「体が震えるほどの興奮を覚えています」
F1のシートを獲得した際の、佐藤選手の言葉である。これぞ佐藤節。それは、特異といえば特異の、彼のプロフィールを知れば得心できよう。彼はまさに、“興奮”への熱き情熱で人生を駆け抜けている人物なのだ。
保育園時代のスクーター(今のキックボードのようなもの)、3歳ではじめて乗った自転車。未知なる乗り物に出会った佐藤選手は、体を駆け抜ける興奮に突き動かされ、どれも夢中になってのめり込んだという。
そして中学。佐藤選手いわく“なぜか”陸上部へ入部。走ることにとりつかれ、無我夢中。肉体の限界に挑む“興奮”に全身を支配された。
高校に進学してからは、地元のサイクルスポーツ店を通じて自転車競技の世界を知る。これぞ、佐藤選手にとってまさに最高の相手だ。運命的な出会いともいえる。トップアスリート、スピードスケートの清水宏保選手も肉体の限界を超えるトレーニング手段として選ぶ自転車で、佐藤選手は自らの限界に挑んだ。
結果、94年のインターハイ1位、95年インターカレッジ2位、96年全日本学生選手権1位。
しかも、94年は高校に存在しない自転車部をひとりで立ち上げてのインターハイ制覇である。
またこの年は、幼き頃から憧れの存在であったアイルトン・セナの訃報を胸に、ひとり喪章を腕に巻いてのレースだったという。しかし、これほどの実績を築いた自転車に佐藤選手はあっさりと見切りをつけてしまう。理由はひとつ。子供の頃からの夢、F1ドライバーになるためだ。
19歳という年齢制限ぎりぎりでHondaの鈴鹿レーシングスクール・フォーミュラに応募。首席で卒業し、F3参戦のスカラシップを獲得。その後は国内レースを経て英国へ渡り、単身英語を学び現地の生活に溶け込むというステップを経てからF3で快勝。見事イギリスF3で日本人初のチャンピオンとなり、冒頭にご紹介した通り、F3マカオGP優勝という快挙も成し遂げ、F1のシートを獲得したのはご存知の通り。書けば簡単だが、にわかには信じがたいほどの実績である。たった5年間。震えるほどの“興奮”を求め、決断と挑戦をくり返した男が手にしたのはF1という最高峰の舞台。闘争心、情熱、向上心…。定かではないが、どうやら彼が大切に胸に抱いているのは「感覚」のようである。
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NSX Press vol.27 2001年12月発行