スポーツカーは永遠である
スポーツカーという言葉がこの世に生まれたのは、どうやら1920年頃のことらしい。
走ること自体が楽しいそうした新しいクルマたちに対して、英国の権威ある自動車雑誌The Autocar(創刊は1880年ごろ!)は当初「スポーティング・カー」という表現を用いていたが、それはやがて「スポーツカー」に統一されるのだ。
この魅力的な名称はすぐにドーヴァー海峡を越えることになり、ともに自動車先進国であったフランス/ドイツ/イタリアでもそれぞれ「ティプ・スポール」「シュポルト・ヴァーゲン」あるいは「マッキナ・スポルティーヴァ」として人々に親しまれることになる。

第一次大戦が終結したのは1918年のことだったが、その後ほんの2、3年のうちにヨーロッパ各国のメーカーから「人や物をのせる能力よりも、走るための性能に重きを置いたクルマたち」が生み出されていたとは、驚く以前に羨望を禁じ得ない。
それらはいずれも、より速く楽しく走るためだけに精魂を込めて造られたものであった。
1920年代という時代は、今では想像するのが難しいほど華やかな時代であったようだが、スポーツカーの出現がそのシンボルのひとつであることは間違いないだろう。

自動車の歴史に精通された方ならよくご存知のように、自動車レースというものは「スポーツカー」の出現とは別の形でずっと古くから存在してきた。
と言うよりも、複数の自動車が誕生した時点で、すでにレースの歴史ははじまっていたとすべきかも知れない。人はほとんど本能的に、スピードあるいは耐久性の競い合いを抑制することができなかったのだ。
第二次大戦前にクルマを造りはじめた欧米のメーカーの中で一度もレースを行ったことのないものを探し出すのは難しいという事実を見れば、自動車というものが、あるいはそれを操る人という生きものが実は永遠に断ち切ることのできぬ闘争本能と共にあることがよく分かる。

当然のごとく、スポーツカーは日常の楽しみとして使われる以外にレースの道具としてもうってつけの存在となった。少なくとも60年代の半ばごろまでは、スポーツカーは「その気になりさえすれば」週末のサーキットでクラブイベントを楽しみ、レースが終わった後はそのままの姿で家に乗って帰れるような存在であったのだ。

しかしその後、急速に状況は変わってしまった。
レースを行うための専用の装備は安全性のために高度になりそれに追い討ちをかけるように自動車を取り巻く社会の目も一段と厳しいものになったからだ。かつて、「スポーツカーの究極の姿とは、レーシングカーのギリギリ一歩手前のものである」と言われた定説ももはや何の意味も持たなくなってしまったのである。

その後もスポーツカーの存亡を危うくするような危機は何度も訪れることになった。
2度にわたるオイルショックもそうだし、排出ガス規制や衝突安全性の向上など、現在も進行中のものである。それらはおしなべて「人類が地球上に存在し続けるためには、もはやクルマに楽しみなどはいらない」と主張しているようにも聞こえる。
石油資源に限りがあることは分かる。ならば、その使い方を徹底的に研究すべきであり、CO2の問題だって技術の進歩に加えて道路のシステムと交通の量と流れを改善すれば、走る楽しさとの共存も不可能でなくなるに違いない。
これから解決すべき問題は山積みであり、厳しい状況は続くだろうが、我が国はスポーツカーにとって住みやすい国であると言っていい。たまに仕事を放り出して山道を目指してもいいし、気分を変えて仕事場にスポーツカーを乗り付けることもできる。

昔は、ウィークデーに2人乗りの目立つクルマなんぞに乗っていると、いかにも古臭い悪い意味での「遊び人」と見られて困ることもあったものだがもはやそんなふうに見る人もいないはずだ。もちろん、気に入った店の近くにクルマをとめて食事を楽しむこともできる。
つまらないことを言うなと叱られてしまいそうだが、実はそうでもない。
パリとミラノの近郊に住む友人たちは、クルマ泥棒が怖くてとうてい街中にスポーツカーをとめることなどできないとぼやいているのだ。
最近のヨーロッパでは、ちょっとしたクルマには厳重なセキュリティシステムが備わっているのだが、プロに対してはほとんど無力なのだという。

もうひとつ、日本の都市周辺や幹線道路は混雑しすぎて思うように走れないという現実もあるが、こいつはちょっとだけ工夫すれば済むことだ。たとえば、みんなが出掛けそうな日時を外して、週末ならば夜明けとともに出発するとか、思い切ってウィークデーに休みを取ってしまうとか、それだけでいい。
100パーセントの保証はできないけれども、きっと満足のいく結果が得られるに違いない。

いずれにせよ、スポーツカーを楽しむという非日常的な行為には、やはりそれくらいの努力は欠かせないものと割り切るべきだろう。元来、全く努力を必要としないスポーツなどあり得ないのだ。

いま、世界には再びスポーツカーが溢れようとしている。
単純な比較には無理もあるが、それは戦後の50年代や60年代の「黄金時代」にも勝るような勢いと見ることもできる。なぜだろうか。
そうした無数の新しいスポーツカーたちはもちろん価格は並みのクルマよりもずっと高く、所有するにも楽しむためにも、やはりそれなりの覚悟が要するものばかりである。
前世紀の人々ならこうした現象は「世紀末」のひと言で片付けてしまったに違いないのだが、もちろんそんな単純なものであるはずもない。

それは、ひとつの転機なのではないのだろうか。
スポーツカーというものの歴史が80年も昔から続いてきたことは前述のとおりだが、近年のいわば苦難の時期を乗り越えることに成功したいま、本物のスポーツカーにしか求め得ない魅力が、再び(ようやくと言うべきか)広く認知されることになったのだろう。

この点において、ホンダを支持する人々は実に幸運である。
ヨーロッパでいまも語り草になっている第一期のホンダSシリーズに加えて、私が秘かにフェラーリにも影響を与えたと見抜いているNSXの存在、そして今春発売のS2000と、この個性的なメーカーには「決してスポーツカーを絶やさない」という強い意志が感じられるのだ。
もはや伝統ともいうべきNSXオーナーズ・ミーティングの存在も見事という他はない。
私の知る限り、定期的にサーキットを開放してオーナーの希望を叶えてくれるメーカーなど他にはないのである。自動車に興味を持ちはじめて以来ずっとスポーツカーに魅せられてきた私も、先ほど述べた「苦難の時期」には望みを失いかけたものだが、わが国にホンダがある限り、それは杞憂に過ぎぬことのようである。




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NSX Press vol.23 1999年4月発行