって受け入れられるのかという疑問の声はありました。
しかし、サーキットを快適に走るNSXであることが目標でしたから、チームは迷うことなく開発に取り組みました。またその背景に、何とかニュルブルクリンクで8分を切りたいという目標もありました。残念ながら、その目標のクリアは2代目にゆずることになりましたが、ニュルで何週間も泊まり込んでセッティングしたことを覚えています。(塚本亮司)

TYPE Rに乗ったセナの第一声は
「Comfort !」だった。

1992年の日本グランプリが終わったあと、アイルトン・セナ選手に開発中のTYPE Rに乗ってもらったことがあったのです。
ピットロードをものすごい勢いで飛び出していったセナは、TYPE Rで鈴鹿を数周走っていましたね。

そして、ピットに戻ってきて降りてくるなり、「Comfort!」と感想を語ったんです。
わかってるなと思いましたね。TYPE Rは、サーキットを走ったとき、クーペよりも快適に楽しく走れるようにつくったからです。
あのときセナは、ドリフトさせたりゆっくり走ったり、クルマを振ったりいろいろ遊びながら走って楽しんでましたね。(上原繁)

NSX fiestaのはじまりは
手づくりのイベントだった。

NSXオーナーズ・ミーティングに参加してそのままではなく、また再会を果たして絆を深めていこうという考えで、里帰りというのも変ですが、鈴鹿に全国からお集まりいただこうとはじめました。
時間がなかったものですから、名前を考える余裕もなく、NSXオーナーズ・ミーティング・スペシャルではじめ、1994年からNSX fiestaに変更しました。イベントの志を私と上原さんとで川本社長(当時)に直接話しに行き、イベントに出ていただくこともお願いしました。運営は、鈴鹿サーキットのスタッフや工場からも応援が駆けつけてくれ、なんとかやり通すことができました。参加されたオーナーのみなさんも感動していましたが、やはり、川本社長が参加されたことは大きかったと印象に残っています。(渡邉一)

NSXの主な進化とできごと ―20年のヒストリー

1992 NSX TYPE R

1992年、この年限りでF1の撤退を決めたHondaは、その代わりにスパルタンな高性能リアルスポーツを世に送り出した。

そう、NSX TYPE Rである。この年、F1を辞して1年目を迎えた中嶋悟氏に、まだTYPE Rのデビュー前、「実はベース対比120kgのシェイプアップに成功したらしいです」と告げた。すると、NSXの開発に携わりかつオーナーでもあった彼は「120kgだって!いったいどこを削ったらそんなに軽量化できるんだろう。本当だとしたら、その数字を聞いただけでTYPE Rのすごさが想像できるね」と言っていたのを思い出す。

オールアルミモノコックを使い、時代先進の装備と安全性能を身に付けながらパワーウエイトレシオ5.0を切ったNSX。それをTYPE Rは一気に4.39まで引き下げたのだ。この軽量化により、NSXは、加速だけでなく、曲がる、止まるすべての点において走行性能を大きく高めた。もちろんクルーズコントロールやパワードアロックなどの装備を除いた上ではあるが、120kgというTYPE Rのウエイトダウンは常識では考えられないレベルであることは間違いない。それだけではなく、多くの常識的な面々からは、「ちょっと硬すぎる」と評されたアウトロー的なハードサスペンションを装備。そして、レカロのスタッフがHondaからの徹底的な軽量化の要求に、「コンペティションカーにしか使わない高価な素材だからおそらく採用されないだろう」と試作してあっさり採用されたという経緯を持つ、カーボンアラミドのフルバケットシートも熱い。

しばらくして中嶋悟氏に再会したのはブリヂストンのドライビングイベントの会場だった。富士スピードウェイで行われたそのイベントに彼は、イエローのTYPE Rであらわれた。そして、「思っていた以上に気持ちいいね。もうこれはひと時代前ならレーシングカーだよ。このRに乗って、軽量化っていうのはスポーツカーにとっていかに大切か、あらためて思い知らされたね」と彼は会心の笑顔を見せた。

1992
NSX-R誕生
  • 約120kgにおよぶさらなる軽量化
  • 徹底したハードサスペンションチューニング
  • 専用レカロ社製フルバケットシート
  • 専用MOMO社製ステアリングホイール
  • チタン削り出しシフトノブ
  • 3年間の限定生産
初代TYPE R(プロトタイプ)のニュルブルクリンクテスト走行風景。この過酷なサーキットを舞台に、ベストなハンドリングを第一に追求。振動・騒音や乗り心地といったファクターは思い切って割り切る開発が実践された。
カスタムオーダープラン創設
  • インテリア材や専用外装色などを選択し、自分だけのNSXをつくるプラン
NSXオーナーズ・ミーティング・スペシャル開催
  • NSXオーナーとその仲間の年に一度の祭典を鈴鹿サーキットで初開催
    のちにNSX fiestaに名称変更してさらに盛大なお祭りへと発展する
1993
NSXの進化技術
  • MT車に電動パワーステアリングを設定
  • セキュリティシスムを採用
  • 助手席用SRSエアバッグシステムを設定
リフレッシュプラン新設
  • 「新車に戻す」ことをめざし、NSXを高根沢工場で念入りにメンテナンスするプラン
NSXの生産に携わったエキスパートが、生まれ故郷に帰ってきたNSXを新車に近い状態に戻して送り返すことを目標に、きめ細かくお客様と相談しながら情熱を込めてメンテナンスを行う。リフレッシュプランは、メーカーであるHondaしかできないプログラムだ。
ドライビング・アカデミー新設
  • センサーを用い理論的にスキルアップをめざすメニューを新設
NSXによるレース参戦活動開始
  • ドイツADAC GT-CUP参戦、シリーズを賭けて闘う
1993年のドイツADAC GT-CUPを皮切りに、1994年〜1996年のル・マン、その後の全日本GT選手権へと続く、NSXのレース参戦活動がはじまった。
1994
NSXの進化技術
  • 16/17インチホイールと40/45タイヤを開発
  • 強化ブレーキパッド(GPパッド)を開発
スポーツ・ドライビング新設
  • サーキットを走り込みスキルアップをめざすメニューを新設
NSX fiestaスタート
  • NSXオーナーズ・ミーティング・スペシャルがNSX fiestaに名称を変更
ル・マン24時間レース初参戦全車完走
  • クレイマーNSX 46号車 清水和夫/岡田秀樹/フィリップ・ファーブル、
    クレイマーNSX 48号車 ベルトラン・ガショー/クリス・ボーシャー/アルミン・ハーネ、
    チーム国光 47号車 高橋国光/土屋圭市/飯田章

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