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到達、驚愕の40万km。 NSXリフレッシュプラン NSXとHonda 橋本 健 NSX-GT "NSXであること"の強さ。 NSX-GT 鈴鹿攻略。道上 龍 リモートコントロール・モータースポーツ。道上 龍 News&Topics
THE MAN 本田技術研究所  主席研究員 橋本 健 NSXとHonda

鈴鹿、1周7回ものスピンで幕開け

僕のNSXの開発は、鈴鹿を比較テスト車として持ち込んだポルシェで7回スピンした時から始まったんです。
1987年ごろだったかな。NSXの試作1号機ができて、鈴鹿でテストすることになって。まだ機密車なので真夜中のテストです。僕はまず、比較車として持っていったポルシェ911でコースインしました。そうしたら、1周してくる間に7回もスピンしてしまったんです。
ピットロードから出ていって、まず1コーナーでスピン。続いてデグナー、ヘアピン、スプーンでは2回スピンしたのかな。そんな感じで7回スピンしたんですね。ポルシェの左右のドアミラーをことごとく壊してピットに帰った。

人とクルマの関係を進化させたい

続いてNSXに乗ろうとしたら、「7回もスピンした奴は乗らなくていい。クルマを壊されたらテストにならない」と言われました。でもテストのために来たのですから乗りましたよ。
NSXでは1回のスピンで済んだ(笑)。
そのとき、NSXをどのようなスポーツカーに仕上げていくか方向性を自分なりに決めました。

その方向性とは、“人と一対一で対話できるスーパースポーツ”です。

当時のポルシェは反応が敏感だったんですね。アクセルの開け方閉め方ひとつでクルマの挙動がすごく敏感に変化する。正直、自分でもあれほどスピンするとは思っていなかった。予想外のことでした。クルマの方が雑に扱うことを決して許してくれなかったんです。それもひとつの味付けですが、多少雑に扱っても懐の深いクルマにすることで新しい価値が生まれるはずだと感じました。要は、既存のスーパースポーツに乗ってスピンして、人とクルマの対話をもっと進化させたいと思ったんです。
ハードはどうにでもなるんですよ。尖ったスペックのスポーツカーをつくって「どうだ、すごいだろ」と威張ることはできる。でも、そんなスポーツカーをつくってもつまらないし、Hondaらしくない。今までにないものを創り上げるのがHondaですから。そういう意味で言うとNSXは、Hondaの象徴なんです。人を中心に考え、本当の意味でスポーツを楽しめて、「クルマってこんなに面白いんだ」と、より多くの人に感動してもらえる、かつてないスーパースポーツなんです。

   

ずっと技術畑を歩いてきたから「人」に注目できた

そもそも僕が人とクルマの関係に目を向けたのは、携わってきた研究テーマに関わりがあります。僕は研究所に入社して以来、開発中のクルマを評価して走り味を決めていく「技術・研究畑」を歩いてきました。NSXの開発に携わっているときは、担当車種を持たずにいろいろな開発中のクルマに乗って、そのクルマの走り味を決めていくような立場にいたんです。
入社した当初は、完成車研究の運動性能グループといった部署にいました。そこは、完成車の操縦安定性とブレーキ性能の研究がメイン。そこで、新人のときはひたすらウエイト運びをやっていました。クルマにウエイトを積んで、多人数が乗った状態を模したテストの手伝いです。
やがて、徐々に重要な仕事を任され始め、クルマの走り味を決めていくようになりました。単なるデータの積み上げだけでなく、感覚で決めていた仕様を数値として捉えるための計測などもやりました。たとえば、一定のステアリング操作を与えて、それにクルマがどう反応するかといったことを見る。そうしたテストでクルマの安定性を定性的・定量的に把握していくわけです。

クルマには人のように「性格」がある

クルマの運動性能の研究をずっとやっていきながら、僕はひとつの疑問に捕われていました。その疑問とは、『クルマって本当に優れた製品なのか』ということです。工業製品としては、特賞がスペースシャトルで、1等賞が飛行機かな。それは、ほとんど誤差が許されない高い精度を要求されるからです。それに比べ、クルマには飛行機ほど高い精度は求められていない。
では、クルマに求められるものは何か。たとえば、「このクルマどう?」って聞かれたとき、「すごく男らしいクルマでさぁ」とか言うじゃないですか。そんな抽象的な言葉で語られるんですよ、クルマは。「強情なやつ」とか、「頑固なやつ」とか性格を持つわけです。移動するための道具に過ぎないのに。
そこに気づいた時、『クルマは機械だけど、人にどう訴えるかが重要で、そこを徹底的に磨かないとだめだな』という結論に達したわけです。

       
一年間、仕事をしないでクルマに乗り続けた

その結論に達したときに、どうするかとすごく悩みましたね。人の心に訴えるクルマをつくるには、ハードを越えた何かが必要なんです。しかし、ただ「こうやりたい」と言っているだけではだめで、ハードもわかっていないといけない。ですから、ハードも勉強して、いろいろなクルマに乗せてもらって、NSXの開発にも携わり、それが世界的に評価されて、自分なりに「こうあるべきかな」というものが徐々に固まってきた。
そう感じていたとき、当時社長だった川本さんから1年間仕事しないで遊んでいていいって言われたんです。「お前ひとりが1年間いなくたって会社はつぶれない」と。

   

NSXでル・マンに挑戦してGT2でクラス優勝したあと、1996年ぐらいでしたかね。川本さんにそう言われて、はじめ「そりゃいいや」と思ったんですが、2〜3ヵ月たったら「何をすればいいのかな?」って(笑)。困るもんですよ、仕事をしないで遊んでいろと言われても。それでとにかく1日中クルマに乗りました。僕ができることと言えばクルマに乗ることぐらいですから。ヨーロッパに行ってはクルマに乗り、アメリカに行ってはクルマに乗り…という毎日を過ごしましたね。
おそらく、「人とクルマの関係」に注目する考え方が、Hondaの志向と合っていたんでしょうね。まさに転機となったのがNSXで、Hondaのクルマづくりは、NSXを生みだしたことによって「人とクルマ」の関係をより突き詰めていくといった方向に向かっていったように思います。

クルマは道を走る。道は生きている

一年間、世界のいろいろなところでクルマを走らせてわかったのは、「道は生きている」ということです。面白いんですよ。はじめに行ったときと1年後に行ったときでは、道が全然違っちゃうんです。この道が良いと思って、またクルマの走行テストに使おうと思って次に行くと、全然違っているんですよ。「道は生きているなあ」とつくづく感じました。
それで1年たって、川本さんに「どうだった?」って聞かれたんです。「いやぁ、1年間も遊ぶのは厳しいですね」って言ったんです(笑)。「僕にできることはクルマに乗ることですから、クルマを乗り回して、これからうちのクルマはどうあるべきかと考えました」と。そうしたら、「ああ、そう。頑張ってね」って。それだけ。報告書の提出も何もないんですよ。「この人、すごい人だな」と思いましたね。Hondaの歴史はこんな大胆な人がつくるんだと、つくづく思いました。

   

それからしばらくして、世界の道を走った経験と長年クルマを評価し続けた経験をもとに、僕は北海道の鷹栖プルービング・センターに「EU郊外コース」をつくることを提案し、2003年に実現しました。
ここには、ヨーロッパを中心としたあらゆる状態の路面が存在しています。コースレイアウトも凝りに凝って、すごいコースに仕上げました。まさに、僕の経験が詰まったテスト走行路です。
データも重要ですが、クルマをあれこれと評価するより、このコースでどうクルマを走らせ、どう感じるかが重要だという想いを込めてつくった。クルマは道の上を走るんだから、道をバカにするなと言うか、道を忘れちゃいけないという想いを込めたわけです。つくった当初はみんなにバカにされてね。「こんなひどい道」って。でも、「この道を克服したら世界一になれるぞ」って僕は思っています。それくらいひどい道です(笑)。

NSXの開発はHondaのクルマづくりを変えた

NSXの開発を経験したことにより、Hondaのクルマづくりが変わっていった。「人と道でクルマを鍛える」という思考が生まれた。これは、NSXをつくることでHondaが得た大きな財産だと思います。
そのきっかけとなったのはF1ドライバーだったアイルトン・セナです。彼にNSXのテスト車へ鈴鹿で乗ってもらったとき、「ボディがやわらか過ぎて話にならない」と酷評されたんです。僕は当日行けなくてあとから聞き、『何言ってんだ!』と思いましたが、世界のセナだから走る次元が違うだろうと。
それでドイツのニュルブルクリンクに確認しに行った。そして、ニュルでボディを徹底的に鍛えたわけです。

ニュルに行ったら、普通のサーキットで「いい」と感じていたNSXのボディが、本当に柔らかく感じた。それくらいアップダウンや路面のアンジュレーションやコースレイアウトが激しい道でした。それまでのNSXのボディでは歯が立たなかった。
「道って大事だな」ってつくづく感じましたね。
また、ボディの設計担当が「ここを補強すれば剛性が上がる」という所を補強して走ってみると、数値的には剛性が上がっているはずなんですが、運転しても全然感じないときがあるんです。「前と変わらないな」と。その一方で、ほんのつまらない所、たとえばリアのトランクの横をちょっと補強するだけで驚くほど剛性が変わることがある。

   

人が感じ取る「ボディの剛性感」って、本当にデータでは出てこないんですよ。感覚でしかわからない。ニュルでNSXのボディ剛性を鍛え、そういうこともわかってきましたね。
そうした経験から、鷹栖にニュル以上に厳しいワインディングコースをつくり、そこでオデッセイもシビックもフィットもみんな走りを鍛えるようになった。2003年には、先ほどお話したEU郊外コースというひどい道もつくった。それもこれも、大元はNSXからきている。Honda車の走り、人とクルマの対話といった懐の深さは、NSX以来大きく深化していったんです。

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「こだわり」がHondaの信条

クルマには、エンジンがあって、トランスミッションがあって、サスペンションとタイヤがあって、ボディがある。たくさんのコンポーネントでできています。そのコンポーネントで構成するクルマ全体のバランスがすごく重要で、全体のバランスから生まれる走り味をNSXは非常に大切にしました。
しかしそれだけでなく、それぞれのパーツにも徹底的にこだわりました。エンジンにも、トランスミッションにも、サスペンションにもこだわりがなきゃいけない。一つひとつのコンポーネントが全部本物じゃなくちゃいけないと。
だから、開発終盤に大変な労力をかけてエンジンをSOHCからDOHC VTECに変えることも厭わなかった。サスペンションアームなんて直線がひとつもない、アルミでできた動物の骨のような芸術的な仕上がりですよ。

   

もう一つは加速感というか、スポーツカーとして「深み」みたいな部分が欲しかった。NSXは、アクセルをバーンと開けると、世界一いいサウンドだと言われるんです。日本人とアメリカ人とヨーロッパ人では音に対する感覚が違うようですが、NSXは世界中どこに行ってもいい音だと。加速の仕方も気持ちいいと。クルマの動きだけじゃなくて、そういう「引出し」をいっぱい持ってるということはスポーツカーとして大事ですよね。
僕の仕事に対する哲学は「こだわり」ですが、これはHondaの哲学でもある。すべてのクルマがNSXのレベルにあることは無理で、もちろんさじ加減が必要です。しかし、それが安易な妥協ではなく、すべてを突き詰めて知った上での判断にしたい。そのために開発では徹底してこだわることが必要なんです。

「Our dreams come true」の本当の意味

NSXを世に出すとき、『誰にでも乗れる』と言ったことで誤解されたこともありましたが、NSXは、本当に誰が乗ってもすごく乗りやすくて、気持ちがいい。だけど運動性能は世界第一級だと。そんなスーパースポーツカーはこれまでになかったわけですよ。NSXが示した新しい価値に触発され、世界のライバル達も変わっていった。これは、動かしがたい事実だと言えるでしょう。
そんなNSXの走り味って、「機械的にはこうです」と言い切れないんですね。ましてやコンピューターでつくることなんてできなくて、乗って決めるしかないんです。とにかく乗って、乗って、乗って。五感で感じながら、走りながら詰めていくしかない。
たとえばステアリングを切ったとき、ドライバーの予想通りのレスポンスがあること。過敏でもなく鈍くもない。まさに一対一感覚のレスポンスにする。さらには、どこまで切っていってもリニアに反応すること。しかし、どこかで必ず限界が来るから、「もうそろそろダメだ」というときに、どうドライバーに伝えるのか。そういうときのステアリングの重さの変化とか、タイヤの鳴き方とかをどうするか、という細かい“感覚”を研ぎ澄ましていくことの積み重ねです。
もっと例を出すと、コーナーの手前で5速から3速に落として出口に向かって立ち上がっていくとき、アクセルの踏み込み量に対しエンジン音の変わり方をどうすると官能的なのか。コーナーの出口でステアリングを戻しながらアクセルを踏んでいくとき、あえて強くアクセルを踏んだときのリアの流れ方をどの程度にするのか。そういうところまで徹底して煮詰めていきました。

NSXがデビューしたときのコミュニケーションワードは「Our dreams come true」でした。それは「夢のようなクルマができた」という、ハードとしての夢の実現としてとらえられがちですが、本当に言いたかったのはそういうことではありません。


   

「人とクルマ」という意味での「our dreams」がかなったということ。つまり、対話を楽しむ「人」と「クルマ」双方の夢がかなったということなんです。
NSXにとって世界最高レベルの速さを持つことは第一条件でした。もっと重視したのは、何度も言いますがクルマとの対話なんです。このNSXというクルマは、「こう動かすとこういうふうに反応してくれる。人とクルマが本当に楽しく対話をできるクルマ」だといった評価を聞くと、我々は嬉しくなるんですね。速く走れたとか、何秒で走れたっていうのも嬉しいけれど、「こうやったらこういうふうに反応した」という話はもっと嬉しい。そういう意味でNSXは、時代を変え、Hondaのクルマづくりさえ変えてしまった新しいスーパースポーツカーだったんです。
つまり、NSXの「Our dreams come true」は、Hondaのクルマづくりにとってもひとつの夢の実現だったわけです。

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